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飛虎隊伝説 (3)

2010/08/23 23:14

昭和16年4月15日。米国大統領フランクリン・ローズヴェルトは、

ある重要な大統領令(行政命令)に署名、直ちにその命令が実行に移されました。そしてその命令とは、


 「米国空軍・海軍・海兵隊軍人は、クレア・リー・シェノールト陸軍大佐麾下の「フライング・タイガース」戦闘機部隊に志願すべし」


というものだったのです。

 

 

…というお話が、歴史的事実を反映していないことは、前回までに明らかにすることが出来たものと思う。


昭和16年4月15日の時点では、米国はまだ「空軍」を保有していなかったし(空軍が組織として独立するのは戦後のことである)、クレア・リー・シェノールトが1937年に米国陸軍を退役した際の最終階級は陸軍大尉であった。存在しない米国「空軍」の軍人に、存在しないクレア・リー・シェノールトという名の陸軍「大佐」麾下の戦闘機部隊への「志願」を、米国大統領が「命令」したり、それが「実行に移され」たりすることなど、原理的にあり得ない話なのであった。

 

 

 

さて、ネット上の情報によれば、上記の話には、

 

 

「フライング・タイガース(以下、飛虎隊と略)」とは、蒋介石軍(支那軍)の空軍顧問だった米軍佐官・クレア・リー・シェノールト(支那名は陳納徳、日本では一般にシェンノートと書かれる事が多い)が、蒋介石夫人・宋美麗の資金提供を受け、米国陸海軍航空隊に所属していた一癖も二癖もあったならず者の現役戦闘機パイロット約100名と、整備士等の地上支援要員約200名をもって創設した傭兵戦闘部隊「アメリカン・ヴォランティア・グループ(American Volunteer Group:略称「AVG」)の事です。

 

 

…という解説が附されている。

これを読む限りでは、「傭兵戦闘部隊」への「一癖も二癖もあったならず者の現役戦闘機パイロット約100名と、整備士等の地上支援要員約200名」が簡単であったような印象を受けるのだが、実際には、それほど思い通りに進んだわけでもないようである。

『ウィキペディア』の記述を信じれば、という話ではあるが、実際には、

 

 

派兵計画は当初、大統領直属の官僚であるLauchlin Currieが指揮し、資金融資に関してもフランクリン・D・ルーズベルト大統領の友人であるトミー・コルコランが作り上げたワシントン中国援助オフィスを経由して行うといった形をとった。また中立上の立場から直接の軍事援助を行わず、中国国民党軍が資金を使い部隊を集める形式を取った。1940年の夏にシェンノートは中華民国空軍増強の目的で優れたパイロットを集めるためにアメリカ合衆国に一時帰国した。


アメリカ本土に到着したシェンノートは早速、ルーズベルト大統領の後ろ盾を受け100機の戦闘機と100名のパイロット、そして200名の地上要員をアメリカ軍内から集める権利を与えられ、アメリカ軍隊内で早速パイロットの募集を募った。シェンノートの理想は当然、メンバーは戦闘機乗りであること、飛行錬度は高いことが条件であった。採用されたパイロット達全員は義勇の名目からアメリカ軍を一旦退役する必要があった。またAVGとしての活動中、パイロット達には下記の条件が与えられた。


 軍退役後は全メンバーに一時金500ドルを支給
 中国での軍務の終了後、元の階級での空軍復帰を約束
 毎月600ドルを全てのパイロットに支給
 月支給プラス敵機を1機撃墜するごとに500ドルを支給


パイロット募集の結果、シェンノートの下にはかつて彼と共に飛んだ「フライング・トラピーズ」(陸軍統括の飛行部隊)のメンバーも数名加わり、それなりにベテランパイロットは揃い始めた。しかしその後は思ったように集まることはなく最終的にはシェンノートが理想としていた基準は落とさざるを得なかった。さらに募集した人員の中には機体の扱いなどには未熟な者も多かった為、中国現地にてメンバーに対し再訓練が必要であった。


募集名簿がすべて埋まった時、AVGのパイロットは39州から海軍50名・陸軍35名・海兵隊15名の合計100名で編成された。しかし戦闘機訓練と航空機射撃の訓練を受けてきたパイロットはこの中の僅か1/3しかおらず、むしろ爆撃機の経験者の方が多かった。そこでシェンノートは本国で提唱していたが無視され続けてきた一撃離脱戦法を、隊員たちに徹底的に訓練させた。部隊名は中華民国軍の関係者からは中国故事に習い彼らを「飛虎」と名づけ、世界からはワシントンD.C.に置かれた「中国援助オフィス」が設立した「フライングタイガース」の名称で知られるようになる。
(→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%B9
 
 
…という経緯を辿ったようである。
この『ウィキペディア』記事も、「中国での軍務の終了後、元の階級での空軍復帰を約束」という記述、つまり「空軍」という表記をしているわけで、どこまで信頼すべきなのか?という問題がないわけではない。
しかし、アラン・アームストロング(『「幻」の日本爆撃計画』)によれば、
 
 
 V.D.チャップライン大佐は、ニミッツ提督に宛てた極秘覚書でパイロットに対する海軍の必要度について記している(1941年10月18日付の文書である−引用者)。海軍全体として一九四二年一月の時点で七五〇〇名のパイロットを必要とすることになっていた。だが実際には、パイロットは六八〇〇名しかいなかった。そのうちで経験者(つまり実際に機能している飛行隊に一年或はそれ以上勤務した者)は、三一九四名しかいなかったのである。このような事情から、チャップラインの覚書の左下の隅に「除隊資格者は、空母における艦上発着訓練を始める前に飛行訓練センターを卒業した者に限るべきである」と誰かが注釈を書き加えている。
 海軍はもっとも経験豊かなパイロットを必要としていたから、ノックス長官はカリーに書簡を送り、こう断言している。「……小職は、除隊有資格者は海軍飛行訓練センターの最近の卒業生で、飛行訓練を終了し、海軍飛行士として任命された直後から三カ月以内の者に限定されるべきと考える。…
 
 
…という事情も、現実であったわけである。この1941年という年は、ヨーロッパでの戦争が始まってから既に2年が過ぎた時点なのであり(「支那事変」の5年目)、錬度の高い戦闘機パイロットをわざわざ除隊させて、「傭兵戦闘部隊」へと供給することに躊躇する海軍当局者の態度は合理的なものだ。
ベテラン戦闘機パイロットの確保を望んでいたシェンノート(シェノールト)の目論見に対し、米軍自身の都合が優先されたであろうことは、疑う必要がないように思われる。結果として「シェンノートが理想としていた基準は落とさざるを得なかった」ことは、『ウィキペディア』の記事通りの事実であったと考えられる。
 
 
 
米国の参戦が、現実的課題として浮上しつつある渦中での話なのである。チャーチルとルーズベルトによって「大西洋憲章」が発表されたのは、1941年の8月のことだったことを思い出しておくべきであろうか? 「大西洋憲章」の第六項には、
 
 第六に、ナチス専制主義の最後的破壊ののちに、両国は、全地上の人類が恐怖と欠乏から自由に生活しうるような平和を確立することを欲する。
 
…と書いてある。つまり、米国大統領は英国首相と共に、既にこの時点で、「戦後」の構想を語っていたのである。
英国単独での「ナチス専制主義」への勝利は考えられず、米国大統領にとって、既に参戦は選択肢に組み入れられていた、と考えておく必要がある。
先に示したのは、そんな背景の下での海軍首脳の判断なのであり、それがシェンノート(シェノールト)の目論見の障害となったわけである。
 
 
 
 

 


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Binder: 現代史のトラウマ(日記数:651/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2010/08/24 00:53
    なんだか、表示が変だが(名物の障害?)、入力画面には問題ないようだ。

  • Comment : 2
    umasica :桜里
     2010/08/24 01:09
     ↑
    入力し直して復旧。

  • Comment : 3
    Mr.Dark
    Mr.Darkさん
     2010/08/24 01:25
    一機撃墜につき、ボーナス500ドルですか。
    フライング・タイガースの戦果(自己申告)は誇張されたものばかりでイイカゲンだったという話を聞いたことがありましたが‥。
    当時の500ドルって、どれくらいの価値だったかが気になりますね。

  • Comment : 4
    umasica :桜里
     2010/08/24 22:10
    Mr.Dark 様


    >当時の500ドルって、どれくらいの価値だったかが気になりますね。

    図書館で、当時の広告をチェックしてみました。

    パッカードの1941年モデルが1000ドルちょっと。
    ビュイックが700ドル台。
    車種忘れた大衆車が600ドル台。
    …というわけで、2機撃墜すると、いいクルマが手に入る。
    月給が600ドルだから、いい儲けではあったでしょうね。

    >フライング・タイガースの戦果(自己申告)は誇張されたものばかりで…

    これはあとでネタに取り入れようかと…

  • Comment : 5
    umasica :桜里
     2015/09/20 10:05
    加筆修正の上、ココログ版の「現代史のトラウマ」記事としてアップ。


     飛虎隊伝説 (2)
     http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-b7de.html

  • Comment : 6
    umasica :桜里
     2015/09/21 22:10
    《タイトルを変更した》

     飛虎隊伝説 (2)

       ↓

     飛虎隊(フライング・タイガース)伝説 2

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