無縛さんのマイページ

小田原宿ガイドツアー(II)

2010/03/05 17:19






1月の神奈川県東海道ガイドツアーの会は「小田原宿(II)」でした。小田原宿は大きいので、
2回に分けて回るわけです。先月がJR東海道線の国府津駅から小田原城まで、そして今月は
小田原駅西口から箱根登山鉄道の箱根湯本駅までです。

と言っても小田原宿の本陣は先月の範囲に入ってしまうので、宿に直接関係のある遺跡としては、
宿の上方見附である板橋見附程度になります。これは箱根登山鉄道の1番目の駅の箱根板橋の近く
になります。

但し現在この見附は交差点名に名を残す程度で、当時の面影はほとんどありません。しいて言えば
寺社の数の多さと、早川から分取した大久保用水の存在くらいでしょうか。そのうちの一つの
大久寺には、江戸時代のほとんどで小田原城主であった大久保氏の墓所があります(画像1)。

ここから少し坂を上がると大邸宅が居並ぶ悠長な一角に出ます。山形有朋の作った古稀庵(こき
あん)や大倉一族の別荘などが並びますが、中でもひときわ広いのが、電力の鬼と言われ戦後の
電力再編に力をふるった松永安左ェ門の別邸です(画像2)。かつては吉田首相もここまで足を
運んだそうです。今は小田原市管理の公園となっていて公開されています。

引き続き、秋葉山量覚院、板橋不動尊など大久保氏ゆかりの寺社を見ながら、旧東海道、つまり
箱根駅伝の第5区とほぼ同じ道を登って、風祭駅の近くにある風祭一里塚を経由したのちに、
黄檗宗大本山の紹太寺(しょうたいじ)に着きます。ここは敷地の大きな寺で、一時小田原城主
であった、春日野局の子孫の稲葉氏の菩提寺です。

さらにもうひと駅分登ると、近代施設ですが入生田駅近くに「生命の星地球記念館」(画像3)が
あります。ここでめいめい昼食を取った後、皆で一路旧東海道を箱根湯本まで向かいました。
ここでの見物は何と言っても北条早雲にちなんで創建された早雲寺(画像4)です。かつては
建長寺をもしのぐ勢いで、僧の数600人を誇ったそうですが、今はそこまでありません。
境内内には後北条氏五代の供養塔があり(画像5)、昔の栄華を忍ばせました。

ここから10分ほど歩いて箱根湯本駅で解散となりました。私はせっかくの機会なので、
近所の温泉宿で日帰り入浴をして帰りました。
なお、先月に開催された小田原宿の(I)、国府津から小田原城までは、相撲部屋ぶつがり稽古
見学と重なったため、欠席しました。


Binder: 無縛のバインダー(日記数:1328/全体に公開)
Gg[ubN}[N
最新コメント

  • Comment : 1
    史枝
    史枝さん
     2010/03/06 10:17
    写真のすぐ後に説明を入れて見てくださいな。
    わかりやすくなります。

    五代続くお墓は大きさはどうなのでしょう?
    愛知県にある五代続く墓に比べると質素に感じます。

  • Comment : 2
    無縛
    無縛さん
     2010/03/06 11:00
    史枝さんには以前から「写真と文章を交互に」との
    アドバイスを頂いているのですが、ヤフーブログでは
    これがけっこう手間がかかるので、2年半後に
    定年退職して時間ができたらと言うことにしてください。
    今はこれで手いっぱいなのです。

    愛知県にある五代続く墓、これはどの一族のお墓でしょう。
    ただちに思いつきません。

  • Comment : 3
    史枝
    史枝さん
     2010/03/06 12:15
    たくさん ありますよ。

    ふこうづ松平の墓
    本家 松平郷の墓
    先日見た おだいのかたの墓もそうでしたよ。

    愛知県は松平発生の土地なのであちこちで見てます。

    写真の件は了解です。

  • Comment : 4
    無縛
    無縛さん
     2010/03/06 14:08
    なるほどね。色々な松平家の累代の墓地が
    あるというわけですね。たしかにありそうです。
    親藩の墓も譜代の墓も。

  • Comment : 5
    史枝
    史枝さん
     2010/03/06 15:00
    一万石なのに大名がいる尾張藩です。
    渡辺守綱を祀るしゅこうじ の墓は四角い大きな墓です。
    尾張藩 ◎◎松平のお墓はあちこちに立派です。

  • Comment : 6
    無縛
    無縛さん
     2010/03/06 17:17
    ほう、尾張藩は1万石の大名が沢山ですか。
    ギリギリ旗本より上の、やっとこ大名ですね。
    廃藩置県の際は爵位をもらえなかった。
    でも腐っても松平、徳川幕府の援助があったことでしょう。

  • Comment : 7
    史枝
    史枝さん
     2010/03/07 11:01
    はい。尾張藩は五人が一万石以上の家老でした。
    後に城持ちになった成瀬はやとのかみは一万石でしたよ

    それぞれ領地を治めてました。
    渡辺守綱は名古屋市内に五千石 豊田市に五千石でした。

    木曾美林を領地としてたのは・・・
    失名しましたが・・・  一番石高の多い・・・家老でした・
    馬篭へ行くとその文書が見れますよ。
    高札場にその家老の名前が掲げてあります。

  • Comment : 8
    無縛
    無縛さん
     2010/03/07 13:00
    ほう、さすがは御三家筆頭、将軍家と並ぶ勢いの
    尾張藩です。家老もそれぞれ領主と言うのが
    すごいですね。お話を聞いていると、歴史の
    勉強にもなって興味深いです。

このブログにコメントをつけるには、ログインする必要があります。
マイページをお持ちでないひとは「マイページを作成する」ボタンを押してマイページを作成してください。
不適切なブログを見つけたら、こちらからご報告ください!

Mail Address(GMO ID):

Password:

自動ログインパスワードを忘れた方

最近書いたブログ


http://www.freeml.com/feed.php?u_id=1330514&f_code=1



Copyright(C)2017 GMO Media, Inc. All Rights Reserved.