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他人事としての「あの戦争」、つまり他人事としての支那事変と大東亜戦争

2011/02/10 21:51

 

 俯瞰的視点から、つまり他人事として支那事変というものを眺めれば、


大日本帝國と中華民国国民政府(国民党と共産党の連合体である)との軍事的衝突
   その過程における中国内部での蒋介石への権力の収斂(とその影での中国共産党との対立)


資本主義的搾取の対象としての中国大陸における、権益確保をめぐる大日本帝國と英米の対立
   その際、大日本帝國は英国の既得権の侵害者であると共に、米国の権益獲得への障碍であった


…というファクターの同時進行過程であった、と言うことも出来るであろう。

 つまり…


大日本帝國による大陸での軍事力行使の継続の結果、米英と中国共産党は蒋介石の同伴者となり、対外的にも対内的にも(つまり対日戦継続と国内政治での主導権獲得の両面で)蒋介石は利益を得ることになった。


大日本帝國の軍事力による大陸での権益確保・拡大の試みは、門戸開放・機会均等原則に基づく米国の権益拡大策の妨げとなり、米国を敵とすることに役立った。


…のだということになる。そして…


事変は、対米英戦争へと連続し、最終的には大日本帝國は敗者として大陸から排除された。


勝者であったはずの蒋介石は、新たな敵(実際には旧来の敵であったが)としての中国共産党との闘争に敗北し、大陸から排除された。


英国は、第二次世界大戦による消耗からの恢復が出来ず、国際政治における地位を後退させることになった。


米国は、軍事的勝者として国際政治の主導権を握ると同時に、それまでの孤立主義的政策を放棄することとなり、以後の世界における戦争の主役となっていくことになる。そして米国も、ベトナムとイラクでは「負けた戦争」の体験者となった。


日本は「負けた戦争」の結果、米国の占領による戦後を経験したが、主権回復以後も米国に対する従属的立場を堅持することで経済発展を果たし、国際社会での一定の地位を非軍事的方法により確保することに成功した。


…というそれぞれの歴史的展開を経験することになったわけだ。


 それを「日本は負けて勝ったのだ」などと言うのは、300万の犠牲者のことを顧みない恥ずかしい負け惜しみである。
 戦後の対米従属の下で、非軍事的に戦前以上の経済発展が成し遂げられた事実がある以上、そもそも300万人の死が必要であったのかどうか? 非軍事的に達成可能であったことを、威圧的軍事力行使に頼り、結果として300万人の同朋の死(国外にはさらに2000万人の戦争犠牲者がいる)があるのだとすれば、その国策決定は批判され反省されねばならない。米国との協調の下に、非軍事的に大陸政策を進めていれば、敗戦による占領を免れ、明治以来獲得した植民地を失うこともなく、東京が焼け野原となることもなく、ヒロシマ・ナガサキの悲劇もなく、靖国に200万を超える新たな英霊を加えることもなかったのである(…というのは、もちろん事後的な、つまり結果から語られる仮定に過ぎず、私たちが直視しなければならないのは、事変の目的であったはずの大陸における権益の維持も、大東亜戦争の戦争目的とされた帝國の自存も自衛も果たされなかったという歴史的事実であり、その背後にある膨大な国内外の犠牲者の存在である)。
               (2011年2月10日記)

 


 

 

 


…という話を、


続々々々々・「事変」と「中立」
 http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-a10c.html


への「追記」としてアップしたわけだ。


ここで、「他人事」という視点を採用し、「客観的」とか「中立的」とかいう視点を採用しなかったことには、もちろん理由がある。神ならぬ人間が「客観的」であり得る位置に自らを置くことなど出来ないし、「中立的」であることが対立する両者の中間の位置を言うのだとすれば、これも無意味な話だからだ。

当事者の利害関心から遠く距離を置き、しかも人間に取り得る視点は、「他人事」という視点であろう。

ここでは、「他人」は「当事者」との距離によって成立する。


古代ギリシャの歴史を眺めるように、支那事変そして大東亜戦争という歴史的出来事を他人事として見れば、そこに見出されるのは、日本、中国、米国、英国それぞれの国益追及の姿であり、それぞれの国内における政治的軍事的指導者の権力基盤確立の相補的関係であった。蒋介石、ルーズベルト、チャーチルへの、それぞれの国内政治における求心力の多くの部分は、大陸に進軍する日本軍の存在、ヨーロッパの国境線を軍事的手段により変更しようとするナチスドイツの存在が支えたものだ。

他人事として見るということは、特定の国家の利益、特定の国家の指導者の利益という視点を離れて、国家間(国家指導者間)の利益の相互関係あるいは相補関係として歴史を見る視点につながる。

あるいは、道徳の問題として歴史を考える視点への距離をももたらす。つまり「日本の戦争責任」という発想から距離を置くことを可能にする。

そこに見出されるのは、国家戦略としての成功の有無である。そこに見出される日本の姿は、大陸政策で失敗をした国家の姿として記述されるものであろう。


大陸政策の失敗の結果、300万人の自国民が死んだにもかかわらず、大陸における権益の維持に失敗し、明治以来の植民地すべてを失い、他国による占領という事態に陥った。つまり、道徳的観点を離れて支那事変=大東亜戦争の歴史を対象化すれば、日本の国家戦略の失敗として記述されることになる。大東亜戦争における日本は、「自存・自衛」を戦争の名分とし、その名分の達成に完全に失敗しているということだ。

東京裁判史観・自虐史観とは道徳的歴史観の一種であり、それに対抗するという自由主義史観なるものは、単なる一国主義的な道徳的正当化史観に過ぎない。そろそろ、他人事としての(つまり冷たい視線による)歴史的視点から、「あの戦争」を位置付けることが試みられてもよいのではないだろうか?


まずは、そのようなことを考えていたのであった。






さて、当事者とは、責任の主体であることも意味する。何事に対してであれ、他人事である限り(他人事と見做す、という意味ではなく、あくまでも自らが関与していない出来事であるという意味で)、そこに責任は生じない。「戦争責任」と呼ばれるものは、当然ながら、当事者の上に想定される問題であるはずだ。

開戦の責任であれ、敗戦の責任であれ、あるいは戦争犯罪の命令と実行の責任であれ、それは当事者に対し問われる・問われねばならぬ「責任」であるはずだ。

加害と被害の関係にしても、それは当事者間の関係なのであって、被害者が発生した出来事に関与しない(しなかった・していない)者に対し、責任を問うことは出来ない、はずだ。


曽祖父の犯罪の責任を、曾孫に問うこと・問おうとすることは、本来的に、おかしな話ではないのか?

戦後50年過ぎて生まれた者に、50余年前の開戦の責任であれ、50年前の敗戦の責任であれ、50年前の戦争犯罪の命令あるいは実行の責任であれ、問うことは出来ない、はずだ。


歴史を道徳として考え続けようとする限り、世代を超えた永遠の謝罪が相互から求められるが、しかし、それでは何も解決しない。
当事者ではない現在を生きる人間が、過去の出来事の責任の主体となることは不可能なのである。責任とは、当事者性がもたらす感覚であり、負うべき負担である。


50年過ぎて生まれた者に獲得されている(50年過ぎて生まれた者だからこそ獲得出来る)のは、他人事としての視点(そもそも対象とされているのは自らの関与しない出来事なのである)ではないのか?

他人事として「あの戦争」を見る時に、そこにあるのは、非軍事的に達成可能であったことを、軍事的恫喝で達成しようとして失敗した、ある極東の国家と国民の歴史である。そして三百万の自国の死者と二千万の他国の死者だ。そこには殺す者と殺された者がいる。殺しにやって来た者に殺された者がおり、殺しに出かけて殺された者がいる。加害者と被害者がおり、加害者も被害者に殺された。

他人事であれ、その構図は把握されるだろうし、他人事だからこそ俯瞰的な視点から、全体の布置の中での相互の関係が把握されるだろう。


他人事としての視点がもたらすのは、俯瞰的構図の中での加害者と被害者の存在、殺した者と殺された者の存在であり、その上で、その構図の中での加害者と自らの関係、被害者と自らの関係もまた、新たに見出され得るだろう。

当事者として命令も実行もしていない殺人行為に対し、命令あるいは実行の当事者としての曽祖父とその曾孫という関係性を通して、殺人行為の被害者との関係性もまた発見(再発見?)されるであろう。


そこに、命令ないし実行の当事者であった曽祖父たちとは別の次元の新たな当事者性が見出されるように思われる。

しかし、そこに見出された新たな当事者性は、命令ないし実行の当事者の行為への責任をどのような意味で負い、謝罪の主体となり得るものなのか? あるいは謝罪の主体とはなり得ない性質の当事者性なのか?

そこに一考の余地は残されているように思われるのだ。










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