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松井石根の涙 (俘虜の殺害をめぐって)

2012/09/28 21:21


 南京攻略戦時の司令官であった松井石根自身の、南京事件(いわゆる南京大虐殺)についての認識を考える際に、松井自身の言葉とされる、

 

 

 南京事件ではお恥しい限りです。……私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、シナ人に対してはもちろんだが、ロシヤ人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。
 慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は朝香宮もおられ、柳川中将も軍司令官だったが、折角、皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまったと。ところが、このあとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえ言った。
 従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。
     花山信勝 『平和の発見』 (朝日新聞社 1949)

 

 

…をどのように考えるのかは重要な論点のひとつであろう。

 

 

 松井石根はここで、東京裁判(極東軍事裁判)での死刑判決を積極的に受け入れているのである。つまり、裁判で問題とされた南京での出来事(もちろん、そこでは「虐殺」の有無―「人道に反する罪」の有無―が問題の焦点となる)に関して、それが自身の死に値するものとの認識を表明していることになる。松井にとって、判決は不当なものではなかった。

 

 教誨師としての花山の伝える松井の言葉の前半部分には、

 

  南京事件ではお恥しい限りです。……私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、シナ人に対してはもちろんだが、ロシヤ人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。
 

…とあるわけだが、「南京事件ではお恥しい限りです」との松井の評価の理由として示されているのが、

 

  日露戦争のときは、シナ人に対してはもちろんだが、ロシヤ人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。


…との認識であり、そこでは「俘虜の取り扱い(=捕虜の取り扱い)」が問題の焦点となっている。「その他」として何が想定されていたのか、あるいは後の段落にある「兵の暴行」とは誰に対するものであったのかについては必ずしも明確ではないが、少なくとも南京攻略戦時の「俘虜の取り扱い」に問題があり、その問題は松井にとって死刑判決を積極的に受け入れざるを得ないほどに大きなものであったことは明らかである。詰まるところ、それは、俘虜(捕虜)の殺害行為の有無の問題であり、その規模の問題であった。後述するように、俘虜(捕虜)に対する殺害行為は現実のものであり、その規模の大きさが、松井の積極的な死刑判決受け入れの背景になっていると考えられる。

 

 もっとも、「兵の暴行」の内実に関しては、

  

  折角、皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった

 

…という松井の認識に対して、

 

  日露戦争のときは、シナ人に対してはもちろんだが、ロシヤ人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた


…との評価を対応させると、松井が示しているのは南京攻略戦時には、

 

  俘虜の取扱い、その他

 

…に関し問題があったという認識であり、それが、

 

  あの兵の暴行

 

…として示されていることになる。そして、その「兵の暴行」は、自身の死刑に相当するものとして松井により位置付けられていると考えることも出来る。

 しかも師団長レベルで、「兵の暴行」が「当たり前」のこととして処理されていたという事実は、「兵の暴行」(その内容が何であれ)が偶発的な一過性かつ局所的な少数の出来事ではなく、ある程度の広がりを持った出来事であったことを語るものとなるであろう。

 また、松井が語っているのは「便衣兵」の問題ではなく「俘虜の取り扱い」上の問題であることは見落とされるべきではない。

 「虐殺」の対象が俘虜(捕虜)ではなく便衣兵であったことが、南京事件における「虐殺正当化論」の根幹となっている現状があるが、松井が語っているのは、南京攻略戦時における「俘虜の取り扱い」の不当さが自身の死刑に値するものであったとの認識なのである。便衣兵の存在は確かに松井を悩ませたであろうが、しかし、松井は便衣兵の存在を理由に日本軍の行動を正当化することではなく、日本軍における「俘虜の取り扱い」の不当性を理由に、死刑判決を正当なものとして受け入れているのだ。

 
 

 南京攻略戦を含む支那事変時の「俘虜の取り扱い」の問題の背景にあるのは、そもそもそれが「事変」であり「戦争」ではないというの日本の立場(国民政府側もそれを容認していた)であり、その立場の帰結として、降伏した中国軍人兵士を戦時国際法上の「俘虜(捕虜)」として取扱わないというのが、事変当初からのの支那派遣軍の基本的方針だったのである。「事変」だからハーグ陸戦法規の適用除外だという論理なのである。

 その日本の立場からすれば、ハーグ陸戦法規の俘虜(捕虜)に関する規定を理由に、便衣兵=非合法論を主張展開した上で、便衣兵殺害を正当化するのはそもそも論理的に整合性を欠いた行為となってしまうことは覚えておいた方がよい。

 実際問題として、陸軍省においても、

 

 海軍法務局も、「陸軍省法務局にては、(略)現下軍の羈絆内に在る支那軍人は、陸軍刑法又は俘虜処罰に関する件法律上、之を俘虜と解して居ない」と断じている(『支那事変海軍司法法規』昭和十四年三月編纂)。
     北博昭『日中開戦 軍法務局文書からみた挙国一致体制への道』(中公新書 1994)

 

…という認識だったのである。

 

 

 ここで、南京攻略戦時における俘虜(捕虜)殺害の実行者(命令者)の一人とされる第十六師団長の中島今朝吾の日記の有名な一節を見ると、

  

一、大体捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタルモ千五千一万ノ群衆トナレバ之ガ武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ唯彼等ガ全ク戦意ヲ失イゾロゾロツイテ来ルカラ安全ナルモノノ之ガ一旦騒擾セバ始末ニ困ルノデ
部隊ヲトラックニテ増派シテ監視ト誘導ニ任ジ
十三日夕ハトラックノ大活動ヲ要シタリ乍併戦勝直後ノコトナレバ中々実行ハ敏速ニハ出来ズ  斯ル処置ハ当初ヨリ予想ダニセザリシ処ナレバ参謀部ハ大多忙ヲ極メタリ
一、後ニ至リテ知ル処ニ拠リテ佐々木部隊丈ニテ処理セシモノ約一万五千、太平門ニ於ケル守備ノ一中隊長ガ処理セシモノ約一三〇〇其仙鶴門附近ニ集結シタルモノ約七八千人アリ尚続々投降シ来ル
一、此七八千人、之ヲ片付クルニハ相当大ナル壕ヲ要シ中々見当ラズ一案トシテハ百二百二分割シタル後適当ノカ処ニ誘キテ処理スル予定ナリ
     中島今朝吾日記 (昭和12年12月13日)

 

…として、当時の状況が記されている。

 注目点は、
 

  現下軍の羈絆内に在る支那軍人は、陸軍刑法又は俘虜処罰に関する件法律上、之を俘虜と解して居ない(『支那事変海軍司法法規』昭和十四年三月)


  大体捕虜ハセヌ方針ナレバ(中島今朝吾日記 昭和12年12月13日)

 
…という両者の照応関係であろう。 中島今朝吾は、「軍の羈絆内に在る支那軍人」の殺害を明確に指示しているのである(ここで殺害されたのは「便衣兵」などではない)。

 第十六師団長中島今朝吾は、
 

一、大体捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタルモ千五千一万ノ群衆トナレバ之ガ武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ唯彼等ガ全ク戦意ヲ失イゾロゾロツイテ来ルカラ安全ナルモノノ之ガ一旦騒擾セバ始末ニ困ルノデ 部隊ヲトラックニテ増派シテ監視ト誘導ニ任ジ

 

…という顛末で、(便衣兵ではなく)「軍の羈絆内に在る支那軍人」への対応として、

 

  片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタル
   ↓
  之ヲ片付クルニハ相当大ナル壕ヲ要シ

 

…という経過で、片付クル=殺害したことになる(「大ナル壕ヲ要」するのは死体処理の問題があるから)。彼の指揮下で殺害されたのは「軍の羈絆内に在る支那軍人」で、これは「便衣兵」ではない以上、「便衣兵」問題は南京事件(虐殺)の正当化の論拠としては成立しないのである。

 

 俘虜(捕虜)殺害の問題に関しては、

 

     午後二時零分聨隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク
       左記
イ、旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ、其ノ方法ハ十数名ヲ捕縛シ逐次銃殺シテハ如何
     (第百十四師団所属の歩六六連隊第一大隊戦闘詳報 昭和12年12月13日)

 

…との記録もある(これは、中島今朝吾の第十六師団が上海派遣軍所属だったのに対し、第十軍所属の部隊なので指揮系統が異なる点に留意すること)。

 つまり、俘虜(捕虜)の殺害処理は第十六師団長中島今朝吾の独断ではなく、南京攻略戦参加部隊に、ある程度は共有されていたものだということになる(この大隊は、「銃殺」ではなく「刺殺」という形で命令を実行した)。いずれにしても、ここでも、殺害されたのは「軍の羈絆内に在る支那軍人」であり、「便衣兵」であることが理由で殺害されたのではない。

 

 
 その背景となっているのが、

 

  陸軍省法務局にては…現下軍の羈絆内に在る支那軍人は、陸軍刑法又は俘虜処罰に関する件法律上、之を俘虜と解して居ない

     (『支那事変海軍司法法規』昭和十四年三月)

 

…との、「軍の羈絆内に在る支那軍人」をめぐる陸軍省法務部の見解であり、それが現地戦闘部隊の間で、

 

  大体捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタル

     (中島今朝吾日記 昭和12年12月13日)

 

…として理解された結果、第百十四師団でも、

 

  各隊共ニ午後五時準備終リ刺殺ヲ開始シ概ネ午後七時三十分刺殺ヲ終レリ 聨隊ニ報告ス
     (歩六六連隊第一大隊戦闘詳報の続き)

 

…という顛末となってしまったのだと考えられる。

 

 

 詰まるところ、松井の示した南京事件における「俘虜の取り扱い」に関する問題とは、派遣軍の師団レベルで実行されてしまった俘虜(捕虜)の殺害の問題なのであった。松井は司令官としての責任を考慮すればこそ、東京裁判での死刑判決を積極的に受け入れていることになるのではないか?

 そもそも、首都南京陥落=蒋介石降伏という松井石根の甘い見通しから、政府・軍中央の不拡大方針を無視した首都攻略戦は開始され、その後の事変の泥沼状況と対米英開戦を招いてしまった。この松井の誤判断が日本の敗戦に至る過程の最大の要因のひとつであることは否定し難い。松井の軍人としての誠実さを考えれば、その責任は十分に感じていたであろう。

 松井の責任を重んじる誠実な人柄を前提とすることで、松井の東京裁判における死刑判決の積極的受け入れの事実が、南京における相当規模の俘虜(捕虜)殺害(ここでは民間人の殺害の有無は問わない)の事実を反映したものとして理解されることになるのである。

 もちろん、松井が無責任で不誠実な人間であったというのであれば、話は別である。









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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2012/09/28 22:46
    以前の記事の追記用に作成したが、
    思いのほか長くなったので、独立の記事にすべきか?

  • Comment : 2
    umasica :桜里
     2012/09/29 17:48
     もちろん、花山信勝がどこまで松井の言葉を正確に伝えてるのかという問題は残る。
     しかし、花山が記録した松井の言葉に導かれて、南京事件での「俘虜の取り扱い」の問題の内実を検証した結果、花山の伝える松井の言葉の当否にかかわりなく、南京攻略戦時の俘虜(捕虜)殺害の事実が明らかなものとして浮上することになった。つまり、既に問題は、花山の伝える松井の言葉が正確であろうとなかろうと、南京事件における日本軍による「軍の羈絆内に在る支那軍人」の殺害の事実は否定し得ないと考えるよりない、ということなのである。

  • Comment : 3
    umasica :桜里
     2012/09/29 18:08
     また、南京事件の正当化の論法としての便衣兵論が成立しないという問題は、便衣兵の嫌疑を理由にした中国の軍民の殺害の事実を否定するものではない。
     今回は、俘虜(捕虜)殺害問題を焦点に論じてきたが、南京事件否定論(あるいは正当化論)としての便衣兵論者が主張するように、便衣兵として殺害された多数の中国軍民は存在するし、便衣兵論者が主張するように、そこには実際に多くの民間人も含まれていたことも確実であろう。便衣兵論は、むしろ論理的には、日本軍による民間人殺害の事実を認めたものとして機能してしまうのである。民間人に対する積極的な殺害とは言えないにしても、俘虜(捕虜)の殺害の他に、便衣兵の嫌疑を理由にした、便衣姿となった「支那軍人」と、便衣兵と誤認された民間人の殺害の事実は(便衣兵論の帰結としても)否定し難いものとなるのである。

  • Comment : 4
    umasica :桜里
     2012/09/29 19:51
    上のコメントも含めて加筆修正の上、
    新記事としてココログ版「現代史のトラウマ」にアップ。

     松井石根の涙 2(俘虜の取り扱い)
     http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-6701.html

  • Comment : 5
    umasica :桜里
     2012/09/30 21:19
    これ、もともとはカッパ相手のコメントで、

     → http://www.freeml.com/bl/316274/186454/

    それを集成し改稿するところから始めたもの。
     (現在も、加筆修正中)

  • Comment : 6
    河童
    河童さん
     2012/10/04 00:39
    まあ以前に同じ事指摘したんだけどね。
    しかし、「歴史を評価する」
    のではなく
    「何を学ぶか」
    が大事なんじゃ無いの?
    うましかどんの場合全てに渡って
    「歴史を評価」
    しているもん。

  • Comment : 7
    河童
  • Comment : 8
    umasica :桜里
     2012/10/04 06:35
    >しかし、「歴史を評価する」のではなく
    >「何を学ぶか」が大事なんじゃ無いの?
    >うましかどんの場合全てに渡って「歴史を評価」しているもん。

    相変わらずアホだなぁ…

    「何を学ぶのかが大事」という主張には、
    既に「歴史を評価」することが含まれてしまっていることに、
    カッパはまったく気付いていない。

    歴史から何かを「学ぶ」ということは、
    まさに歴史を評価することそのものだとさえ言える話。

  • Comment : 9
    umasica :桜里
     2012/10/04 07:55
    「歴史から学ぶ」にせよ「歴史を評価する」にせよ、
    その前提となるべきものは歴史的事実以外にないでしょ?
    まず重要なことは事実関係の検証でしょ?

    で、記事本文で私が何をしているのかというと、
    「南京事件否定論」とか「便衣兵論(南京事件正当化論)」が、
    歴史的事実関係を反映したものと言えるかどうかについて、
    主張としての妥当性の「評価」という行為をしていることになる。
    (これは「歴史の評価」とは異なる行為ですよ)
    松井石根の言葉の読解、
    陸軍省法務部見解や中島今朝吾日記や戦闘詳報等の読解を通して、
    「南京事件否定論」や「便衣兵論」の妥当性を「評価」しているわけ。
    そこでは、あくまでも事実関係が問題なのね。

    事実関係に照らして、
    「南京事件否定論」や「便衣兵論」が成立しないことを、
    記事本文では指摘しているんですよ。

    南京事件の「歴史から学ぶ」にせよ南京事件を「評価」するにせよ、
    南京事件否定論や便衣兵論に依拠してはダメなんだということです。

    そういう肝心のことが読み取れない(文章の「表」が読めない)のは、
    相変わらずのことではあるが困った話ではある。



    以前の記事だが、

     歴史的事実、あるいは共有され構成される経験
     http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-6b40.html

    …を読んで理解してみろよ。
    (事実の問題と評価の問題の峻別の必要について書いた記事)

  • Comment : 10
    河童
    河童さん
     2012/10/04 22:35
    >事実関係に照らして、
    「南京事件否定論」や「便衣兵論」が成立しないことを、
    記事本文では指摘している

    ふんふん、事実関係ねぇ。
    それさえ評価してるじゃん。
    評価と学ぶ事は別物なのよ〜ん。

  • Comment : 11
    河童
    河童さん
     2012/10/04 22:37
    評価>学ぶ?
    学ぶなら評価することはおかしい。
    背後関係をしることでもっと深く知りうることもある。

  • Comment : 12
    河童
    河童さん
     2012/10/04 22:41
    ま、何度も書き込んですまんけど

    じゃうましかどんは↓ ↓ ↓誰か知ってるよね。
    http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/Liu_Qixiong.jpg

  • Comment : 13
    umasica :桜里
     2012/10/04 22:42
    「何を学ぶのか?」は選択の問題であり、
    選択という行為は対象を評価することなしには意味をなさない。

    評価することなしに学ぶ対象を選択することも出来ない。

    実に単純な話。


    まず評価し、それから選択するんでしょ?

  • Comment : 14
    umasica :桜里
     2012/10/04 22:50
    >評価と学ぶ事は別物なのよ〜ん。

    >学ぶなら評価することはおかしい。
    >背後関係をしることでもっと深く知りうることもある。


    なぁ〜るほど。

    このアホは「学ぶ」という意味の多義的側面に無神経なだけだ。

    学ぶという言葉には「学習する」という含意もあれば、
    (アヒルだって経験から「学習する」だろ?)
    「探求する」という含意もある。
    (これは上記の「学習」とはまったく異なる行為だ)

    その両者を混同しているだけのアホ話。

  • Comment : 15
    umasica :桜里
     2012/10/04 23:08
    >その両者を混同しているだけのアホ話。

    これは「評価」という語についても言える。


    「事実関係」は「探求」の対象という意味で、
    「学ぶ」という行為の対象として取り扱うことも可能だが、
    その際には、まず史料の信頼性の「評価」をしなければならない。
    その「評価」を抜きに歴史を探求する(学ぶ)ことは出来ない。
    事実関係の確定の後に、
    特定の歴史的過程の様々な側面を、
    様々な観点から「評価」することが可能になる。
    たとえば「人物評価」と呼ばれるものは、
    そのような意味での「評価」の行為だ。
    (これは史料の評価とは異なる意味を持つ「評価」なんですよ)
    そして人物評価という行為からも我々は多くのものを「学ぶ」わけ。

  • Comment : 16
    umasica :桜里
     2012/10/04 23:31
    ま、こぴぺ憑きがどっかで、

     「歴史を評価する」のではなく「何を学ぶか」が大事

    …なんて言葉を読んで、
    よく意味も考えずに繰り返してみました的展開だな。

  • Comment : 17
    umasica :桜里
     2012/10/08 16:47
    便衣兵論による南京事件正当化論に関しては、
    裁判抜きの「処刑」の合法性が問題点として指摘されるが、

    「北支那方面軍軍律」
       第一条 本軍律は日本軍作戦地域内又は兵站地域内に在る帝国臣民以外の人民に適用す
       第二条 左に掲くる行為を為したる者は軍罰に処す
         一 日本軍に対する反逆行為
         二 間諜其の他日本軍の安全を害し又は敵に軍事上の利益を与ふる行為
    「北支那方面軍軍罰令」
       第一条 本令は北支那方面軍軍律を犯したる者に之を適用す
       第二条 軍罰を分かちて死、監禁、追放、過料、没取とす
       第三条 死は銃殺とす
    「北支那方面軍軍律会議審判規則」
       第一条 軍律会議は軍律を犯したる者に対し其の犯行に付之を審判す
       第七条 軍律会議に於て死を宣告せんとするときは長官の認可を受くへし
         兵站監前項の認可をなさんとするときは其の隷属する軍司令官に具申し認可を受くへし
         但し緊急を要する場合は此の限に在らす
       第八条 軍罰の執行は憲兵をして之を行はしむ
     北博昭 『日中開戦 軍法務局文書からみた挙国一致体制への道』(中公新書 1994)

    …といった当時の日本軍内の法的規定からすれば、
    裁判抜きの処刑が合法とされるのは、

     第七条
     軍律会議に於て死を宣告せんとするときは長官の認可を受くへし
     兵站監前項の認可をなさんとするときは其の隷属する軍司令官に具申し認可を受くへし
     但し緊急を要する場合は此の限に在らす
     (「北支那方面軍軍律会議審判規則」)

    …とあるように「緊急を要する場合」に該当する場合に限られ、
    しかし、その場合でも、軍律会議審判規則の定めるところでは、

     第八条
     軍罰の執行は憲兵をして之を行はしむ

    …という要件に拘束されることになる。

    つまり、現地戦闘部隊による「処刑」は、
    軍律会議審判規則の規定に違反した行為と言わざるを得ず、
    つまり合法性は否定されてしまう。

  • Comment : 18
    umasica :桜里
     2012/10/08 17:48
    >裁判抜きの処刑が合法とされるのは

    …と書いてしまったが、これは正確ではない。
    ここでは、緊急性を理由にした、
    軍律裁判(軍律会議)の省略が承認されているのではない。
    「緊急を要する場合は此の限に在らす」との但し書きは、

     第一条
     軍律会議は軍律を犯したる者に対し其の犯行に付之を審判す

    …の条文には適用されないのであって、
    あくまでも、

     第七条
     軍律会議に於て死を宣告せんとするときは長官の認可を受くへし
     兵站監前項の認可をなさんとするときは其の隷属する軍司令官に具申し認可を受くへし

    …と規定された手続きの省略が認められているに過ぎないのである。
    つまり、裁判抜きの処刑は、軍律会議審判規則上、そもそも認められていないのである。

  • Comment : 19
    umasica :桜里
     2012/10/08 18:21
    以下を「南京事件否定論への視点 2 便衣兵の姿」に追記


     便衣兵論による南京事件正当化論に関しては、裁判抜きの「処刑」の合法性の有無が問題点として指摘されるわけだが、

    「北支那方面軍軍律」
       第一条 本軍律は日本軍作戦地域内又は兵站地域内に在る帝国臣民以外の人民に適用す
       第二条 左に掲くる行為を為したる者は軍罰に処す
         一 日本軍に対する反逆行為
         二 間諜其の他日本軍の安全を害し又は敵に軍事上の利益を与ふる行為
    「北支那方面軍軍罰令」
       第一条 本令は北支那方面軍軍律を犯したる者に之を適用す
       第二条 軍罰を分かちて死、監禁、追放、過料、没取とす
       第三条 死は銃殺とす
    「北支那方面軍軍律会議審判規則」
       第一条 軍律会議は軍律を犯したる者に対し其の犯行に付之を審判す
       第七条 軍律会議に於て死を宣告せんとするときは長官の認可を受くへし
         兵站監前項の認可をなさんとするときは其の隷属する軍司令官に具申し認可を受くへし
         但し緊急を要する場合は此の限に在らす
       第八条 軍罰の執行は憲兵をして之を行はしむ
         北博昭 『日中開戦 軍法務局文書からみた挙国一致体制への道』(中公新書 1994 )

    …といった当時の日本軍内の法的規定からすれば、裁判抜きの処刑が合法とされていたわけではない。「緊急を要する場合は此の限に在らす」との但し書きは、

     第一条
     軍律会議は軍律を犯したる者に対し其の犯行に付之を審判す

    …の条文には適用されないのであって、あくまでも、

     第七条
     軍律会議に於て死を宣告せんとするときは長官の認可を受くへし
     兵站監前項の認可をなさんとするときは其の隷属する軍司令官に具申し認可を受くへし

    …と規定された手続きの省略が認められているに過ぎないのである。
     つまり、裁判抜きの処刑は、軍律会議審判規則上、そもそも認められていないのである。

  • Comment : 20
    umasica :桜里
     2012/10/08 18:22
     しかも、「軍律会議審判規則」の定めるところでは、

     第八条
     軍罰の執行は憲兵をして之を行はしむ

    …との要件に拘束される以上、現地戦闘部隊による「処刑」は「軍律会議審判規則」の規定に違反した行為と言わざるを得ず、つまり二重の意味で便衣兵処刑の合法性は否定されてしまうのである。
    合法性を担保するためには、最低限、事後承認の手続きが必要となるはずだが、そのような話は聞かない。国際法上の問題を云々する以前に、「軍律会議規則」の規定違反という問題があることになる。
    (2012年10月8日追記)

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