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資産家の息子

2012/05/12 00:00

私の母方の祖父について、


 …、明治十八年大分県に生まれ、父政太郎は恵良家より養子に入り、母サダは中津の恩田家より嫁している。素封家で、「政太郎さんはカンガルーの靴しか履かないし、サダさんは、ハトの肉しか食べないそうな」と噂されたという話が残っているように、カンガルーの皮のように軽くてやわらかい靴しか履かず、ハトの肉のようなやわらかい肉しか食べないとの例え話で、その優雅な生活が想像される。福沢諭吉の同世代の文明開化に啓蒙された見本のような、大分の一族であったようだ。

     林和代 『「斜陽」の家 雄山荘物語』 (東京新聞出版局 1994)


…なんて書いてあるのを読む。

(私にとっては曽祖父である)政太郎の「政太郎さんはカンガルーの靴しか履かない」という噂、それもそれが明治十年代の話であることに、ちょっと驚いたりする。私の履いているのは、基本的に牛革の靴である。

「福沢諭吉の同世代の文明開化に啓蒙された見本のような、大分の一族」とあるが、実際に福沢諭吉のことを「ゆきっつぁん」と呼んでいたりするような「一族」であったらしい(それは母から聞いた)。

庄屋・名主という種類の出身階層が、明治以降にも富裕な生活に結びついていた、ということのようである。祖父に嫁いだ相手(つまり祖母)も、こちらの先祖は『平家物語』にも登場するような家で、祖母の父は明治の草創期海軍に参加し将官にまでなっている。

祖父の姉妹の嫁ぎ先にも海軍将官がいたりするので、文明開化的であると同時に富国強兵的風潮からも無縁ではなかった一族なのであろう。


その祖父は、応用化学畑から写真技術へと進み、美術印刷会社を設立・経営するに至る。先の本には、


 美術印刷が主な仕事であったらしく、画集、写真集などたくさんあるが、大正十五年に発行されている『明治大帝御写真帖』は部厚い大変立派なもので、明治天皇から後の昭和天皇までの皇族のすべて、明治維新後の歴史的な事、天皇ゆかりの宝物から、めのと(乳母)に至るまで皇族のことが網羅されており、カラー印刷の立派な本である。


…なんて書いてあるが、「美術」というインターナショナルでもあるジャンルを手掛ける一方で、『明治大帝御写真帖』(こちらは単に印刷の請負ではなく出版元となっている)のようなナショナリズムにつながる系譜の仕事もこなしていたわけである。



文明開化と富国強兵が共存していた世界の話である。それは富国強兵が支えた文明開化でもあった。




父方の家は、小田原藩の下級武士階層だったようだが、江戸詰めになり文人生活化の道を辿ったらしい。蜀山人と交わした手紙が残されていたという話があるから、ま、江戸の都市生活を文人的に楽しんでいた公務員(武士)ということになるのであろうか。一族の中には文人的生活の延長として(?)絵画の世界の住人となった人物もいるようで、明治期の勧業博覧会の類で入賞した話を聞いた覚えもある。

父方の祖父は若くして亡くなったらしいが、日銀勤務であったというので、こちらは公務員家系の一員として文明開化の一翼を担ったことになる。

ま、私は(父方で言えば)公務員系列ではなく文人系列の血を受け継いでしまったらしい。




母方の祖父の話に戻ると、


 戦時中も従軍画家の画集や陸軍大将の写真集など軍事色の濃い仕事が増えていたが、四百名もいた従業員が次々と出征してしまい、技術者の人手が足りなくなって会社を継続するのが困難となり、凸版印刷に技術も会社もすべて譲ってしまった。


…という戦時生活を経験することになる。その影には統制経済体制の進行による会社合同があるだろうし、戦時利得という形式の金儲けに向かない当人の気質もあったのかも知れない。


いずれにしても、明治から戦前期昭和までは「カンガルーの靴しか履かないし、ハトの肉しか食べないそうな」と言われた一族も戦争ですべてを失い、今では相続財産とも金儲けとも縁のない世代が跡を継いでいるような状況である。




宮澤賢治の場合は、その出自が農村社会の中での質屋という家業であったことが、彼の人生に大きく影を落としていることを感じさせるが、同じ戦前期の資産家階層であっても私の祖父の姿からは賢治のような負い目は感じられない。


文化学院の創設者であった西村伊作もまた、継承した莫大な資産をその事業の原資としているわけだが、西村伊作にも賢治的な形での負い目は感じられない。伊作の場合は山林地主としての資産であることが、賢治的な負い目から身を離すことにつながっているように思われる(農民からの直接的搾取により資産形成をしたわけではない)。

もっとも七歳時の濃尾地震で(目の前で)両親を失ったことが、資産継承の機縁であった(母方の祖母の家の相続者となった)こと。敬愛していた叔父の大石誠之助が大逆事件で連座させられ処刑されたことは、伊作を単なる金持ちの道楽息子として考え、文化学院の事業を金持ちの道楽として捉えようとする類の視点から私たちを遠ざける。





賢治の場合、単に資産家の家庭に生まれたという問題なのではなく、質屋という家業の落とした影が、大きく彼の人生を決定付けてしまった。

そのように考えるわけだが、彼の自然科学的な文学的な宗教的な資質の基本は、彼自身のものであったはずである。質屋の息子であるということだけでは、彼の作品は存在し得ないのである。








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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2012/05/12 01:47
    まったく孫と祖父は大違い、でもあるけれど、
    いろいろと他人事ではないエピソードも多い、のでありました。

  • Comment : 2
    askyneko
    askynekoさん
     2012/05/12 06:32
    とっても、興味しんしんな家系であらせられまする

  • Comment : 3
    55
    55さん
     2012/05/12 08:38
     おーりさま

     自己開示、有難うございます。只者ではない方だなと、思ってはおりました^^

     私の家系は そんなに凄いお家柄ではないのですが、でも、苗字と地名が同じでした。何百年も(詳細は不明ですが墓石に彫り込まれている年号で判明するかぎり、更に古い物は朽ち果てて読めないから)代々地主をしていたようで、農民から搾取していた部分もあるけれど、文化(俳句、句会)を彼らと共有し、皆が困っていることは何とかするのが自分たちの仕事であり義務であり御奉公だと思っておったようです。その点では子どもたちも、大変厳しく教育されました。私は、伯母や父や叔父から、それを徹底的に躾けられて育ちました。句会では、金子みすゞさんではないですが「みんな違ってみんないい」という方針でしたので、誰でも垣根無く溶け込める会だったようです。角川書店の社長さんも子どもだった春樹さんを連れて句会に参加しに来られることも何度かあったようです。

    >彼の自然科学的な文学的な宗教的な資質の基本は、彼自身のものであったはずである。質屋の息子であるということだけでは、彼の作品は存在し得ないのである。

    同感です。後ろめたさからだけでは、彼の世界観は説明しきれないと思います。純で自然界と魂がつながるような体験をされていたのではないかと推察しています。

  • Comment : 4
    umasica :桜里
     2012/05/12 23:38
    >私の家系は そんなに凄いお家柄ではないのですが…


    「家柄」という言葉を使ってしまうと、逆に私なんか、

     封建制度は親の仇でござる

    …なんていう福沢諭吉のセリフを思い出してしまったりしますが、
    そのような身分制度的問題を別にして考えても、
    自分で選ぶことの出来ない「生まれ」というものが、
    人を拘束してしまい得るという事実の重さには、
    十分に気を配りつつ生きていたい、とは思うわけです。

    個人というものもそれぞれの家庭の歴史の形成物ですから、
    「家」の「歴史」というものを否応なく背負ってしまっているのでしょうね。
    その「歴史」への反発も、そこに「歴史」があればこその話なわけですし。

  • Comment : 5
    河童
    河童さん
     2012/05/13 16:40
    ごめんやっしゃ〜

    (・_|チラ

    オラなンダ


    では・・・Byebye

  • Comment : 6
    umasica :桜里
     2012/05/13 16:57
    あらためて調べてみたら、
    西村伊作が明治17(1884)年生まれで、
    私の祖父が明治18(1985)年生まれ。
    宮澤賢治は明治29(1896)年生まれであった。
    賢治の没年(37歳)である昭和8(1933)年には、
    西村伊作は49歳、祖父は48歳という関係になる。

    西村伊作は戦前の自由主義の代表格のような人物だが、
    祖父の立ち位置がどうであったかは(今のところ)よくわからない。
    ただ、母の小学校時代の恩師が小林宗作で、
    母は小林宗作への尊敬の念を最後まで語っていた。
    この小林宗作こそは黒柳徹子のトモエ学園時代の恩師であり、
    大正自由教育運動の推進者の一人であったわけで、
    そのように母を育てたのも祖父だ、ということにはなる。
    祖父の仕事としては陸軍美術協会関係の出版物もあるし、
    海軍関係の親戚もあるわけで、
    大日本帝國の国策を受け容れていたであろう可能性は考えられるが、
    祖父に育てられた子供たちの気質を見ると、
    大正デモクラシーの良質な部分を感じさせられはする。



    私の場合、父が五十代、母が四十代での生まれなので、
    周囲の遊び友達の両親とは一世代分のズレがあった。
    私の祖父は、普通なら曽祖父に相当する年代の人間である。
     

  • Comment : 7
    askyneko
    askynekoさん
     2012/05/13 17:34
    >大正デモクラシーの良質な部分を感じさせられはする。

    なかなかに興味深い系列といいますか
    見るべきものを鋭く見据えておられるご家族様であられたのですね。

    >ただ、母の小学校時代の恩師が小林宗作で、
    >母は小林宗作への尊敬の念を最後まで語っていた。

    ほほぅ・・・
    そのお母様に育てられたのが、猛毒さまという・・・
    なるほど・・・その息のようなものがそこはかとなく感じられるような・・・

    (私も、小林宗作と言う人に、子供の頃に会ってみたかったです。
    そしたら、もう少しばかり、まともだったかも・・とか・・)



    >私の場合、父が五十代、母が四十代での生まれなので、

    ずいぶんと歳の差のある親子であられたのですね〜。
    ということは、ある意味で「大人」的な家庭生活というような・・・
    その中であったればこその、猛毒な末っ子ちゃんとして、
    猛毒さがすくすくと成長されたという・・・

  • Comment : 8
    umasica :桜里
     2012/05/14 00:52
    >(私も、小林宗作と言う人に、子供の頃に会ってみたかったです。
    >そしたら、もう少しばかり、まともだったかも・・とか・・)


    …って、あの黒柳徹子の「恩師」ですぜ。
    世間的な意味での「まとも」というのとは…

  • Comment : 9
    umasica :桜里
     2012/05/14 00:53
       ↑
    (ますます天然全開大暴走の可能性も)

  • Comment : 10
    askyneko
    askynekoさん
     2012/05/14 02:50
    猛毒ちっとも美味くない薫りさま

    >…って、あの黒柳徹子の「恩師」ですぜ。
    >世間的な意味での「まとも」というのとは…


    「あの黒柳徹子」は彼に出会えたからこその彼女だったと・・・

  • Comment : 11
    askyneko
    askynekoさん
     2012/05/14 03:02
    もぅ、もうもうもうどくすぎて、美味くないいぢめっこ薫ingさま


    >世間的な意味での「まとも」というのとは…

    「世間的な意味」などいかほどのものでありましょう!




    >(ますます天然全開・・・

    なんと麗しいこと!

    天然度の薄いおかたには、このなんとも瑞々しい心地よさなど
    ご想像が難しいのでしょう、きっと・・・

  • Comment : 12
    umasica :桜里
     2012/05/14 06:09
    なぁるほど!

    小林宗作先生の下で、

     まともに麗しく瑞々しく天然全開大暴走をしたかった!

    …ということでございましたか。
    やぁ〜っと私にも理解出来ました。
    (天然度が薄いもので鈍くて申し訳ございません)

  • Comment : 13
    umasica :桜里
     2012/05/14 06:27
       ↑
    ちなみに、我が母は黒柳徹子に親近感を持っておりました。

    小林宗作先生の関係とは別に、
    黒柳徹子の父は演奏家として山田耕筰指揮の交響楽団メンバーで、
    ウチの母もまた山田耕筰と縁が深かったりして、
    そういう意味でも、同じ世界の住人という意識があったのでしょう、多分。

  • Comment : 14
    55
    55さん
     2012/05/14 09:07
    面白いですね(^^)わくわくしちゃいます!!

  • Comment : 15
    askyneko
    askynekoさん
     2012/05/14 14:24
    お母さまのご存命中に、お会いしてみたかったです。でも、その方に育てられたのが猛毒さまであるということを考えますと、何とも…
    何とも…
    何とも…
    ある意味フクザツといいますか(*^^*)

  • Comment : 16
    askyneko
    askynekoさん
     2012/05/14 14:26
    もっと、もっと、お聞きしたいです(*^^*)

    わたしも、わくわく(*^^*)

  • Comment : 17
    umasica :桜里
     2012/05/14 18:36
    >面白いですね(^^)わくわくしちゃいます!!

    >わたしも、わくわく(*^^*)


    母も母の友人も兄弟姉妹もほとんどが亡くなってしまって、
    今となっては直接の取材が出来ないのが残念至極なのですが…

    祖父や曽祖父といった親戚関係のエピソード、
    いわば自分のルーツにまつわるエピソードって、
    愛着とウンザリが同居している感じで、
    あんまり詳しく聞いたことがない(聞こうとしなかった)のも事実でして…

    冒頭に引用した本を読んでやっと、
    それまで断片的に聞いていた話が腑に落ちて、
    全体の構図がなんとか理解出来るようになった程度なのでございます。


    母についても、インタビューめいたことはしたことがなかったので、
    詳しい突っ込み取材不足な話ばかりとなってしまいました。

    教科書に出てくるような人物が、
    彼女のプライベートな世界でのお付き合いの一部となっていたりしたのに、
    こちらが驚かされたことは度々。

  • Comment : 18
    askyneko
    askynekoさん
     2012/05/14 22:21
    >愛着とウンザリが同居している感じで、
    > あんまり詳しく聞いたことがない(聞こうとしなかった)のも事実でして…


    おや?まるで「人間」みたいな・・・

  • Comment : 19
    河童
    河童さん
     2012/05/15 10:47
    >おや?まるで「人間」みたいな・・・


    桜里は人間になりたかった
    櫻の精で、ござさうらふ
    今の姿は仮の身なり。

  • Comment : 20
    umasica :桜里
     2012/05/15 14:08
    私、

     人間に生まれたい

    …という意思の下に生まれてきたわけじゃないですよ。


    人間として既に生まれてしまった以上、
    それを所与の条件として現在を生きるだけの話なのでございます。

  • Comment : 21
    umasica :桜里
     2012/12/26 11:40
    加筆してココログ版「現代史のトラウマ」にアップしておいた。

     資産家の息子
     http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-bd33.html

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