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大日本帝國憲法と日本国憲法 (その連続と断絶・裁可)

2010/12/11 21:03

 大日本帝國憲法中の、

 

 第一章 天皇
第四條
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
第六條
天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
 第四章 國務大臣及樞密顧問
第五十五條
國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス
 

…といった規定と、日本国憲法中の、

 

 第一章 天皇
第一條
天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であつて、この地位は、主權の存する日本國民の總意に基く。
第三條
天皇の國事に關するすべての行爲には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四條
1.天皇は、この憲法の定める國事に關する行爲のみを行ひ、國政に關する權能を有しない。
第七條
天皇は、内閣の助言と承認により、國民のために、左の國事に關する行爲を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び條約を公布すること。
 

…等の条項の意義の違いの根底にあるのは、主権者が誰であるのかの相違なのであった(前回の話)。
 「統治權ヲ總攬」する天皇とは、主権者としての天皇であり、「大権」の保持者としての天皇なのである。それに対し、日本国憲法下では、主権者は国民なのであり、天皇の「大権」と呼ばれるものは存在しない。

 

 「大権」の性質を考える上で、帝国憲法上の「裁可」と「輔弼」が、実際に、どのような性格のものとして構想されていたのかを確認することは、問題のより深い理解の獲得につながるものと思われる。

 

 

 今回も前回に続いて、戦前の、つまり大日本帝國憲法下の日本を代表する憲法学者と考えられる、清水澄博士の憲法論を読むことにしたい。清水博士によれば、「裁可」の問題と「輔弼」の問題は、

 

  【法律不裁可の許容】
議会ノ議決ハ、必ズシモ天皇ヲ拘束スルモノニ非ズシテ、議会ノ可決シタモノト雖、之ヲ斥ケテ、法律トセラレザルヲ妨ゲズ

  【国務大臣の輔弼に対する採択の自由】
輔弼トハ、国務大臣ガ、天皇ノ大権ノ行動ニ対シ、自己ノ意見ヲ、天皇ニ奉呈シテ、其ノ御採択ヲ奉請スルノ謂ナリ。……但シ大臣ノ意見ヲ御採択アラセラルルト否トハ、一ニ天皇ノ御自由ニ属スルモノニシテ、天皇ノ之ヲ御採択アラセザルルトキハ、大臣ハ、仍私見ヲ主持シテ、大権ノ発動ヲ阻害シ奉ルベキ限リニ在ラズ。自ラ意見ヲ変更シテ、天皇ノ御思召ニ循由スルカ、又ハ敬ンデ骸骨ヲ乞フノ外ナキナリ。而シテ憲法上大権行使ノ要件トシテ、天皇ガ、国務大臣ノ輔弼ニ頼ラセラルルコトヲ要スト言イフハ、只大臣ノ意見ヲ聴カセラルベキノ意ニシテ、敢テ之ヲ採ラセラルベキノ義ニ非ズ。
     (菅谷幸浩 「清水澄の憲法学説と昭和戦前期の宮中」 年報政治学 2009−1 ただし後註:1参照)

 

…ということになるのである。
 「議会ノ議決ハ、必ズシモ天皇ヲ拘束スルモノニ非ズシテ」とは、つまり、帝国憲法下の天皇には、「裁可」の権のみでなく「不裁可」の権もあるということを意味する。

 そして、国務大臣による「輔弼」に関しても、「而シテ憲法上大権行使ノ要件トシテ、天皇ガ、国務大臣ノ輔弼ニ頼ラセラルルコトヲ要スト言イフハ、只大臣ノ意見ヲ聴カセラルベキノ意ニシテ、敢テ之ヲ採ラセラルベキノ義ニ非ズ」とされているのであり、天皇が「大臣ノ意見」には拘束されることのない存在であることが示されているのである。

 そこに「大権」の保持者としての天皇の姿を見出す必要がある(天皇個人の意思・振る舞いの問題とは別に、天皇に関する憲法の規定が政治的に果たしてしまう問題の根幹として)。

 

 今回は、特に「裁可」の問題に焦点を絞り、大日本帝國憲法上の「大権」の保持者としての天皇を支える法的論理の実際を味わうこととしたい。

 

 

 清水澄博士の「法律ノ裁可ヲ論ス」(法学協会雑誌 明治37年)という、そのものズバリのタイトルの論文から、「第一 裁可ノ性質」、「第三 裁可ト拒否(Veto)」、「第四 裁可者」、「第五 裁可権ノ実行」を抜書きしてみよう。そこには、

 
          第一 裁可ノ性質
法律ヲ制定スルニ付テハ其内容ヲ確定スル行為ト之ニ命令ノ力ヲ与フル行為(ドイツ語表記省略)ト之ニ命令ノ力ヲ与フル行為(ドイツ語表記省略)トヲ区別セサルヘカラス而シテ其内容ヲ確定スル行為ハ議会ノ協賛ニシテ之ニ命令ノ力ヲ与フル行為ハ裁可ナリ法律ニシテ其内容確定セラレ且之ニ命令タルノ力ヲ附与セラルルトキハ之ニテ法律ハ完成スルモノナルカ故ニ或ハ「裁可ハ法律ヲ完成スル行為ナリ」ト称スルナリ又法律案ノ内容ヲ如何ニ確定スルモ之ニ命令タルノ力ヲ附与セサルトキハ法律トシテ認メラルへキモノニアラサルカ故ニ或ハ裁可トハ法律案ヲ法律トナスノ行為ナリト称スルモノナキニアラサルナリ茲ニ於テ単ニ法律案ノ内容ヲ確定スルニ過キサル議会ヲ立法権ノ行使ニ参与スルモノナリト考ヘ或ハ議会ヲ立法機関ナリト称スルハ共ニ誤レルコトヲ容易ニ知ルコトヲ得ヘシ何トナレハ法律ニ命令タルノ力ヲ与フル裁可ハ立法行為ノ本体ニシテ法律案ノ発案及議会ノ協賛ハ事前ノ予備行為ニ過キス又公布ノ如キハ後発ノ結果トシテ発生スルモノニ外ナラス而モ議会ノ行動ハ其予備行為ノ一部ニ参与スルモノナレハナリ

          第三 裁可ト拒否(Veto)
今日尚裁可ト拒否トヲ同一視シ裁可トハ(Recht des absoluten Veto)即チ絶対拒否ノ権ナリト唱フル人ナキニアラスト雖モ(リヨンネ氏普国国法論第四版第一巻三九〇頁以下)此両者ハ其性質ヲ異ニスルモノニヨリ之ヲ同一視スルヲ得サルモノナリ即チ拒否トハ行政権ガ立法権ヲ制御スル方法ニシテ此説ノ結果ハ議会立法者ニシテ元首ハ単ニ拒否ノ権ニヨリ之ヲ制御スルノ機関タルニ過キサルコトトナルナリ之ハ天皇ハ立法権ヲ行フトノ我憲法ノ主旨ニ適合セサルモノト云フヘシ然ラハ裁可ハ如何ナル点ニ於テ拒否ト異ルヤト云フニ拒否ハ消極的ノ作用ナルモ裁可ハ積極的ノ作用ナリ又拒否ハ法律ノ成立ヲ妨ケントスル作用ナルモ裁可ハ積極的ニ法律タルノ効力ヲ附与スルモノナリ

          第四 裁可者
裁可ハ已に述ヘタル如ク法律ヲ完成スル国法上ノ行為ニシテ即チ立法ナリ故ニ裁可者ノ立法者タルコト明ナリ我憲法第五條ニ天皇ハ立法権ヲ行フト規定シ天皇ノ立法者タルコトヲ明カニセルニヨリ第六條ノ「天皇ハ法律ヲ裁可シ」ノ明文ナキモ裁可権天皇ニ属スルコト当然ナリ又立法権ハ統治権ノ一面ニシテ統治権其モノニ外ナラサレハ立法者ハ統治権ノ総覧者タルト共ニ裁可者ハマタ統治者タルコト疑ナキモノナリ故ニ国ノ元首カ統治権ヲ掌握セサル国例ヘハ英米仏ニ於テハ法律ノ裁可権其国王ニ属スルコトナク只此等ノモノハ拒否権ヲ有スルニ過キサルナリ而カモ此等ノ拒否権モ英国ニ於テハ永ク行ハレタルコトナクマタ仏米ニ於テハ拒否シタル場合ニ必ス議会ニ再議ヲ求ムヘク議会ニ於テ再ヒ同一ノ議決ヲナシタルトキハ大統領必ス之ヲ公布セサルヘカラサルモノトシテ其拒否権執行ノ範囲ヲ大ニ制限セリ

          第五 裁可権ノ実行
裁可者カ裁可権ヲ行フニツキ左ノ原則存在セリ
第一 (略)
第二 (略)
第三 裁可者ハ裁可ヲ与フルノ権ヲ有スルト共ニ与ヘサルノ自由ヲ有スルモノナリ殊ニ裁可者ハ政府ノ原案ヲ変更スルコトナク議会ニ於テ協賛ヲ与ヘタル場合ニ於テモ尚ホ其法律案ニ対シ裁可ヲ与フルヲ拒ムコトヲ得ルナリ(註釈省略)
第四 裁可ヲ与フルト与へサルトハ全ク自由ニシテ之ヲ与ヘサル場合ニモ裁可者ハ其事由ヲ説明スルノ必要ナキナリ
 

…と書かれているのである(註:2)。中でも、


  裁可者ハ裁可ヲ与フルノ権ヲ有スルト共ニ与ヘサルノ自由ヲ有スルモノナリ

  殊ニ裁可者ハ政府ノ原案ヲ変更スルコトナク議会ニ於テ協賛ヲ与ヘタル場合ニ於テモ尚ホ其法律案ニ対シ裁可ヲ与フルヲ拒ムコトヲ得ルナリ


…との文言に、まずは注目しておくべきであろう。

 

 もちろん、この認識は、清水澄博士による恣意的憲法解釈の結果などではない。

 憲法制定過程での議論の、いわば前提だったのである。

 

裁可及公布ノ大権既ニ至尊ニ属スルトキハ、其ノ裁可セサルノ権及公布執行ノ緩急ヲ定ムルノ権ハ従テ至尊ニ属スルコト、謂ハスシテ知ルヘキナリ。

     (「憲法説明書」 枢密院での憲法案審議の際に用意された文書 伊藤博文の『憲法義解』の底本だという 註:3)

 

裁可ノ權既ニ至尊ニ属スルトキハ其ノ裁可セサルノ權ハ之ニ従フコトハ言ハスシテ知ルヘキナリ

     (伊藤博文 『憲法義解』 ただし、文言は蓑田胸喜 『學術維新原理日本』中の引用による)

 

裁可ハ天皇ノ独有主権ナリ。

天皇ハ自由ニ裁可シ又ハ裁可セザルコトヲ得。

故ニ天皇ノ裁可権ハ、其提議権ノ為ニ束縛セラレ、帝国議会ニ対スル政府ノ宣言ノ為ニ羈束セラレ、及帝国議会ノ決議ノ為ニ左右セラルルコトナシ。

天皇ハ議会ノ決議ニ反シ法律ヲ裁可スルコトヲ得ズト雖モ、議会ノ決議シタル法律ヲ裁可スベキ羈束ヲ受クルコトナシ。

     (伊藤巳代治 「大日本帝国憲法衍義」 註:4)

 

 憲法制定過程での枢密院における審議で用いられた資料文書、憲法制定事業の中心にあった伊藤博文による憲法注解書、そして伊藤博文の下で憲法条文案起草作業に従事した伊藤巳代治による注釈と、そのどれをとっても、「裁可権」と同時に「裁可セザルノ権」の天皇にあることを明言しているのである。
 

 
 そこにある論理は、再び清水澄博士に登場願えば、日本では、


  立法権ハ統治権ノ一面ニシテ統治権其モノニ外ナラサレハ立法者ハ統治権ノ総覧者タルト共ニ裁可者ハマタ統治者タルコト疑ナキモノナリ


…からなのであり、それに対し、


  国ノ元首カ統治権ヲ掌握セサル国例ヘハ英米仏ニ於テハ法律ノ裁可権其国王ニ属スルコトナク只此等ノモノハ拒否権ヲ有スルニ過キサルナリ

  而カモ此等ノ拒否権モ英国ニ於テハ永ク行ハレタルコトナクマタ仏米ニ於テハ拒否シタル場合ニ必ス議会ニ再議ヲ求ムヘク議会ニ於テ再ヒ同一ノ議決ヲナシタルトキハ大統領必ス之ヲ公布セサルヘカラサルモノトシテ其拒否権執行ノ範囲ヲ大ニ制限セリ


…ということになるのである。

 つまり、「国ノ元首カ統治権ヲ掌握セサル国」である「英米仏」の「国ノ元首」が保有するのは「拒否権」に過ぎず、その「拒否権」なるものは、議会で再議決がなされれば効力が失われてしまう「執行ノ範囲ヲ大ニ制限」された「権」なのだ(天皇の「大権」は、「執行ノ範囲ヲ大ニ制限」されるようなものではない)。
 もちろん、今さら言うまでもないことだとは思うが、現行憲法においては、天皇には、「内閣の助言と承認により、國民のために、左の國事に關する行爲を行ふ」ことが求められている。そこには、「裁可セザルノ権」は存在しないし、「拒否権」すら存在しないのである。

 

 

 

 大日本帝國憲法と日本国憲法の間の断絶は、それほどに大きいのである(帝國憲法下での天皇が「裁可セザルノ権」を存分に行使するようなことはなかったが、しかし行使しうる存在であったことの政治的意味の大きさは、敗戦に至る歴史を考える上で無視すべき問題ではない、ということ、だ)。

 

 

 

 最後に、


  自分は旧憲法においても現行憲法でも天皇のあり方という点において変わってないように見える。

…というご意見をお持ちの方のために、清水澄博士の経歴をご紹介しておこう。


 『ウィキペディア』記事には、

 

慶応4年(1868年)、石川県金沢市に生まれる。
東京帝国大学法科を卒業。ドイツへ留学後、学習院教授となる。明治38年(1905年)、法学博士号を取得する。大正15年(1926年)2月27日帝国学士院会員。
宮内省及び東宮御学問所御用掛となり、大正天皇、昭和天皇に憲法学を進講した。行政裁判所長官、枢密院顧問官・副議長を経て、敗戦後、昭和21年(1946年)6月13日最後の枢密院議長に任ぜられる。
 

…と記されている、昭和天皇自身の憲法観を考える上でも、忘れてはならぬ人物なのである。筋金入りの立憲主義者であると同時に、「天皇大権」に支えられた「国体」の観念に身を捧げた人物であった。『ウィキペディア』記事を続ければ、

 

枢密院が廃止され、昭和22年(1947年)5月3日に日本国憲法が施行された後の同年9月25日、日本の国体の危機を憂い、熱海錦ヶ浦海岸から投身自殺を遂げた。
遺言に当たる「自決ノ辞」には、


新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團体及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ我國ノ將來ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ併シ小生微力ニシテ之ガ對策ナシ依テ自決シ幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈願セント欲ス之小生ノ自決スル所以ナリ而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ択ビタルハ楚ノ名臣屈原ニ倣ヒタルナリ
元枢密院議長  八十翁 清水澄  法學博士  昭和二十二年五月 新憲法実施ノ日認ム
追言 小生昭和九年以後進講(宮内省御用係トシテ十数年一週ニ二回又ハ一回)シタルコト従テ龍顔ヲ拝シタルコト夥敷ヲ以テ陛下ノ平和愛好ノ御性質ヲ熟知セリ従テ戦争ヲ御賛成ナカリシコト明ナリ


と記し、大日本帝国憲法に殉じ、自殺をすることと、その自殺が中国の戦国時代の楚国の屈原が汨羅(べきら)の淵に投身自決した故事に倣ったことが記されている。そして、公人としての最後の責任を全うするために、自らの想いとは別に最後の枢密院議長として新憲法の審議に尽力したのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%BE%84

 

…という形で、清水博士は「大日本帝国憲法に殉じ」、自らの命を絶ったのである。

 「自決ノ辞」にある、


  小生昭和九年以後進講(宮内省御用係トシテ十数年一週ニ二回又ハ一回)シタルコト


…との文言からは、昭和天皇の抱いていた憲法観と清水博士の憲法論との距離の近さが推察されるであろう。同時に、


  従テ龍顔ヲ拝シタルコト夥敷ヲ以テ陛下ノ平和愛好ノ御性質ヲ熟知セリ従テ戦争ヲ御賛成ナカリシコト明ナリ


…という言葉にも注目したい。昭和天皇の「平和愛好ノ御性質ヲ熟知」し、「戦争ニ御賛成ナカリシコト明」かだという清水博士の言葉を疑う理由はない。昭和天皇の「平和愛好ノ御性質」、「戦争ニ御賛成ナカリシ」にもかかわらず、あの未曾有の敗戦に至る戦争の時代として進行した昭和の歴史の背後には、大日本帝國憲法が存在する。敗戦は(その前提としての開戦の問題も含め)、帝国憲法の「大権」条項が生み出した政治の帰結なのであり、21世紀の現在を生きる我々は、その構図を把握し理解しなければならないのである。
 

 いずれにせよ、清水澄博士には、「旧憲法においても現行憲法でも天皇のあり方という点において変わってない」などと考えることは出来なかったのだ。日本国憲法下の「戦後民主主義」に骨の髄まで浸潤された身(「GHQの洗脳」の被害者、とまでは言わないが)には想像もつかないことなのかも知れないが…

 
 

 
註:1 引用した文言は、須賀博志 「清水澄博士の帝国憲法御進講」 2009(http://book.geocities.jp/geirinjp/suga.pdf)に依った。菅谷論文の方は未読である。「裁可」や「輔弼」に関する文言は、確かに清水澄博士のものと思われるが、ネット情報のコピペで済ましてしまう安易な手法は採りたくないので、あらためて「註:2」以下の文献に当った次第である。

註:2 『清水澄博士論文・資料集』(原書房 1983)

註:3 清水伸 『明治憲法制定史 (下)』(原書房 1973) 原著は昭和15年、岩波書店刊

註:4 江村栄一 校注 『日本近代思想大系 9  憲法構想』(岩波書店 1989)
 

 

 

 

 



 読み込み中...
Binder: 現代史のトラウマ(日記数:651/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2010/12/11 21:54
    …というわけで、もう少し手を加えた上で、
    「日本国の象徴と、國體の本義 16」として、
    ココログ版の「現代史のトラウマ」にアップの予定。


    天皇の「大権」について、
    ここまで突っ込んだ理解が得られたのは、
    実はネトウヨ君のおかげである。

     議会ノ議決ハ、必ズシモ天皇ヲ拘束スルモノニ非ズ

     天皇ガ、国務大臣ノ輔弼ニ頼ラセラルルコトヲ要スト言イフハ、
     只大臣ノ意見ヲ聴カセラルベキノ意ニシテ、
     敢テ之ヲ採ラセラルベキノ義ニ非ズ

    …というところまで、
    「天皇大権」が強大なものとして構想されていたとは、
    私も、今回、あらためて調べるまでは知らなかったのだ。

    ネット情報の検索も試したが、
    この問題についての正確な情報は、ほどんど見当たらなかった。
     (少なくとも検索上位には)

    これでネット上のガセネタ洪水への対策にはなるだろうか?

  • Comment : 2
    umasica :桜里
     2010/12/12 00:02
    加筆・修正の上でココログにアップしておいた。

    「日本国の象徴と、國體の本義 16」
      → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-5311.html

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