umasica :桜里さんのマイページ

シルウェット(體幹のうねりたしかに妻なり)

2013/08/07 23:01


 少年工たちに入り口でまつていてもらつて、俺はひとりで講堂の中にはいつた。己斐でのそれと同じように、むせかえるような屍臭がたちこめていて、二、三本ところどころにともしたローソクのうす暗い光の下に、俺には既に見なれた「生きた屍」が並んでいた。己斐の學校よりは、その數が少なくまばらであつた。

 ジッと死んだように動かぬのもあるが、寝たり起きたりうごめいているのもあつた。幸いにうす暗いので一人一人の形相はわからなかつた。それだけに識別するのが困難だつた。俺はふみつけぬように足もとに気をつけながら、腰をかがめて一人一人の顔をのぞきこむようにして、入り口からの順々に見て行つた。なかなか見つからなかつた。最後の一人と思われる人までまわつて行つたが、見つからなかつた。

 俺が顔を近づけると、知らぬ顔に目をつむつている人もあるし、横を向いたまま見かえりもしない人もあつた。時々、うつろな目でうらめしそうに見かえされることがあつた。そのまなざしに胸をえぐられた。この人たちは、昨日から「晒し物」にされているような、こうした經験を何十度となく繰りかえしていたであろう。そして近づけられる顔に、自分の愛する肉親や知人の顔を、待ちわびていたのであろう。だが、その度に期待を裏ぎられ、希望をかきけされていたのであろう。

 かくてこの人たちには、一晝夜がすぎ、二晝夜目の夜も深くなろうとしていたのだ。どの人の枕もとにも、白い炊きだしのお結びが一つ二つころがつていた。だが、この人たちの渇望しているのは、肉體の飢えではなくて魂のかわきにちがいない。肉親の顔を、知人の愛を、求めつづけていたのであろう。しかも、その期待が、その希望が、にべもなく何十度打ち破られていたことか。知らぬ顔の「絶望」も、力ない「怨恨」も、かなしき必然であるといわなければなるまい。

 俺はその「絶望」と「怨恨」に、もう一度ふれるのはたまらない氣がした。しかし、お前が見つからないのだ。俺は今度は、奥の方から入口の方へ向かつて同じしぐさをくりかえした。だが、やつぱりお前は見当たらなかつた。三度目にはお前の名を低く呼びながら一まわりした。そして一番最後まで行つて引きかえしかけた時だつた。俺は足もとでつぶやくような聲をきいた。

 「その方は今さつきまで、ここにおられましたが…」

 目の前に、頭を繃帯して足を投げだした女の人が坐つていた。両脚も繃帯し、胸には子供を抱いている。そして、その隣が一人分ほど空いていて、筵の片隅にお結びが二つころがつている。俺が腰をかがめると、

 「大學の方でしよう?」

と顔をあげた。「そうです」というと、

 「今さつきまでここにおられたのですがね…」とくりかえした。俺はそれをきくなり、あいさつもせず外にとびだした。入口の少年工たちは、擔架を立てかけて地面に足を投げだしてしまつていた。

 「わかりませんか」

 「わからん」

 「あのへんじやないですか」

 年かさらしい少年がそういつて指す方を見ると、校庭の隅の方に、大地に並んだ屍らしいシルウェットが五つ六つ目にうつつた、背後の焚火に照らしだされて―。俺は「死んではいまい」と思つたが、恐る恐るその方に近づいて行つた。シルウェットが一つ一つだんだんハッキリしてくる。

 ――文子だ!

 そのシルウェットの中の一つを、とつさに俺はそう思つた。顔は見えない。だが、肩から腰にかけてうねる肉體の線は、まぎれもなくお前だ。俺は走りよつた。夜なのに蠅がプーンととびたつた。顔、手、足に白い繃帯がしてある。

     顔 手 足  繃帯に蠅が群れておれど 體幹のうねりたしかに妻なり

 これはあとでつくつたその時の俺の歌だ。

 「どうした、文子、俺だぞ」

 俺がそういつても、お前はしばらくなにもいわなかつたね。焚火のあかりで俺の顔は見えたろうのに――。俺は繃帯の間からのぞいているお前の目を、口を、そして鼻を、たしかに見た。だが放心したような目だつた。N君からの豫告で、俺のくるのはわかつていただろうに。何かすつかり絶望しきつているような顔つきだつたよ。のぞきこんだ俺の顔を、ジッとうつろなまなざしでみつめていて、やがてお前はしずかにいつた。

 「ピカッと、とても大きな稲妻が光つたと思つたの。それから、なんにもわからなくなつちやつたの。福屋の前で……」

 「福屋の前で?」

 瞬間、前の日に見た死屍累々たる福屋の前の路上が、電光のように頭の中を走つた。

     小倉豊文 『廣島原子爆彈の手記 絶後の記録』 中央社 昭和24年(初版は昭和23年) 126〜129ページ



 広島への原爆投下の翌日、8月7日の夜のエピソードである。


 妻の姿を探して二日目の夜、大学の学生(といっても直接の教え子ではない)から妻文子が府中國民學校に収容されているとの情報を得、ついに小倉豊文は妻を見つけ出した。



 それに先立つ、国民学校の講堂での、


  俺が顔を近づけると、知らぬ顔に目をつむつている人もあるし、横を向いたまま見かえりもしない人もあつた。時々、うつろな目でうらめしそうに見かえされることがあつた。そのまなざしに胸をえぐられた。この人たちは、昨日から「晒し物」にされているような、こうした經験を何十度となく繰りかえしていたであろう。そして近づけられる顔に、自分の愛する肉親や知人の顔を、待ちわびていたのであろう。だが、その度に期待を裏ぎられ、希望をかきけされていたのであろう。


…との記述に、身動きも叶わぬほどの深い傷を負いながらも「近づけられる顔に、自分の愛する肉親や知人の顔を、待ちわびていた」人々、そして「その度に期待を裏ぎられ、希望をかきけされ」たままに死んでいったであろう多くの人々の姿を、私は、見出す。









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