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続・陸軍参謀本部ノ観察セル支那ノ現状

2010/08/09 08:06

前回に引き続き、陸軍参謀本部による「支那事変(日中戦争)前」の現状認識が実際にどのようなものであったのかについて、参謀本部自身の作成文書により確認しておきたい。

 

 

  

     対支政策の検討(案)

          (昭和十一年九月一日 参謀本部第二課)


一、皇国の外交政策は国防国策大綱に於て已に明示されあり即ち近き将来に於て皇国は名実伴ふ東亜の盟主たらざるべからず之が為国内革新と相俟ちて真に弱小諸民族を抱擁し幇助し彼等をして皇国の真の姿を知らしめ皇国を賛仰せしむるに足る仁愛侠義の政策を実行せざるべからず

二、今対支政策を此見地より考察するに

1、支那国民性と四億を擁する民族社会、換言すれば半法治たる支那国との分別を不知不識の間に混淆して政策を行ふことなきや

2、現代軍政権の分析に急にして裏面に於て軍政権を支持し徐ろに東亜民族の分裂を策する欧米の野望を考察することの足らざることなきや前者は其国民性が日本国民性と相容れざる点より理非を超越して軽侮し極端なるものに至りては動物的観察が支那知識の窮極の如く論ずるものあり之を直ちに政治的日支国家間の諸問題に移すが故帝国が其欧米依存主義の是正を要求しつつ我れ自ら彼を欧米依存に追い込む奇現象を将来する結果となり誠に自省分別の足らざるものと謂ふべし、後者は前者と関連して民族相鬩ぐの謀計に陥り前者に於ける日本朝野の一大覚醒なくんば東亜聯盟の如き一口号に了らんのみ換言すれば欧米の恐るるところは日本の所謂対支仁愛政策にして彼らの最も希望する所は民族相鬩ぐ日本の感情的圧迫政策なり

三、若し夫れ皇国が不断の圧迫政策によりて対支政策を進捗せしめんとせば

(1) 強制すべき理想を有せざるべからず

 此理想は冒頭論ぜるが如く道義に立脚せる民族扶助にして此間感情的国民性論の介入を許さず凡有方面より之を扶け以て皇国の一大決勝戦を準備すべきこと恰も現満洲国に於て満軍を凡有手段により関東軍の友軍とするが如く不撓不屈の自省心と侠義仁愛の道徳的政策ならざるべからず

 更に具体的に論ずれば我対支政策は日本的独我心を排除し日本的利益のみに終始する小乗的諸工作を一掃すべきなり是を以て皇国々内満洲北支に於ける理想実現こそ対支政策の根源なるべく此理想実現なくして強制圧迫政策の如き意義なきを知るべし

(2) 此圧迫政策を強行せんとせば強制するに足る実力を有せざるべからず

 結局に於て南京政府を撃破屈服せしむるの覚悟を要す

 イ、今対支戦争を開始するとせば彼我の形勢頗る不利と謂はざるべからず

  (詳細略す)

  (奈翁を亡ぼせるものは西班牙なるを反省せよ)

 ロ、対蘇戦争は英米の好意を有せざれば不可能に近し

 ハ、英米との関係良好なる場合対蘇戦争行はるるも支那の向背は我に対し決定的ならず

四、国防国策大綱に基く皇国の維新は全国力の合理的運用を要求す従て軍は独我小乗の見を棄て全国力の総動員に俟つべく外交の如き須く外交官に一任し軍は軍自体の職分に邁進し若し対支観察に於て研究に於て外交官より優れたるものあれば之を外交官に教へ与へ以て外交を援助すべき也

 試みに支那側より対日観察せんか軍あり軍の中に陸海あり而して外交官あり何れに従ふべきか其去就に迷ふ反面彼らの最も得意とする反間苦肉の計に陥ることあるべく由来外交は一元なり然るに外務軍務に岐るる其因由固より已むを得ざるものありしが軍も今日に於ては自省して外務使臣を助け其職分を奪ふが如きことなき様深く謹まざるべからず

五、結語

 対支政策の根源は一、満洲国の王道楽土的建設、二、日本民族の仁愛侠義の道徳的政策、三、報復を要求するが如き打算政策の打破、四、支那を繞る欧米勢力の撃滅準備是れ也而して出先軍部は常に一旦緩急の場合に即応する純作戦的調査偵諜業務を主任務とすること当然ならざるべからず

 

     (現代史資料 8 『日中戦争 1』 みすず書房 1964)

 

 

 

 

昭和11年9月の時点での、参謀本部第二課による分析・提言である。

以下に抜書きした反省が、その後の政戦略の策定において生かされていれば、支那事変の拡大もなく、三国同盟締結の必要もなく、南方進出を急ぐ理由もなく、対米英戦を始めることにもならず、昭和20年8月15日の「玉音放送」を迎えることもなく、東アジアの植民地保有国として大日本帝國は存続していたはずである。たった4年間の対米英戦で、靖国に200万を超える新たな英霊を加える必要はなかったのである。もちろん、「ヒバクコク」となることもなかっただろう。

 

参謀本部第二課作成の文書中に見出されるのは、

 

 

 支那国民性と四億を擁する民族社会、換言すれば半法治たる支那国との分別を不知不識の間に混淆して政策を行ふことなきや

 

 其国民性が日本国民性と相容れざる点より理非を超越して軽侮し極端なるものに至りては動物的観察が支那知識の窮極の如く論ずるものあり

 

 帝国が其欧米依存主義の是正を要求しつつ我れ自ら彼を欧米依存に追い込む奇現象を将来する結果となり誠に自省分別の足らざるものと謂ふべし

 

 欧米の恐るるところは日本の所謂対支仁愛政策にして彼らの最も希望する所は民族相鬩ぐ日本の感情的圧迫政策なり

 

 我対支政策は日本的独我心を排除し日本的利益のみに終始する小乗的諸工作を一掃すべきなり

 

 皇国々内満洲北支に於ける理想実現こそ対支政策の根源なるべく此理想実現なくして強制圧迫政策の如き意義なきを知るべし

 

 奈翁を亡ぼせるものは西班牙なるを反省せよ

 

 従て軍は独我小乗の見を棄て全国力の総動員に俟つべく外交の如き須く外交官に一任し軍は軍自体の職分に邁進し若し対支観察に於て研究に於て外交官より優れたるものあれば之を外交官に教へ与へ以て外交を援助すべき也

 

 試みに支那側より対日観察せんか軍あり軍の中に陸海あり而して外交官あり何れに従ふべきか其去就に迷ふ

 

 

…のような言葉であった。

実に味わい深い観察・分析ではないだろうか?

大東亜戦争に至る大日本帝國の抱えていた弱点が、大東亜戦争を未曾有の敗戦へと導いた大日本帝國の抱えていた構造的弱点が、ここに網羅されているようにさえ思える。

 

 

 

大東亜戦争に至る祖国の歴史、そして未曾有の敗戦という亡国の事態に至る祖国の歴史を反省的に見ようと志す者にとっては、この陸軍参謀本部作成の文書は大きな示唆を与えるものであるはずだ。

歴史を、ただひたすら自己礼賛の道具として取扱おうとする者達(誠に自省分別の足らざるものと謂ふべし)には、「都合の悪い真実」となるに違いないにせよ…

 

 

さて、ここではもう少し、「都合の悪い真実」に向き合う作業を続けることにしよう。 

 

 

 

     帝国外交方針及対支実行策改正に関する理由竝支那観察の一端

          (昭和十二年一月六日 参謀本部第二課)


一、西安事件を楔機として隣邦支那は次の二の観点に要約せらる

一は内戦反対の空気の醸せること二は国内統一の気温の醸製せられたること而して二者は共に自然発生的傾向を有す

二、右ニ個の事態は互いに表裏を形成し満州事変及北支問題によりて拍車づけられ逐次軍閥争覇時代を経由せるが如し

 更に之を分析すれば現代支那の上部機構は衆知の如く軍政党の三部門に分れ軍は封建割拠の姿勢を持すと雖政及党力は克く大乱の導引を禦ぎあり政力最も活発なるときは必ず列強角逐の事態を従伴し党に至りては其力の緩急により或は軍に抑へられ或は軍政を抑ゆることありと雖最近の党力の普遍浸透性は啻に藍衣社系CC団系励志社等手製傍系組織以外に民衆特に青年層を風靡し最も注目すべき横断層を成形するに至れり

三、帝国は何を以て右党力を重視すべきか他なし其発生因由及過程に於て第三国特に共産党との連関ありと雖党の一変体とも称すべき抗日人民戦線派の実体は正当なる新支那建設運動に転化せらるべき多大の期待を有するにあり

 之を新支那建設運動に転化せしむる一大動因は実に帝国が従来の帝国主義的侵寇活動を放棄し純正大和民族としての誠心を同策に反映せしむることに依りて決す

四、如此き事態に立到り日支現下の先鋭深刻状態を正道に入らしめなば必然帝国々是たる日支提携特に日支経済提携の実手段を要望せざるを得ざるに至るべし

五、之を国防国策大綱に照応せしめんか対外一大決戦前に於ける対支政策は実に叙上外交政策と吻合するものにして曩に当課より一案として「対支政策の検討」を提案せる所以茲にあり

六、惟ふに帝国々策は国策大綱に示されあるが如く東亜聯邦を成形し支那を東亜聯盟の一員たらしむるにあり

 支那を右聯邦の一員たらしむる為には先づ帝国の政策をして大御心を奉戴する大義公正に則らざるべからず此見地よりすれば必然新建設運動竝統一運動には援助の労を吝むべからざるは勿論侵略的独占的優位的態度の是正を要望せざるを得ざるなり

 右方針に立脚する皇国の真諦根幹は悠久にして欧洲流外交国策は一時的成果を追ふ非道義的なることを判別せざるべからず

七、本改正意見固より帝国外交官憲の管掌する所なるも既往軍部の意思が対支外交に於て骨幹を為せる見地よりして一大転向を軍自ら行ふの責を有す

八、主要列強に対する外交は帝国の東亜経綸を以て中枢として調整すべきが故本理由は主として対支外交に就て述べたり

 

     (現代史資料 8 『日中戦争 1』 みすず書房 1964)

 

 

 

これも、昭和12年初頭の参謀本部の認識、ということになる。


前回にもご紹介した、「南京事件否定論への視点 2 便衣兵の姿」(http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-3e58.html)へのコメントを思い出そう。南京事件(こちらは昭和12年12月の話だ)を取上げた記事をめぐり、コメント主は当時の歴史的背景として、

 

 中央政権を自称する勢力が多数存在し、

 対日本以前から血みどろの内戦を繰り広げていたこと、

 

…を主張していたのだが、

 

 一、西安事件を楔機として隣邦支那は次の二の観点に要約せらる

 一は内戦反対の空気の醸せること

 二は国内統一の気温の醸製せられたること

 而して二者は共に自然発生的傾向を有す

 二、右ニ個の事態は互いに表裏を形成し満州事変及北支問題によりて拍車づけられ逐次軍閥争覇時代を経由せるが如し

 

…と、当時の参謀本部第二課は観察していたのである。

 

 これは明らかに第二次世界大戦戦勝国側、連合国側の主張…

 

…などではないのだ。

 

 

隣邦支那の「内戦反対の空気」、そして「国内統一の気温」が「拍車づけられ」た背後には、「満州事変及北支問題」が存在すること、つまり、大日本帝國の中国大陸における露骨な権益追求姿勢が存在することを、参謀本部自身が認めているのである。

その上で、

 

 之を新支那建設運動に転化せしむる一大動因は実に帝国が従来の帝国主義的侵寇活動を放棄し…

 

…と主張しているのだ。なんと、ここでは、それまでの自らの祖国(そして陸軍自身)の振る舞いに関し、「帝国が従来の帝国主義的侵寇活動」とまで言い切っているのである。

 

また、

 

 最近の党力の普遍浸透性は啻に藍衣社系CC団系励志社等手製傍系組織以外に民衆特に青年層を風靡し最も注目すべき横断層を成形するに至れり

 

…とは、つまり、国民党傘下の組織の枠組みを超えて、蒋介石政権への支持が拡がっているとの認識である。

であるからこそ、

 

 此見地よりすれば必然新建設運動竝統一運動には援助の労を吝むべからざるは勿論侵略的独占的優位的態度の是正を要望せざるを得ざるなり

 

…という言葉が発せられるわけである(ここでも「侵略的独占的優位的態度」との表現が用いられている)。

 

 

 

第二次世界大戦戦勝国側、連合国側の主張ではまったくない視点から、かつての大日本帝國の歴史を確認しておきたい。

亡国の事態に至った祖国の歴史(国体の精華としての敗戦?)を直視する覚悟がない者達(誠に自省分別の足らざるものと謂ふべし)には縁のない話なのかもしれないが…

 

 

 

 

 


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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2010/08/09 08:24
    以前の記事のココログ用リライト。
    2つを1つにまとめているので長いが、問題を把握しやすくはなっているはず。
    ( ↑ 読解力がある限りの話だが、タヌキは立ち入り禁止なので大丈夫)

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