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会田雄次 『アーロン収容所』を読む (2) リライト

2011/02/18 19:00

 

 会田雄次は、『アーロン収容所』の「まえがき」に、


 

 この経験は異常なものであった。この異常ということの意味はちょっと説明しにくい。個人の経験としても、一擲弾筒兵として従軍し、全滅に近い敗戦を味わいながら奇蹟的にも終戦まで生きのび、捕虜生活を二年も送るということも異常といってよいかもしれない。異常といえば、日本軍が敗戦し、大部隊がそのまま外地に捕虜になるということ自体が、日本の歴史始まって以来の珍しいことである。

 だが私がここで異常というのは、もう少し別の意味においてである。捕虜というものを私たちは多分こんなものだろうと想像することができる。小説や映画やいろいろの文書によっても、また、日本軍に捕らえられたかつての敵国の捕虜の実際を見ることによっても、いろいろ考えることができる。私たちも終戦になったとき、これからどういうことになるだろうかと、戦友たちと想像しあった。ところが実際に経験したその捕虜生活は、およそ想像とかけちがったものだったのである。

 想像以上にひどいことをされたというわけでもない。よい待遇をうけたというわけでもない。たえずなぐられ蹴られる目にあったというわけでもない。私刑(リンチ)的な仕返しをうけたわけでもない。それでいて私たちは、私たちといっていけなければ、すくなくとも私は、英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反感と憎悪を抱いて帰ってきたのである。異常な、といったのはそのことである。

 ビルマで英軍に捕虜となったものの実状は、ほとんど日本には知られていない。ソ連に抑留された人びとのすさまじいばかりの苦痛は、新聞をはじめ、あらゆるマスコミの手を通じて多くの人びとに知られている。私たちの捕虜生活は、ソ連におけるように捕虜になってからおびただしい犠牲者を出したわけでもなく、大半は無事に労役を終わって帰還している。だから、多分あたりまえの捕虜生活を送ったとして注目をひかなかったためもあろう。抑留期間も、ながくて二年余でしかない。そのころは内地の日本人も敗戦の傷手から立ち直るためにのみ夢中のときである。人々の関心をほとんどひかなかったとしても無理はない。


 

…と、書いている(註1)。

 これを読むと、前回のイラワジ河の鉄道隊の人びとの姿は、英軍による捕虜の取り扱いの実際という意味では、むしろ例外的な事例として考えるべきものであることが、あらためてよくわかるだろう。


 英軍の下に経験された会田雄次の捕虜生活は、

 
  想像以上にひどいことをされたというわけでもない。

  よい待遇をうけたというわけでもない。

  たえずなぐられ蹴られる目にあったというわけでもない。

  私刑(リンチ)的な仕返しをうけたわけでもない。

 

  私たちの捕虜生活は、ソ連におけるように捕虜になってからおびただしい犠牲者を出したわけでもなく、大半は無事に労役を終わって帰還している。

  抑留期間も、ながくて二年余でしかない。

 

…と要約されるものだったのである。

 まず、その点を再確認しておきたい。会田雄次の「英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反感と憎悪」は、暴力的な捕虜虐待によって生まれたものではない、ということなのだ。

 
 

 会田のこの文章が書かれたのは1962年のことだ。まだ敗戦(当時の感覚では「終戦」と書くべきか)から17年のことであり、20代後半以上の世代(それが読者層として期待されていた人々だろう)には、戦時の記憶も当事者としてのもの(つまり、「あの戦争」の「戦争体験者」世代だ!)なのである。文中に、


  捕虜というものを私たちは多分こんなものだろうと想像することができる。小説や映画やいろいろの文書によっても、また、日本軍に捕らえられたかつての敵国の捕虜の実際を見ることによっても、いろいろ考えることができる。


…とあるように、「日本軍に捕らえられたかつての敵国の捕虜の実際を見ること」が、読者にも共有され得る体験として想定されているのである。その時代性は、書中での、皇軍内での日常的な暴力行使の実状(そこでは上級者と下級者の関係が、暴力行使の非対称性により再確認され続けるのである―下級者は一方的に殴られ続けられる存在だ)に対する記述の少なさにも帰結しているはずである。つまりそれ(皇軍の暴力性)は、読者にも常識として共有されていることが期待されている種類の(わざわざ言うまでもない)経験なのである。

 ここで会田雄次は、「捕虜というものを私たちは多分こんなものだろうと想像することができる」と書き、その「想像」の可能性の根拠として、「日本軍に捕らえられたかつての敵国の捕虜の実際を見ること」という自身の経験的な知識=捕虜認識を据えているわけだ(繰り返すが、その種の「認識」が読者にも共有されているものとして、つまり自明の前提・世代的常識として、この「まえがき」が書かれていることには留意しておきたい)。その上で、


  私たちも終戦になったとき、これからどういうことになるだろうかと、戦友たちと想像しあった。

  ところが実際に経験したその捕虜生活は、およそ想像とかけちがったものだったのである。


…と、日本軍による連合軍捕虜の取り扱いの実際から想像していた自身の捕虜生活の想定と、実際の捕虜生活が大きくかけ離れたものであったことを語っているわけである。

 繰り返すが、実際の捕虜生活は、事前の想像とは大きく異なり、


  想像以上にひどいことをされたというわけでもない。

  よい待遇をうけたというわけでもない。

  たえずなぐられ蹴られる目にあったというわけでもない。

  私刑(リンチ)的な仕返しをうけたわけでもない。


…として要約されるものなのであった(註2)。

 

 『アーロン収容所』というと、そして英軍による捕虜の取り扱いという話題となると、ネット上に拡散している、あのイラワジ河の鉄道隊の悲惨なエピソードが思い浮かべられてしまうようになってしまっているが、あの鉄道隊兵士の姿は、あくまでも例外的なものだったことを、会田雄次自身の記述から読み取っておかなければならないのである。

 

 
 会田の抱いた「英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反感と憎悪」の根底となったのは、英軍による(「たえずなぐられ蹴られる」というような)暴力的な取り扱い(それは皇軍内では日常であった)などではなく、むしろ恒常的なプライドの侵害の問題だったのである(つまり、精神的なものだ)。対等な人間として取扱われることのない経験なのであった(註3)。

 日本人もまた、朝鮮人、支那人、満人…といった、大日本帝國の統治下・占領下に置かれた人々を対等な存在として取扱おうとはしなかったが、そこでの日本人の優位は、恒常的・直接的な暴力(殴る日本人である)によって示されるものであった。つまり、そこでは、暴力行使の非対称性が、支配関係の優劣を明示するのである(常に殴られる側と常に殴る側の関係として)。

 それに対し、英国人は日本人捕虜に対する直接的な暴力行使はしない。そこでは(彼らにとって)支配関係の優劣は自明なものなのであって、その都度の暴力行使によって再確認される必要さえないものとして取扱われているわけである。支配者としての英国人の地位は自明のことなのであって、日常的な暴力行使による再確認は必要とされていないのだ。圧倒的な優位の感覚は、暴力による再確認など必要としないのである。

 会田雄次が、とことん思い知らされたのは、そのような構図なのであった。殴られもしないのは、そこではむしろ、対等な存在ではない証なのである(註4)。

 

 
 
 

(註1)
 「まえがき」の文章は、


 だが、私はどうにも不安だった。このままでは気がすまなかった。私たちだけが知られざる英軍の、イギリス人の正体を垣間見た気がしてならなかったからである。いや、たしかに、見届けたはずだ。それは恐ろしい怪物であった。この怪物が、ほとんどの全アジア人のすべての不幸の根源になってきたのだ。私たちは、それを知りながら、なおそれとおなじ道を歩もうとした。この戦いに敗れたことは、やはり一つの天譴というべきであろう。しかし、英国はまた勝った。英国もその一員であるヨーロッパは、その後継者とともに世界の支配をやめてはいない。私たちは自分の非を知ったが、しかし相手を本当に理解しただろうか。


…と続く。
 つまり、会田雄次は「植民地解放戦争」であったなどという理屈による「大東亜戦争」の正当化はしていない。会田にとっての大日本帝國は、


 私たちは、それを知りながら、なおそれとおなじ道を歩もうとした。
 この戦いに敗れたことは、やはり一つの天譴というべきであろう。

 私たちは自分の非を知ったが…


…という存在(大英帝国の模倣者であり、模倣の失敗者)なのである。

 ちなみに、アジア・アフリカ諸地域が宗主国からの独立のために闘っていたのが、『アーロン収容所』出版の同時代なのであった。


 しかし、英国はまた勝った。英国もその一員であるヨーロッパは、その後継者とともに世界の支配をやめてはいない。


…とは、当時の現実なのであり、比喩的な表現などではない。

(註2)
 もちろん、あくまでも「よい待遇をうけたというわけでもない」のであって、会田は次のように書いている。


 英軍はこのような危険な作業を他にも平気でやらせた。健康上からいっても耐えられないほどの連続重労働を課した。しかし、奇妙なことにケガ人や病人は日本の軍隊よりずっと大切にしてくれたような気がする。ご自慢のビタミンC錠を師団全員に毎日のませてくれたこともある。私がケガしたときも自動車を特に出してくれた。このきわ立った対照には兵隊たちみんなが気がついていた。
               (50頁)

 前にものべたように、日本人とイギリス人―ヨーロッパ人とどちらが残虐であるか、どちらがより正しいかを決める共通の尺度はないと思う。日本軍捕虜に対する英軍の待遇のなかにも、私たちには、やはり、これはイギリス式の残虐行為ではないかと考えられるものがある。そして、英軍の処置のなかには、復讐という意味がかならずふくまれていた。
 問題はその復讐の仕方である。日本人がよくやったような、なぐったり蹴ったりの直接行動はほとんどない。しかし、一見いかにも合理的な処置の奥底に、この上なく執拗な、極度の軽蔑と、猫がネズミをなぶるような復讐が込められていたように思う。
               (62〜63頁)

(註3)
 「女兵舎の掃除」と題されたエピソードに描かれた事例は有名だろう。


 私たちが英軍兵舎に入るときは、たとえ便所であろうとノックの必要はない。これが第一いけない。私たちは英軍兵舎の掃除にノックの必要はなしといわれたときにはどういうことかわからず、日本兵はそこまで信頼されているのかとうぬぼれた。ところがそうではないのだ。ノックをされればとんでもない格好をしているときなど身仕度をしてから答えねばならない。捕虜やビルマ人にそんなことをする必要はないからだ。イギリス人は大小の用便中でも私たちが掃除しに入っても平気であった。
               (37~38頁)

 その日、私は部屋に入り掃除をしようとして驚いた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。…
 入ってきたのがもし白人だったら、女たちはかなきり声をあげ大変な騒ぎになったことと思われる。しかし日本人だったので、彼女らはまったくその存在を無視していたのである。
               (39頁)

(註4)
 大陸や南方で、日本人はレイシストとして現地住民を差別的に取扱った。


 その日本人が、レイシストとしての英国人にどのように取扱われたのか?


 それが、『アーロン収容所』の主題であった。


…ということで、会田の著書を要約することは妥当に思われる。

 

 

 

 

 



Binder: 現代史のトラウマ(日記数:665/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2011/02/18 20:23
    …というわけで、『アーロン収容所』を、
    「捕虜」の待遇の問題という観点から読んでみた。

  • Comment : 2
    umasica :桜里
     2011/02/18 20:50
    会田雄次 『アーロン収容所』を読む 2 (ビルマで英軍に捕虜となったものの実状)
     http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-eccd.html

              (ココログにアップ)

  • Comment : 3
    Mr.Dark
    Mr.Darkさん
     2011/02/19 00:37
    ピエール・ブールの「猿の惑星」を思い出します。
    白人達にとって「猿」は人間たりえず、たとえ「猿」が軍事力を有しても人類に昇格することはない…
    あぁ、なんか腹立ってきますね(苦笑)

  • Comment : 4
    Mr.Dark
    Mr.Darkさん
     2011/02/19 00:42
    因みに、ピエール・ブールは第2次大戦に従軍し、インドシナで日本軍の軍事顧問が支援したヴィシー軍に負けて捕虜生活を送ったそうで…。

  • Comment : 5
    umasica :桜里
     2011/02/19 23:02
    Mr.Dark 様


    >ピエール・ブールの「猿の惑星」を思い出します。
    >白人達にとって「猿」は人間たりえず、
    >たとえ「猿」が軍事力を有しても人類に昇格することはない…
    >あぁ、なんか腹立ってきますね(苦笑)

    ピエール・ブールって、『戦場にかける橋』の原作者でもあるし…

    「猿」への恨みは深いんでしょうねぇ…

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