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続・桃太郎の蘭印(インドネシア民族独立の幻)

2010/07/07 22:47

「大東亜政略指導大綱(昭和18年5月31日御前会議決定)」には、

 

 (イ)「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム

 

…と記されていた。つまりここには、「大東亜戦争完遂ノ為帝国ヲ中核トスル大東亜ノ諸国家民族結集ノ政略態勢ヲ更ニ整備強化」するという「方針」の下に、蘭印(インドネシア)として総称される「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」を、「御前会議」(国策決定における最高ランクの会議である)の場において「帝国領土ト決定シ」たことが、一片の誤解の余地もない形で記されていたわけだ。

大日本帝國の「大東亜戦争完遂」に際し、占領地インドネシアの民族独立構想は(国策レベルには)存在しなかった…というのが前回に明らかとなった話である。

 

 

 

ところで、以前の記事に、

 

 収拾不能となった盧溝橋以来の中国大陸における軍事力行使が、仏印進駐にまで拡大し、米国による石油禁輸という経済制裁発動をもたらしてしまった結果、大日本帝國は石油供給の枯渇の可能性に直面してしまう。そこに浮上したのが、蘭印の石油の存在であり、その軍事力による獲得への試みなのである。

 そこに、いわゆる南進局面となった対米英戦としての大東亜戦争の起源がある。

 資源確保における対米依存からの脱却、米国に依存しない石油資源の確保こそが、大東亜戦争の目的なのである。実際、開戦に先立つ大本営での議論は、南進の形式(対英蘭戦争に限定するのかどうか、それが可能かどうか、つまり対米戦争回避の可能性)と対米戦争となった場合の勝算、そして南進による資源獲得問題(南方資源確保が戦争の目的であると同時に、占領地からの資源供給が対米英戦の戦線維持の前提となる)に集中しているのだ。植民地からのアジアの解放についての議論には、大本営の参謀達には、その段階では関心が持たれていなかったように見える。
 

…ということを書いた。

 

「植民地からのアジアの解放についての議論」において問題の焦点となるのは、対米英開戦後の占領地の処遇であろう。

本題として「占領地の処遇」についての議論が行われた「開戦に先立つ」国策レベルでの会議としては、第七十回大本営政府連絡会議(昭和16年11月20日)以外には見当たらないように思われる。

午前9時から午前10時半まで開かれた会議では、「南方占領地行政実施要領」が決定された。


さて、「南方占領地行政実施要領」には、対米英開戦後の占領地の処遇について、どのような決定が記されているのだろうか?

「要領」は、「第一 方針」と「第二 要領」の二部構成で書かれている。その「第一 方針」の内容を読むことにしよう。そこには、

 


南方占領地行政実施要領

   第一 方針

占領地ニ対シテハ差シ当リ軍政ヲ実施シ治安ノ恢復、重要国防資源ノ急速獲得及作戦軍ノ自活確保ニ資ス

占領地領域ノ最終的帰属並ニ将来ニ対スル処理ニ関シテハ別ニ之ヲ定ムルモノトス


 

…と書かれている。

残念ながら、「南方占領地行政実施」の「方針」には、「植民地からのアジアの解放についての議論」に相当する内容は存在しない。

 

 

 占領地ニ対シテハ差シ当リ軍政ヲ実施シ治安ノ恢復、重要国防資源ノ急速獲得及作戦軍ノ自活確保ニ資ス

 

…とはつまり、大日本帝國にとっての占領地の「差シ当リ」の意義が、「重要国防資源ノ急速獲得及作戦軍ノ自活確保」の場であったということを示している。

残念なことに、より具体的に書かれている「第二 要領」の各項目でもそのことに変わりはない。たとえば、

 

二 作戦ニ支障ナキ限リ占領軍ハ重要国防資源ノ獲得及開発ヲ促進スヘキ措置ヲ講スルモノトス

 占領地ニ於テ開発又ハ取得シタル重要国防資源ハ之ヲ中央ノ物動計画ニ織リ込ムモノトシ作戦軍ノ現地自活ニ必要ナルモノハ右配分計画ニ基キ之ヲ現地ニ充当スルヲ原則トス


七 国防資源取得ト占領軍現地自活ノ為民生ニ及ホサルルヲ得サル重圧ハ之ヲ忍ハシメ宣撫上ノ要求ハ右目的ニ反セサル程度ニ止ムルモノトス

 

…というのがその内容なのであった。その上に、


八 (米、英、蘭国人、枢軸国人、華僑に関する文言は略)

 原住土民ニ対シテハ皇軍ニ対スル信倚観念ヲ助長セシムル如ク指導シ其ノ独立運動ハ過早ニ誘発セシムルコトヲ避クルモノトス

 

…とまで書いてある。「原住土民ニ対シテハ…独立運動ハ過早ニ誘発セシムルコトヲ避クル」ことこそが国策遂行上の課題なのであった。


再び「方針」の文言に戻れば、

 

 占領地領域ノ最終的帰属並ニ将来ニ対スル処理ニ関シテハ別ニ之ヲ定ムルモノトス

 

…とあるものの、開戦に先立って、「占領地領域ノ最終的帰属並ニ将来ニ対スル処理ニ関シテ」の何らかの決定がなされることは、ついになかったというのが現実である。

開戦翌年の昭和17年3月14日の第九十五回大本営政府連絡会議に至り、やっと「占領諸地域ノ帰属及統治機構」について議論されるが、「結局本件ハ更ニ研究ヲ要ストシテ未決ノ儘別冊(外務省作成の「原案」である)ノ検討ニモ入ラズ散会トナル」のであった。

つまり、開戦の翌年、昭和17年3月になっても、、「占領地領域ノ最終的帰属並ニ将来ニ対スル」大日本帝國の国策レベルでの「方針」と呼ばれるべきものは存在しなかったのである。

 

 

 

 

そして、大日本帝國の占領地である蘭印(インドネシア)の最終的帰属が、

 

 (イ)「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム

 

…として最高国策レベルで明確にされたのは、開戦の翌々年の5月の終わりになっての「御前会議」での話なのであった。

結局のところ、対米英(蘭)開戦後も、大東亜戦争の目的として、蘭印(インドネシア)の独立(つまり植民地状態からの解放)が、国策レベルで検討されることはなかったのである

 

 

 

 

 

 



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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2010/07/08 00:50
    大本営政府連絡会議の議論の具体的内容が、
    大東亜戦争=植民地解放戦争という図式の成立を阻むのであった。

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