昭和天皇の戦争責任と東京裁判
さきの大戦につきましての天皇の法的な責任のみについて申し上げます。
憲法下におきまして、天皇は統治権の総攬者でございまして宣戦の権能をお持ちになっておられましたが、国務大臣がそれにつきましては天皇を輔弼しまして一切の責任を負うことになっておりまして、天皇は神聖不可侵であるという規定が旧憲法第3条にあったわけでございます。この神聖不可侵であるということの意味の一つといたしまして、天皇は先ほどおっしゃいましたように無答責である、責任を負わないんだということにこの解釈は恐らく争いがなかったことであると思います。 したがいまして、天皇は旧憲法下におきまして国内法上一切の法的責任を負うことはないと、このようにされておりました。当時の憲法において一切の法的責任を負うことがないとされております以上は、その旧憲法当時の行為につきまして後になって法的責任があるというわけにはまいりませんので、国内法上は昭和天皇には戦争についての法的責任はないと考えてございます。
さらに、国際法上の問題についてご議論がございましたが、これはご指摘のとおり、昭和天皇の戦争責任の問題につきましては極東国際軍事裁判において検討がなされましたが、連合軍が昭和天皇に訴追を行わなかったということはご指摘のとおりでございまして、昭和天皇の国際法上の戦争責任の問題は既に決着した問題であるというふうに考えております。
(1989年2月14日の参院内閣委における、味村治内閣法制局長官の答弁)
竹前栄治・監修 高橋紘・著 『日本国憲法・検証 資料と論点 第二巻 象徴天皇と皇室 あるべき天皇像とは』 (小学館文庫 2000)
これは、自民党政権下での日本政府の公式見解である。
ここでは、昭和天皇をめぐる、いわゆる「戦争責任」問題に関し、国内法上も国際法上も昭和天皇に「法的責任はない」ということが明言されているのである。
国内法上は大日本帝國憲法の条文が根拠とされ、国際法上は極東国際軍事裁判(いわゆる「東京裁判」である)の訴追過程が、その根拠として示されていることになる。天皇の「戦争責任」問題に関し、国際法上の「法的責任はない」と判断する理由が、東京裁判の過程に求められている点に注目しておきたい。
つまり、天皇の戦争責任問題をめぐる自民党政権下の日本国政府の公式見解は、東京裁判の過程を根拠にすることで、天皇に国際法上の法的責任がないことを主張しているわけである。この主張が成立するためには、東京裁判の国際法上の有効性の認識が前提とならねばならない。
その「前提」を支えているのは、サンフランシスコ講和条約の条項である。
サンフランシスコ講和条約第11条(戦争犯罪)には、
日本国は、極東軍事裁判並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする
…との文言があるのだ。
では、昭和天皇自身の「極東軍事裁判並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判」認識はどのようなものであったのだろうか?
豊下楢彦 『昭和天皇・マッカーサー会見』 (岩波現代文庫 2008)によれば、講和条約調印10日後の1951年9月18日に行われたリッジウェイ(占領軍最高司令官)との会見の席で、昭和天皇は、
有史以来未だ嘗て見たことのない公正寛大な条約
…とのサンフランシスコ講和条約への賞賛の言葉を述べている。
英国国王宛の「親書」にも、
私はポツダム宣言の条項を忠実に履行し、平和と民主主義に貢献する、よりよい国家の再建のために出来る限りの努力を払いたいと切に望んでおります
…との昭和天皇の言葉があるという。言うまでもなく、ポツダム宣言は、その条項の中で、戦争犯罪人の処罰を戦争終結条件として明示していた。
つまり、昭和天皇自身は、極東軍事裁判(東京裁判)の判決とその刑の執行に対し、積極的に肯定的な評価を与えていたのだと考えねばならないのである。
自民党政権下での日本国政府が「天皇の戦争責任」について、その法的責任がないことを主張する際の根拠を「東京裁判」の過程に求め、昭和天皇自身もサンフランシスコ講和条約を「有史以来未だ嘗て見たことのない公正寛大な条約」と評価することで、「東京裁判」の過程を正当なものとして受け容れていたのだと理解しなければならない。
戦後、「象徴」として天皇の地位が確保された背後には、「東京裁判」を正当なものとして位置付けた昭和天皇自身の判断が隠されているのである。
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