umasica :桜里さんのマイページ

飛虎隊伝説 (5)

2010/08/25 22:07

前回の続きとして、

 

 

蒋介石夫人・宋美麗の資金提供を受け、米国陸海軍航空隊に所属していた一癖も二癖もあったならず者の現役戦闘機パイロット約100名と、整備士等の地上支援要員約200名をもって創設した傭兵戦闘部隊「アメリカン・ヴォランティア・グループ(American Volunteer Group:略称「AVG」)

 

 

…の実像を追ってみたい。ネット情報では、「解説」は、

 

 

「AVG」は、機体の機首部分に吊り目と鮫口(シャーク・マウス)、主翼に支那(中華民国)のマーク「青天白日旗」が描かれた、当時の米軍最新鋭戦闘機・カーチスP−40──これは、米国で成立した武器貸与法に基づいて供与された機体──を擁し、一般には「飛虎隊」の名で知られており、「AVG」の名よりもむしろこちらのほうが知名度が高く、AVGは知らないが飛虎隊は知っているという方が多いと思います。

 

 

…と続いている。ここでは、「蒋介石夫人・宋美麗の資金提供を受け、米国陸海軍航空隊に所属していた一癖も二癖もあったならず者の現役戦闘機パイロット約100名と、整備士等の地上支援要員約200名をもって創設した傭兵戦闘部隊「アメリカン・ヴォランティア・グループ(American Volunteer Group:略称「AVG」)」が使用した「当時の米軍最新鋭戦闘機・カーチスP−40」が、「米国で成立した武器貸与法に基づいて供与された機体」だと「解説」されている。しかし、実際には、米国からのカーチスP−40の提供に際し、「武器貸与法」は発動されてはいないと考えられる。私の読んだ限りでは、「武器貸与法」の発動による「供与」であることを明言、少なくとも示唆する内容の記述は、このネット上の解説(怪説?)以外にはない。

実際、アラン・アームストロング(『「幻」の日本爆撃計画』)によれば、

 

 

 ブルース・レイトン退役少佐の一九四一年の報告から、中国政府が中国で航空戦隊を組織するために必要な借款とその他の援助を取り決めるため、一九四一年に特別使節団をワシントンに派遣したことは明らかである。レイトン少佐は、アメリカの一億ドルの対中借款がまとまり、合衆国は当時イギリスに割り当てられていたP−40戦闘機一〇〇機を中国に放出する予定である、と記している。P−40は高性能で複雑な戦闘機だから、戦闘で有効に活用し、訓練中の事故で失われないようにするために、アメリカ軍の退役パイロットが操縦すべきだという決定がなされた。レイトン少佐はさらに次のように述べている。「……明らかな理由で、中国で考慮されている種類の計画に加担する者は、合衆国政府と関係があってはならない」。…

 

 

…ということなのであり、別の箇所では、レイトンの残した記録から、

 

 

 当初の計画では、カーティスP−40一〇〇機を中国に輸送することが必要だった。そのあと、武器貸与法の下で、相当数の追加分の航空機の供与と当初の計画の拡大の手はずが整ったが…

 

 

…との文章も引用されている(つまり、「武器貸与法」の活用が検討されたは「そのあと」の話、ということなのである)。

「米国陸海軍航空隊に所属していた一癖も二癖もあったならず者の現役戦闘機パイロット約100名と、整備士等の地上支援要員約200名をもって創設した傭兵戦闘部隊(AVG)」が使用した100機のP−40は、「武器貸与法」に基く供給ではなく、「アメリカの一億ドルの対中借款」を利用した「売却」だったのである。ここには、むしろ、より以上に巧妙な(あるいは慎重な)米国政府の姿勢さえ読み取れるのではないだろうか。あくまでも、航空機メーカーから航空機運用業者への「売却」として処理されることで、米国政府の公式的な関与は存在しないことに出来るのである(それに対し、「武器貸与法」の適用は、米国政府の公式関与を宣言することになるものとなる)。「中国で考慮されている種類の計画に加担する者は、合衆国政府と関係があってはならない」という言葉の背後にある、合衆国政府関係者の巧妙かつ慎重な姿勢を理解しなければならない。

 

シェノールト(シェンノート)のフライング・タイガース(飛虎隊)をめぐるネット上のお説には、歴史的事象を取扱う上での慎重さが皆無であることが再確認出来るように思われる。ネット上の情報にデタラメが多いことは事実ではあるが、それはデタラメ情報を「拡散」することを正当化する理由にはならないことは言うまでもない。

 

 

 

さて、「一癖も二癖もあったならず者」の一人について、カール・モールズワース『太平洋戦線のP−40ウォーホークエース』(大日本絵画 2002)の記述を読もう。

 

 

 エイジャックス・ボームラー大尉もそのひとりであったが、米義勇航空群に送られた他の操縦者とは違って、彼には戦闘経験があった。まず1930年代中盤、米陸軍航空隊に奉職、その後退職して1936〜1937年、スペインで人民戦線の戦闘機乗りとして飛んだ。前線での7カ月間で、撃墜4.5機を報じた後、ボームラーは帰国し米陸軍航空隊に復職した。1941年、米義勇航空隊に参加するため、ふたたび辞職しようとしたが、中国に向かう最初の試みは真珠湾攻撃によって妨げられ、かれは陸軍航空隊に戻った。しかし、彼は、まだ紙上の存在でしかなかった第23戦闘航空群の隊員として、まんまと中国への派遣割り当てを獲得した。1942年5月、ボームラーはとうとう昆明に到着し、翌月、もっと東にある米義勇航空隊の基地、衡陽へと向かった。

 

 

…という経緯をたどり、ボームラーは、米陸軍航空隊に編入される前の米義勇航空隊の一員となり、日本軍との戦闘に従事したわけである。

次回は、世界史的文脈の下で、ボームラーの経歴がどのような意味を持つものであるのかについて考えてみたい。

 

 

 

 

 


Binder: 現代史のトラウマ(日記数:656/全体に公開)
Gg[ubN}[N
最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2010/08/25 22:28
    ボームラーの経歴は、まるで『カサブランカ』のリックである。
    (写真で見ると小柄な印象を受ける)

  • Comment : 2
    Mr.Dark
    Mr.Darkさん
     2010/08/26 00:20
    これは、明日も楽しみです!

    えっ?

    「そんな先のことは、わからない」

    えぇ!?

  • Comment : 3
    umasica :桜里
     2010/08/26 08:40
    Mr.Dark 様


    >「そんな先のことは、わからない」

    こういうセリフを言ってみたいもので…
    (「そんな昔のことは覚えていない」というのは毎日のセリフのような気も)


    次回、ヴィクター・ラズロ登場の予定ではありますが…

  • Comment : 4
    umasica :桜里
     2015/09/20 10:06
    加筆修正の上、ココログ版の「現代史のトラウマ」記事としてアップ。


     飛虎隊伝説 (2)
     http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-b7de.html

  • Comment : 5
    umasica :桜里
     2015/09/21 22:12
    《タイトルを変更した》

     飛虎隊伝説 (2)

       ↓

     飛虎隊(フライング・タイガース)伝説 2

このブログにコメントをつけるには、ログインする必要があります。
マイページをお持ちでないひとは「マイページを作成する」ボタンを押してマイページを作成してください。
不適切なブログを見つけたら、こちらからご報告ください!

Mail Address(GMO ID):

Password:

自動ログインパスワードを忘れた方

最近書いたブログ


http://www.freeml.com/feed.php?u_id=316274&f_code=1



Copyright(C)2017 GMO Media, Inc. All Rights Reserved.