ウェルダン穂積さんのマイページ

「崖の上のポニョ」独り夜話:愛情の映像表現

2010/03/05 15:31


なんだかんだで宮崎アニメは2回観るとおもしろい。
毎回、一回目はメッセージを読みとろうと真剣にみすぎて
期待とは違う結果に終わる。
期待はずれ、というより意味不明というかついていけない感じ。もののけ姫なんて特にそうではないだろうか。

ポニョも映画館でみたときはポニョが会いにきて以降の話がどうも着いていけなかった感があった。
結局ポニョに関しては

「映像表現」という言葉が適切であり
海の水がすごおくよく描かれていて神秘的だ。

2回目、僕はPSPでみてしまったが
映画の大きさだとポニョが抱きついたときの腕の締め付ける強さが伝わってきていた。
やはり映画は映画館でみるべきか・・・。

前に観たときはここがピークだったし
宮崎さん自身「ポニョがやってくる」ところが伝えたいところらしい。

ポニョが来る、ってことがまずすごいからね。魚が人間になり抱きしめに来る。

で、ポニョのテーマとして「愛」があるわけだけど
その愛は直情、強く抱きしめるという表現がされる。

後半にでる、仏頂面の赤ちゃんは最後にポニョにギューっとされて笑顔になる。母親が与えるべき愛情はこれだ!と言わんばかりである。

結局最後もトキさんに小さいポニョが顔をぶつけてギューっとなるわけで、やはりメインテーマと言える。

2ちゃんであの後半の世界は全部死後の、世界が終わった後の世界であるという憶測がされたが、

そう思わせてもおかしくない不気味さがあるのも確かだ。
海の水はやはりただ優しいだけじゃないという迫力があるし「遊びでやってんじゃない」感がなにか伝わるからだ。
これまた「もののけ姫」がいい例だろう。

で、ひとつ思ったのが、後半のおばあちゃんのダベリなども優しくて泣けてきた。あのジブリアニメってのは声優に下手な俳優などを使ったりするが、それが返って生々しさを生み人の素朴な優しさが伝わってくるともう泣けてしまう。

「魔法が使えなくなり人間になる」
魔法と引き替えにしてもなりたいと思える人間。ちょこっと余談になるが子供も魔法のようなものが使えるとして、子供が魔法を引き替えにしてまで大人になるのだとしたら、人間の大人ってたいそうなものであってほしい。

人間になって手足があればギューっとすることができる。それが描きたかったものなのではないだろうか。
情報化、バーチャルリアリティ化された社会に対して彼らの発したメッセージは必然だった、と結論付けられるだろう。

ポニョの抱き枕発売したら売れるんじゃないだろうか。

ちなみにまず、愛や無垢な心ありきなので
これ読んで「あ〜女の子にギューってされたい」

と思ったとしたらそれはアウツ、ということになる。
いや、ならんのか?う〜ん、難しい。


Binder: ウェルダン穂積のバインダー(日記数:2653/全体に公開)
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