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笑止、笑殺、黙殺 (原爆投下とソ連対日参戦)

2010/11/07 21:37

昭和20年8月7日の高見順の日記には、原爆投下をめぐって、


「大変な話――聞いた?」
 と義兄はいう。
「大変な話?」
 あたりの人をはばかって、義兄は歩廊に出るまで、黙っていた。人のいないところへと彼は私を引っぱって行って、
「原子爆弾の話――」
「……!」
「広島は原子爆弾でやられて大変らしい。畑俊六も死ぬし……」
「畑閣下――支那にいた……」
「ふっ飛んじまったらしい」
 大塚総監も知事も――広島の全人口の三分の一がやられたという。
「もう戦争はおしまいだ」
 原子爆弾をいちはやく発明した国が勝利を占める。原子爆弾には絶対に抵抗できないからだ、そういう話はかねて聞いていた。その原子爆弾が遂に出現したというのだ。――衝撃は強烈だった。私はふーんと言ったきり、口がきけなかった。対日共同宣言に日本が「黙殺」という態度に出たので、それに対する応答だと敵の放送は言っているという。
「黙殺というのは全く手のない話で、黙殺するくらいなら、一国の首相ともあろうものが何も黙殺というようなことをわざわざいう必要はない。それこそほんとうに黙っていればいいのだ。まるで子供が政治をしているみたいだ。――実際、子供の喧嘩だな」
 と私は言った。


     高見順 『敗戦日記〈新装版〉』 (文春文庫 1991)


…と、書かれている。


ポツダム宣言「黙殺」をめぐっては、既に「現代史のトラウマ」で取上げているのだが(http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-5633.html)、今回はあらためて詳細を追ってみたい。

 

 

 

まず、国内的な第一報の新聞記事を読もう。『讀賣報知』の昭和20年7月28日の記事には、

 

 

 笑止、對日降伏條件
  トルーマン、チャーチル、蒋連名
     ポツダムより放送す


【チューリヒ特電廿五日發】トルーマン、チャーチルおよび蒋介石は廿五日ポツダムより連名で日本に課すべき最後的條件なるものを放送した、右條件要旨次の如し
 以下の各條項は吾々の課すべき降伏の條件なり、吾々はこの條件を固守するものにして他に選択の余地なし、吾々は今や猶余するところなし
一、世界制服を企つるに至れるものの権威と勢力は永久に芟徐されるべきこと、軍國主義を放逐すること
一、日本領土中聨合國により指定せらるる地点は吾々の目的達成のため占領せらるること
一、カイロ宣言の條項は実施せられるべく日本の主権は本州、北海道、九州、四國およびわれわれの決定すべき小島嶼に限定せらるること 
一、日本兵力は完全に武装解除せらるること
一、戰争犯罪人は厳重に裁判せらるること、日本政府は日本國民に民主主義的傾向を復活すること、日本政府は言論、宗教および思想の自由並びに基本的人権の尊重を確立すべきこと
一、日本に留保を許さるべき産業は日本の経済を維持し且つ物による賠償を支拂得しむる如きものに限られ、戰争のための再軍備を可能ならしむるが如き産業は許さざること、この目的のため原料の輸入は許可せらるること、世界貿易関係に対する日本の参加はいづれ許さるべきこと
一、聨合國の占領兵力は以上の目的が達成され且つ日本國民の自由に表明されたる意志に基づく平和的傾向を有する責任政府の樹立を見たる場合は撤退せらるること
一、日本政府は即刻全日本兵力の無條件降伏に署名し且つ適切なる保証をなすこと、然らざるにおいては直ちに徹底的破壊を齎らさるべきこと



 國内、對日両天秤
  老獪な謀略
   敵宣言の意圖するもの


トルーマン、チャーチルおよび蒋介石の三名は別項特電の通り廿五日のポツダム放送において對日降伏條件なるものを公表したが、右の各條項は何れもカイロ宣言の延長擴大に外ならず、欧洲戰の終末大東亜戰争の最終段階突入の世界情勢を背景として次の如き意圖を織り込んだ多分に謀略的要素を有するものであることはいふまでもない
一、ドイツに對し無條件降伏一点張りでドイツをして最後まで抵抗せしめそれによつて必要以上の損害を受けたことに米國内に非難があるため今回は方針を改めて対日勧告をなし自國民の諒解を求めんとしたこと
一、國内に平和要望の聲が次第に高いため彼らからみて相当緩和した條件を出して、もし日本がこれを肯んぜず戦争を継續せんとするならばあくまで戰はざるを得ずと自國民を納得せしめ戰意の昂揚に資せんとしたこと
一、硫黄島、沖縄における米側の犠牲が多大であつたに鑑み日本がこれを受諾せざる場合は戰争を継續するより他なし、従つて更に大なる犠牲を忍ばねばならぬことを明らかにし自國民の覺悟を促したこと
一、自らの武力の壓倒的に大なることを誇示し日本の敗戰気分を醸成し併せて日本の軍民離間を狙つたこと



 戰争完遂に邁進
   帝國政府問題とせず


敵米英並びに重慶は不逞にも世界に向かつて日本抹殺の對日共同宣言を發表、我に向かつて謀略的屈服案を宣明したが、帝國政府としてはかかる敵の謀略については全く問題外として笑殺、断乎自存自衛のための大東亜戰争完遂に擧國邁進、以て敵の企圖を粉砕する方針である


 敵對日共同宣言内容報告
     定例閣議


廿七日の定例閣議は午後一時から首相官邸に鈴木首相以下各閣僚出席の下に開かれ東郷外相より目下ポツダムに於いて進行中の三頭會談に付随してトルーマン、チャーチル、蒋介石の三者連名により發せられた對日共同宣言の内容につき詳細なる報告あり同五時散會した
 

 

…と書かれている。ここでは、


 笑止、對日降伏條件

 帝國政府問題とせず

 帝國政府としてはかかる敵の謀略については全く問題外として笑殺


…といった文言に注目しておきたい。

第二報となる7月30日の紙面は、

 

 

 冷静に、軍を信頼し
  待て敵撃滅の好機
    空襲激烈下 生産力は十分
 首相・必勝の穏忍を説く


敵の空襲は愈々激化し機動部隊並に潜艦の本土艦砲射撃また頻々と傳へられ本土決戰の機運愈々濃化しつつある折柄敵米、英、重慶は笑止にもトルーマン、チャーチル、蒋介石三者の名を以て我に降伏を強いる對日共同宣言を廿七日ポツダムより世界に向かつて放送、今次大戰の短期終結を急ぐ自らの焦躁を暴露した、かかる内外の緊迫せる情勢下、鈴木首相は廿八日午後首相官邸において内閣記者團と會見、左の如き一問一答をなしたが、首相は特に
一、敵の空襲並に艦砲射撃に対して軍が本格的遨撃作戦を行つてゐないのは軍獨自の作戰的見地から出てゐるのであつて、國民はあく迄も冷静に軍を信頼し只管敵撃滅の好機を待つべきこと
一、敵の三國共同宣言はカイロ会談の焼き直しで何等価値を認めず政府としてはあく迄必勝の信念の下に大東亜戰争完遂に邁進する決意であること
一、敵の熾烈な空襲にも拘らず我が生産力は地下工場の進捗により決して悲観すべき状態ではなく現在月数千機の航空機生産が可能であること
を言明、國民に必勝の信念に基く穏忍と勤勞意欲の昂揚を要請、満々たる必勝の信念を吐露したことは注目される
(以下「一問一答」の詳細記事が続くが、ポツダム宣言関連事項のみ引用)
問 廿七日の三國共同宣言に〇〇首相の所信如何
答 私はあの共同声明はカイロ会談の焼き直しであると考へてゐる、政府としては何等重大な価値あるとは考へない、ただ黙殺するだけである、我々は戰争完遂に飽く迄も邁進するのみである

 

 

…というものであり、ここに、あの有名な「黙殺」の語が登場するわけである。つまり、


 私はあの共同声明はカイロ会談の焼き直しであると考へてゐる、政府としては何等重大な価値あるとは考へない、ただ黙殺するだけである、我々は戰争完遂に飽く迄も邁進するのみである


…ということなのだ。

 

ここでの「黙殺」という語のニュアンスが、第一報記事の、


 笑止、對日降伏條件

 帝國政府問題とせず

 帝國政府としてはかかる敵の謀略については全く問題外として笑殺


…との態度の延長として考えられてしまうのは当然のことであろう。

 
 

参考までに、当時の辞典上での「黙殺」という語の取り扱いを見ておこう。
 

【黙殺】
 他人の言動に対して是非をいはず、為るがままにしておくこと。
 見のがすこと。見て見ぬふりをすること。
     (平凡社『大辞典』昭和11年初版)

現在の語感に比べて、若干、穏やかな印象である。これが最近のものだと、

【黙殺】
 〔「黙」は無の意、「殺」は強めの言葉〕
 〔他人の発言・行動などを〕無視して全く問題にしないこと。
     (三省堂『新明解国語辞典第二版』)

…と、より強いニュアンスに変化している。この変化の背景には、ポツダム宣言「黙殺」の歴史が埋め込まれているのかも知れない。

ポツダム宣言に対して、


 笑止、笑殺、帝國政府問題とせず


…との日本政府による評価が、国家による言論統制下の新聞紙上で報じられ、その上で、


 私はあの共同声明はカイロ会談の焼き直しであると考へてゐる、政府としては何等重大な価値あるとは考へない、ただ黙殺するだけである


…との首相談話が、ダメ押し的に掲載されたわけである。そこに演じられたのは、まさに、


 〔他人の発言・行動などを〕無視して全く問題にしないこと


…としての「黙殺」という行為であった。

 

 

その「黙殺」が大日本帝國にもたらしたのが、原爆投下とソ連参戦だった。

いや、より正確には、原爆投下と対日参戦の正当化の理由を米ソそれぞれに提供したのが、大日本帝國の首相によるポツダム宣言「黙殺」談話なのであった。

          (その詳細は次回)

 

 

 

 

 

 



 読み込み中...
Binder: 現代史のトラウマ(日記数:651/全体に公開)
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