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大日本帝國憲法と日本国憲法 (その連続と断絶・第二稿)

2010/12/04 23:02

 

  『御前会議の末席を汚してご聖断を拝し余りの辱さに感涙滂沱たるものがありました、現人神に存ずればこそで臣下の顧慮の及ぶところではありませぬ、本当に生神様であらせられるといふことを畏れ多いことながら観念でなく現実に拝して身も慄ふ感激に打たれました』ある閣僚は涙を溜めて謹話した、大方針決した刹那の尊きその光景を拝察するとき、われわれは皇國に生を享けた感激に泣かざるを得ない。そしてこの感激は今日只今からのわれわれの行動を律するものであらねばならぬ、親政厳として一切の夾雑物を排しわが心魂に〇るる思ひである、この親政に一切の私欲を棄てて随順し奉ることが皇國再生の活路であり、そしてまた敗戰欧洲にみるが如き恥辱と混沌からわが國家民族を護る唯一の途である
     (『朝日新聞』 昭和二十年八月十五日  〇は判読不能文字)

 

 

この、昭和20年8月15日の『朝日新聞』記事には、大日本帝國憲法下の天皇の姿が、凝縮的に表現されていると言えるだろう。

ポツダム宣言受諾決定の御前会議に出席していた「ある閣僚」の、


  御前会議の末席を汚してご聖断を拝し余りの辱さに感涙滂沱たるものがありました、

  現人神に存ずればこそで臣下の顧慮の及ぶところではありませぬ、

  本当に生神様であらせられるといふことを畏れ多いことながら観念でなく現実に拝して身も慄ふ感激に打たれました


…という言葉にある、「現人神」として「臣下」に対し「ご聖断」を下す天皇の姿であり、


  この親政に一切の私欲を棄てて随順し奉ることが皇國再生の活路


…と主張する朝日新聞記者の言葉の中に見える、「皇國再生の活路」としての「親政」(への「随順」)の文字である。

 

 

つまり、大日本帝國憲法の条文から抜書きすれば、

 

 第一章 天皇
第一條
大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二條
皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス
第三條
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四條
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
第六條
天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
第十條
天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ條項ニ依ル
第十一條
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第十三條
天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス
 第四章 國務大臣及樞密顧問
第五十五條
國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス
第五十六條
樞密顧問ハ樞密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ應ヘ重要ノ國務ヲ審議ス
 (大日本帝國憲法)

 

…といった文言で規定された、憲法上の天皇の地位・権能が現実に機能する姿を、この『朝日新聞』記事から読み取ることが出来るわけである。ここでは、「統治権ヲ総攬シ」、「陸海軍ヲ統帥ス」る地位にある天皇が、「法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命」じる主体として、「戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結」する権能の下に、「和ヲ講」ずべきことを、御前会議出席の臣下を前に、その「執行ヲ(ご聖断として)命」じているのだ。

 

清水澄博士の『逐条帝國憲法講義』(昭和7年)には、


  憲法トハ統治権ノ所在ヲ宣明シ立憲政治ノ法則ニ基キ統治権行使ノ形式ヲ定メタル大則ヲ謂フ其ノ成文法タルト不文法タルトハ問フ所ニ非ス立憲政体ヲ定ムル国家ノ根本法ハ即チ憲法タルナリ

  統治権ハ意思ノ力ニシテ国家ノ意思ハ何人カノ自然ノ意思ニ出テサルヘカラス其ノ自然ノ意思ハ即チ統治権ナリ我カ国ニ於テハ国家ノ意思ハ天皇ノ自然意思ニ出ツ国家ノ意思ト天皇ノ意思トハ一ニシテ二ニ非ス国家ノ意思ト天皇ノ意思トハ相同化シテ一体ヲ為シ国家ノ統治権ノ主体ナリト謂フハ即チ天皇カ統治権ノ主体ナリト謂フニ同シ


…とあったことを思い出そう。あくまでも、


  我カ国ニ於テハ国家ノ意思ハ天皇ノ自然意思ニ出ツ

  国家ノ意思ト天皇ノ意思トハ一ニシテ二ニ非ス

  国家ノ意思ト天皇ノ意思トハ相同化シテ一体ヲ為シ国家ノ統治権ノ主体ナリト謂フハ即チ天皇カ統治権ノ主体ナリト謂フニ同シ


…ということなのである。

大日本帝國憲法の、


  天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ


…との文言にある天皇の姿と、日本国憲法の、


第一章 天皇
第一條
天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であつて、この地位は、主權の存する日本國民の總意に基く。
第二條
皇位は、世襲のものであつて、國會の議決した皇室典範の定めるところにより、これを繼承する。
第三條
天皇の國事に關するすべての行爲には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四條
1.天皇は、この憲法の定める國事に關する行爲のみを行ひ、國政に關する權能を有しない。
2.天皇は、法律の定めるところにより、その國事に關する行爲を委任することができる。
第六條
1.天皇は、國會の指名に基いて、内閣總理大臣を任命する。
2.天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七條
天皇は、内閣の助言と承認により、國民のために、左の國事に關する行爲を行ふ。
 (日本国憲法)


…との各条文に規定された天皇の姿の違いは大きい。

清水澄博士の言葉を流用すれば、日本国憲法においては、


  我カ国ニ於テハ国家ノ意思ハ「国民」ノ自然意思ニ出ツ

  国家ノ意思ト「国民」ノ意思トハ一ニシテ二ニ非ス

  国家ノ意思ト「国民」ノ意思トハ相同化シテ一体ヲ為シ国家ノ統治権ノ主体ナリト謂フハ即チ「国民」カ統治権ノ主体ナリト謂フニ同シ


…ということになるのであって、そこに「国民主権」であることの意味が見出されなければならない。

 

 

大日本帝國憲法の下では、


  天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス

  國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス


…ということなのであり、つまり、総理大臣以下の国務大臣は天皇に任免され、「統治権ノ主体」として「統治權ヲ總攬」する天皇の統治行為を「輔弼」するのであって、そこに「国民の意思」は介在しないのである。あくまでも「国家ノ意思」としての「天皇ノ意思」を(「法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス」天皇の権能を)、「輔弼(サポート)」するのが国務大臣に期待された役割なのである。
首相は「大命降下」という形式で天皇に直接指名され(つまり、ここにも「国民の意思」は介在し得ない)、その首相が各国務大臣を選任するわけだが、構図としては、各国務大臣の地位も天皇の「大命」の下にあることになる(つまり「天皇ノ意思=国家ノ意思」であることが、ここにも貫徹されている)。

それに対し、日本国憲法下では、


日本國民は、正當に選擧された國會における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成果と、わが國全土にわたつて自由のもたらす惠澤を確保し、政府の行爲によつて再び戰爭の慘禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主權が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも國政は、國民の嚴肅な信託によるものであつて、その權威は國民に由來し、その權力は國民の代表者がこれを行使し、その福利は國民がこれを享受する。
 (日本国憲法前文)


…とあるように、日本國民は、


  正當に選擧された國會における代表者を通じて行動し、

  ここに主權が國民に存することを宣言し、

  そもそも國政は、國民の嚴肅な信託によるものであつて、その權威は國民に由來し、その權力は國民の代表者がこれを行使し、その福利は國民がこれを享受する。

…との構図(つまり「統治権ノ主体」としての「國民」である)の下にあり、天皇は、


  天皇の國事に關するすべての行爲には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
  天皇は、この憲法の定める國事に關する行爲のみを行ひ、國政に關する權能を有しない。


…という以上の存在ではない。政治的決定に天皇が関与することはないのである。

「國政に關する權能を有」していたのが、帝國憲法下の天皇だったのであり、その「國政に關する權能」を「輔弼」するのが、帝國憲法下の國務大臣の任務であったわけだ。國務大臣を任免するのも天皇であり、「法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス」るのも天皇であった。つまり政治的決定の主体(統治ノ主体)としての天皇の「輔弼」が、帝國憲法下での臣下としての閣僚・國務大臣の役割だったのである。
「憲法の定める國事に關する行爲のみを行」う天皇に、つまり政治的決定には関与せず「国事行為」のみを行う天皇に「助言と承認」を与える内閣は、


  國政は、國民の嚴肅な信託によるものであつて、その權威は國民に由來し、その權力は國民の代表者がこれを行使し、その福利は國民がこれを享受する


…という構図の下にある存在なのである。

要するに天皇による「國事に關する行爲」は、「國民の嚴肅な信託」に基づき成立する内閣の「助言と承認」の下にのみ行われるものなのであって、つまり(統治ノ主体としての)国民の承認を抜きにはなし得ないものなのである。


大日本帝國憲法下の、國務大臣による天皇への「臣下」としての「輔弼」と、日本国憲法における天皇の「國事行爲」への「内閣の助言と承認」は、まったく異なるものなのである。

そこにあるのは、天皇(=主権者)への「臣下」による「輔弼」と、主権者としての国民(内閣を経由するものではあるが)からの天皇(=象徴)への「助言と承認」の違いなのである。

 
 
 
 

 


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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2010/12/04 23:52
    少々の加筆修正をしたが、表現のくどさが気になる。
    ネトウヨレベルの読解力相手では難しすぎるかも知れない。
    しかし、くどく書かないと、問題の所在が理解出来ない可能性も残る。

    アホ相手を想定するか、ネット上の基礎資料化を焦点と考えるべきか?

  • Comment : 2
    umasica :桜里
     2010/12/05 01:32
    とりあえず、これでココログにアップ。

    「日本国の象徴と、國體の本義 15」
     → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-535e.html


    より加筆修正し、
    ココログ版の方がマシにはなっていると思うが、
    そもそも、ネトウヨ君には長文読解は無理なんだよなぁ…

  • Comment : 3
    たぬき男いたち男
     2010/12/05 09:11
    第一章 「たぬき」
    第一條
    「たぬき」は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であつて、この地位は、主權の存する日本國民の總意に基く。

  • Comment : 4
    たぬき男いたち男
     2010/12/05 19:29
     「たぬき」御前会議の末席を汚してご聖断を拝し余りの辱さに感涙滂沱たるものがありました、

     現人神に存ずればこそで臣下の顧慮の及ぶところではありませぬ、

     本当に生神様であらせられるといふことを畏れ多いことながら観念でなく現実に拝して身も慄ふ感激に打たれました

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