umasica :桜里さんのマイページ

音声情報としての言葉と視覚情報としての言葉と…

2013/04/25 21:50

百瀬文さんの映像作品、『聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと』についての記事への追記のためのメモ。

(映像作品を作品として楽しみたい人は、作品を見る前には読まない方が良いかも知ない)




 一つの映像作品がある。


 そこでは、生まれつき耳の聞こえない若い男性と、耳に問題はない若い女性が対談をしている。


 対談は、音声による会話として成立している。


 つまり、両者は共に、言葉を声に出して語りかけ、言葉を声に出して応じている。


 そこでは、音声情報による双方向のコミュニケーションが成立しているように見える。


 しかし、若い男性は耳が聞こえず、若い女性の語る声を聞き取ることは出来ない。


 つまり、若い女性の語る言葉を音声情報として受け取ることは出来ない。


 耳の聞こえない若い男性は、「口話」という手法を用いて、若い女性の言葉を理解している。


 「口話」とは、口の開き方と音声の間にある対応関係に基づいて、口の開き方という視覚情報を用いて音声情報を理解可能にする技術である。


 そこでは、口の開き方という視覚情報により、音声情報としての言葉が理解されることになる。


 対談は映像を前にした第三者から見て成立しており、その意味で双方向のコミュニケーションとして成立していると判断される。


 しかし、既に明らかになっているように、そこで成立しているのは音声情報による双方向のコミュニケーションではない。


 若い女性の言葉は音声情報として発せられているが、その言葉は視覚情報として若い男性に処理され、言葉として理解されているのである。


 若い男性の言葉は音声情報として発せられ、若い女性は若い男性の言葉を音声情報として受け取っているが、若い男性自身は自分の発する言葉を音声情報として聴き取ることは出来ない。


 「口話」の限界は、相手の口元が視覚情報として確保されなければ成立しない点と、視覚的に同型の口元に異なる音声情報が対応してしまうという点にある。


 後者の例としては、「ア」と「カ」と「ハ」、「パ」と「バ」と「マ」のケースなどがあり、文脈の参照という助けなしには、音声の推定は困難である。


 もちろん、耳の聞こえる人間にとっても、よく聞こえなかった言葉や聞き落とした言葉、同音異義語からの絞り込みなどの際には、文脈を参照することは必要なものとなっている。


 耳の聞こえない人間にとっては、それが会話の全体となる。


 




百瀬文さんの『聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと』は、そのような枠組みに条件づけられた二人の対談の映像記録となっている。


音声情報を視覚情報として理解するのが「口話」ということになるが、耳が聞こえる人間にとっては視覚情報による言葉とは、通常、文字情報を意味する。

木下さんの場合、視覚情報に変換された音声情報としての言葉と、文字情報として表現された視覚情報としての言葉とは重なるものなのだろうか? それともそれぞれに別のものとして存在するのだろうか?

視覚情報に変換された音声情報としての言葉は文字情報として理解されていると考えてよいのだろうか?

そんなところが気になる。









 読み込み中...
Tags: なし
Binder: いぢわる、あるいは神の姿(日記数:2142/全体に公開)
Gg[ubN}[N
最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2013/04/25 22:37
    (メモ記事)


    元ネタ

     聞こえない木下さんと屠場の人の声
     http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-5233.html

  • Comment : 2
    kiyoppy
    kiyoppyさん
     2013/04/26 09:19
    最近の通勤電車はディスプレイが設置されていて、時にニュースが流され、またさまざまなコマーシャルが映し出されます。
    ニュースはもちろん字幕ですが、CMは当然のごとく音声は発せられません。
    しかし、2001スペースオディッセイのHALじゃありませんが、ときどきはっきりと声が聞こえるんですね。
    スピーカーなどないはずなのに、ちゃんと声が聞こえるときがある。これ、理屈では分かっていても本当に不思議です。

  • Comment : 3
    umasica :桜里
     2013/04/26 22:15
    私は現在は完全自転車通勤になっていて、
    「通勤電車」からは縁が薄くなってしまいましたが、
    遠出をするのはやはり電車なので、
    乗る度に「21世紀なんだなぁ」とか思わされますね。
    特にあの車内ディスプレイには。


    人間て、基本的には視覚優位な生き物だと思うのですが、
    聴覚を侮れないと思うのは、
    外部視覚は目を閉じることで遮断されますけど、
    聴覚に関しては、耳をふさいでも外部音は聞こえてしまいます。
    聴覚を遮断することは意外と困難で、
    どうも、人間、音からは逃れられないところがある。
    なんか、そういう生き物としての人間の根源的な条件が、

    >スピーカーなどないはずなのに、ちゃんと声が聞こえるときがある。

    …というお話の背景にありそうな気がしました。

  • Comment : 4
    umasica :桜里
     2013/04/30 22:00
    《続き》
     音声情報としての言葉と視覚情報としての言葉と… 2
     http://www.freeml.com/bl/316274/202886/

     音声情報としての言葉と視覚情報としての言葉と… 3
     http://www.freeml.com/bl/316274/202959/

このブログにコメントをつけるには、ログインする必要があります。
マイページをお持ちでないひとは「マイページを作成する」ボタンを押してマイページを作成してください。
不適切なブログを見つけたら、こちらからご報告ください!

Mail Address(GMO ID):

Password:

自動ログインパスワードを忘れた方

最近書いたブログ


http://www.freeml.com/feed.php?u_id=316274&f_code=1



Copyright(C)2017 GMO Media, Inc. All Rights Reserved.