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映画「火天の城」と武田勝頼

2009/10/21 23:12

先ごろ公開された『火天の城』を見に行った。
天正の御世に、安土山の頂きに信長が建てた城は過去の常識
では推し量ることのできない勇壮な作りで、城作りを託された
岡部又右エ門(西田敏行)は、七層の天主を支える芯柱は75
cm角以上の檜材が必要で、日本では木曽の山にしか残されて
いないと思い定め、信長の許しを得て、木曽へ旅立つ。
しかし、彼の地は当時は武田領であり、総支配の木曽義昌は
武田勝頼の臣下として、その神木が伊勢神宮の式年遷宮に捧げ
られる樹齢2000年以上の巨木であり、誰にも渡さぬ決意であ
った。その配下の杣頭の甚兵衛(緒方直人)は、又右エ門を
杣山へ案内するが、決してその巨木を目にすることのない若い
檜しか生育していない。又右エ門は、その巨木が「間違いなく
ある」ことを信じていて、一人で探しだしてしまう。又右エ門
の信念に負けた形の甚兵衛は、お屋形の義昌を裏切り、大雨が
降り続く日に届ける約束をする。歴史上は、この時に裏切る
のは、甚兵衛が義昌に対してではなく、義昌が勝頼に対して
であり、その結果、勝頼は諏訪の末裔でありながら、諏訪に
亡命する機会を逸し、甲斐の地を流浪の末、小山田信茂の裏
切りに遭い、天目山を自決の地に選ぶのであるが、映画では
甚兵衛が義昌に切られ、それを人柱にして天主には芯柱が屹立
し、作事が進む。しかし、天主の礎石群は、蛇石を埋めた中央
以外は重さで埋没し、支える梁がせん断する危機に遭う。
岡部一門は人力で芯柱を浮かせ、芯柱4寸を切り取って天主は
崩壊から免れる。その他、幾多の苦難の末、又右エ門たちは
栄光を手にすることになる。
信長研究をテーマにしている者としての印象は、もう少し歴史
に従った作品でも、直木賞作家山本兼一さんの制作意図は貫け
たと思うが、天下の名城の建設の陰で民衆の苦労を描きたいと
の作者の姿勢は良く伝わって来た。


Binder: たまの友人へのバインダー(日記数:73/全体に公開)
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