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続々々々・桃太郎の蘭印(インドネシア民族独立の幻)

2010/07/11 21:11

 

東印度独立措置ニ関スル件
   第一 方針
大東亜戦争完遂ニ資スル為帝国ハ可及的速カニ東印度ノ独立ヲ容認ス之ガ為直チニ独立準備ヲ促進強化スルモノトス
   第二 要領
一 独立セシムル地域ハ旧蘭領東印度トス
二 全地域ニ亘リ独立準備ヲ推進シ主要地域ノ準備完了次第全地域ニ亘リ新国家独立ヲ宣言セシム但シ準備完了セザル地域ノ施政ニ関シテハ準備進捗ノ状況ニ応ジ逐次之ヲ新国家ノ管轄ニ移行セシムル如ク措置ス
 之ガ為速カニ「ジャワ」ニ独立準備委員会ヲ組織シテ独立実施ニ必要ナル諸般ノ事項ヲ準備セシム
三 独立ノ予定時期ハ成ル可ク速カニ之ヲ概定シ新国家ノ領域タルベキ地域ト共ニ独立準備委員会ヨリ之ヲ発表ス
四 新独立国ノ国体、政体、国名、国民ノ範囲等ニ関シテハ民意ニ依リ之ヲ定ム
五 独立ニ関スル施策ヲ通ジ住民ノ民族意識昂揚ニ努メ且戦争遂行ニ寄与セシムルヲ主眼トシ作戦、戦備上ノ支障ハ之ヲ防止スル如ク措置ス
六 本施策ノ実行ハ一切之ヲ現地軍ニ一任ス
 

…という形で、大日本帝國も、最終的には蘭印(インドネシア)の「独立ヲ容認」することになる。

「最高戦争指導会議決定第二十七号」でのことだ。その日付は、昭和20年7月17日である。大東亜戦争の敗北による終息、つまり大日本帝國のポツダム宣言受諾決定まで、わずか四週間の時点での話であった。まさに敗北に至る最終段階での「決定」である。

 

 

昭和16年11月20日、開戦に先立ち、第七十回大本営政府連絡会議で決定されたのが「南方占領地行政実施要領」であった。

 

南方占領地行政実施要領
   第一 方針
占領地ニ対シテハ差シ当リ軍政ヲ実施シ治安ノ恢復、重要国防資源ノ急速獲得及作戦軍ノ自活確保ニ資ス
占領地領域ノ最終的帰属並ニ将来ニ対スル処理ニ関シテハ別ニ之ヲ定ムルモノトス

 

来たるべき戦争を前にして、ここに描かれているのは、大日本帝國が獲得するであろう占領地の位置付けである。

前半で表明されている、


  占領地ニ対シテハ…軍政ヲ実施シ…重要国防資源ノ急速獲得及作戦軍ノ自活確保ニ資ス


…とは、つまり「重要国防資源ノ急速獲得」という占領目的である。この、「大本営政府連絡会議」という国策決定の最高レベルの会議で明らかにされた大日本帝國の国策決定者達のホンネからは、「重要国防資源ノ急速獲得」という大東亜戦争の現実的な戦争目的さえ透けて見えるだろう。

そして後半の、


  占領地領域ノ最終的帰属並ニ将来ニ対スル処理ニ関シテハ別ニ之ヲ定ムルモノトス


…とは、(巷間、語られることのある)「植民地解放」などという戦争目的が、大日本帝國の最高指導層のホンネの議論で語られる性質のものではなかったことを示している。

結局、「占領地領域ノ最終的帰属並ニ将来ニ対スル処理ニ関シテ」の決定を待たずに、帝國は昭和16年12月8日の対米英開戦を迎えてしまう。

 

 

開戦翌年の昭和17年3月14日の第九十五回大本営政府連絡会議になって、やっと「占領諸地域ノ帰属及統治機構」についての議論が行われたが、そこで表明された大日本帝國の最高指導層のホンネを復習しておこう。前回は全文をご紹介したので、今回は各人の発言からの抜書きで、「植民地解放」への関心を見せることなく、「重要国防資源ノ急速獲得」への関心を率直に示した、国務と統帥の最高指導者達の姿を確認することとしたい。

 
 大蔵大臣 「ジャバ」本土ノミヲ独立セシメタル理由如何

 山本局長 軍事上ノ必要アリ「スマトラ」ハ取ラネバナラズ「ボルネオ」モ然リトシテ切リ詰メテ来ルト結局「ジャバ」本土ノミ残ルコトトナリタル次第ニシテ大シタ理由ナシ

 大蔵大臣 独立サセテ置イテ種々制限ヲ加ヘル位ナラ始メヨリ独立セシメザル方遥カニ有利ナリ
  「ジャバ」ノ如キハ「ズーッ」ト永ク軍政ヲ行フヲ要スベシ

 企画院総裁 軍政ハ「ズーッ」ト永ク施行セザルベカラズ、過早ニ蘭印ニ独立ヲ約シタリナドシテ増長我儘サセテハナラヌ(大蔵大臣強ク同意)
  独立セシムト言フモ実質的独立ニハ非ズシテ相当ノ干渉ヲ受クル独立ナラズヤ、何レニセヨ今ヲ独立ト決定スルハ過早ナリ

 書記官長 何モ左程遠慮スルノ要ナシ、敵国領有シアリシモノナルヲ以テ其ノ儘之ヲ取ツテモ一向差支無シ

 軍令部次長 南方占領地域ハ全部帝国領土トスルコト可能ナラバ申分無キモノ


 総理 然ラバ「ジャバ」モ皆我ガ手ニ収メザルベカラズ

 

…と、実にミモフタモナイと言うしかないホンネが続くのであった。
 

 

ここでは、対米英開戦を一年以上遡る、昭和15年9月19日の御前会議での議論も見ておこう。

 

陸軍大臣 

 石油ニ関シテハ陸軍ニ於テモ海軍同様之ヲ重要視シアリ此ノ問題ヲ推シ進メレハ結局蘭印ノ問題トナルヘシ本件ニ関シテハ組閣早々大本営政府連絡会議ニ於テ時局処理要綱ヲ定メ支那事変ヲ速ニ解決スルト共ニ好機ヲ捕捉シテ南方問題ヲ解決スヘク蘭印ニ関シテハ暫ク外交的措置ニ依リ其重要資源ノ確保ニ努メ又場合ニヨリテハ武力ヲ行使スル事アルヘキ旨略々決定シアリ決シテ無方針ニ進行シアル次第ニアラス固ヨリ蘭印資源ノ獲得ハ平和的手段ニヨルヲ望ムモ又状況ニヨリ武力行使ヲモ定メ政府ノ方針ハ決定シアリ

枢府議長

 外相ノ方針ヲ聴キ又陸相ヨリ対南方ノ方針既ニ決定シタル旨ヲ承知シ結構ト存ス蘭印ハ目下石油資源ヲ獲得スル唯一ノ所ナリ

 

…という言葉を、日独伊の「三国同盟」を主題としたその日の「御前会議控へ 次長記述」中に見出すことが出来る。

ここにある、


 蘭印ニ関シテハ暫ク外交的措置ニ依リ其重要資源ノ確保ニ努メ又場合ニヨリテハ武力ヲ行使スル事アルヘキ旨略々決定シアリ

 対南方ノ方針既ニ決定シタル旨ヲ承知シ結構ト存ス蘭印ハ目下石油資源ヲ獲得スル唯一ノ所ナリ


…との認識こそが、国策としての大東亜戦争を支えていたことを、事実として、深く味わっておくべきだろう(米国による対日石油全面禁輸措置は翌年昭和16年8月になっての話なのであって、ここに示された「対南方ノ方針」は石油禁輸の結果のものではないことに留意しておきたい)。

 

 

 

 

こうして、大東亜戦争をめぐる大日本帝國の最高指導層のホンネの言葉を時系列で振り返ることで、昭和20年7月17日に至っての、「最高戦争指導会議決定第二十七号」における「帝国ハ可及的速カニ東印度ノ独立ヲ容認ス」という「方針」の現実的意味合いも見えてくるだろう。

 

昭和20年7月17日という時点では、既に制海権を奪われた大日本帝國に、蘭印の「重要資源」の存在は意味を失っていたのである。つまり、当初の蘭印(インドネシア)領有の意味は失われていたのである。

蘭印独立容認で、大日本帝國が失うものが何もなくなった時点。それが昭和20年7月17日であったと考えなければならない。

蘭印(インドネシア)民族の「独立」、蘭印の植民地状態からの「解放」は、大東亜戦争における大日本帝國の緒戦の勝利によってもたらされることはなく、大東亜戦争における大日本帝國の敗北必至の状況こそがもたらしたものなのであった。

 

 

 

 

 

 



Binder: 現代史のトラウマ(日記数:665/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2010/07/12 00:14
    しかし、ここまでミモフタモナイ話が続出とは思わなかった。

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