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兵站勤務ノ困難(苦笑)

2013/10/17 21:08

昨日に紹介した偕行社刊行の『兵站勤務ノ研究』(昭和7年)の「附録」として収録されている日清戦争時のエピソードの続きである。



例の兵站司令官の話の前に触れられているのが、



兵站監ハ鹽屋方圀少将テアツタカ、大任セノ人ニテ餘リ仕事ハシナイ人テアル丈ケ、自分ノ役目カ忙シイ、當時兵站司令官ニハ豪傑カ多イノミナラス、相手カ朝鮮人ノコトテアルカラ、迚モ遣リ切レタモノテハ無イ、嘘ヲ突クコト、盗ムコトハ人間ノ道徳ナリト心得居ル米ヲ運ハスレハ弱虫ニテモ三俵負ヒタカル、ソシテ途中叺ヲ破リバラバラ米ヲ零シ目的ノ兵站部ニ到著スル頃ニハ中身ハ二俵シカナイ、夫レモ一俵一里十銭ト定ツテ居ルカラ三俵ノ代価ハ払ハネハナラヌ(後略)

韓人夫ハ銀貨ヲ盗ム妙ヲ得テ居ル當時ハ銀貨二千圓入ノ箱テ、一箱毎ニ一人ノ監視ヲ附ケレハ論ハ無イカ、兵站司令部の兵卒カ極メテ小数テアルカラ韓人夫二名ニ一監視兵ヲ附ケルコトニナツタ、所カ内一名ハ腹痛ト號シ後レ勝チニナリ他ノ一名ハ委細構ハスズンズン急キ出ス監視兵ハ中間ヲ歩イテ一方ヲ止メ一方ヲ急カスカ言語不通テハアリ命令中々徹底シナイ、其内先頭ノ者カ駆ケ出スカラ之ヲ捕ヘ様ト追ヒカケ顧ミテ後方ヲ見ルト腹痛ハ頓ニ直リ後方ニ向ツテ駆ケ出シ前狼モ後虎モ夫ヒシコト五六囘モアツタ、中ニハ責任觀念上監視兵テ自殺シタ者マテアツタ
     佐々木輜重兵大佐 『兵站勤務ノ研究』 偕行社 昭和7年  144〜145ページ (「兵站参考第二十二 日清戦争ニ於ケル第一軍ノ兵站」から「兵站勤務ノ困難」の項より)



…との「兵站勤務ノ困難」である。

「兵站勤務」の中心には、戦地における戦闘部隊への補給の問題があるわけだが、日清戦争時には軍の組織としては十分なものではなく(もっとも、大東亜戦争時に至っても不十分なままではあったわけだが)、軍による訓練を経ていない大量の人夫(軍夫)に依存するものであった。


その間の事情を、一ノ瀬俊也氏の『旅順と南京』(文春新書 2007)により確認しておくと、



 この第一師団は野戦師団と兵站部に大別される(内地の守備隊などを除く)が、野戦師団の員数は兵科(軍人)一万五五五九人・衛生部等四五二七人(うち軍夫三七六八人)挽馬(荷車を引く馬)三八四頭、徒歩車輛(大八車)一四〇五台、一方の兵站部の人員数は兵科三七〇人・衛生部等四四三四人(うち軍夫四二五六人)、駄馬一一頭、徒歩車輛一二一六台、つまり野戦師団、兵站部とも軍夫が多数含まれており、「彼らがいなければ動かない構造となっていた」(原田二〇〇七、前記の数字は『明治二十七八年戦役統計』上巻〈1〉「動員人馬総員」による)のである。

     同書 28ページ



…ということになる。

先に引用した「兵站勤務ノ困難」に描かれているのは、「彼らがいなければ動かない構造になっていた」戦地の日本軍が実際に軍夫として採用した(つまり現地調達した)朝鮮人の人夫が、「相手カ朝鮮人ノコトテアルカラ、迚モ遣リ切レタモノテハ無イ、嘘ヲ突クコト、盗ムコトハ人間ノ道徳ナリト心得居ル」ような連中であったことがもたらす「困難」だということである。



この話は、いかにもネトウヨ諸氏を喜ばせそうなものであるが、しかし、「兵站勤務ノ困難」の実際は、引用したエピソードを読んで喜んでいられるようなものではない。


現地調達の朝鮮人を軍夫とすることのもたらす困難を克服するための措置は、より大きな困難を日本軍にもたらす結果となるだけであった。



平壌陥落後第一軍ノ給養事務カ絶對不安ニ陥ツタ時ニ軍参謀長ヨリ大本営ニ向ツテ「日本人足一萬人ヲ急キ渡韓セシメラレタシ」ト請求シタ其人足カ十月末頃沸々到著シタカ荷物ノ擔ケル者ハ十中二三人テ其他ハ分捕ヲ目的トシテ應募シタ者カ多イ韓人夫カ「チホ」ヲ少クモ二俵運フノニ日本人夫ハ其米一俵ヲ両人ニテ運搬スルトイ云フ情ケナイ有様ナルノミナラス清韓人ヲ脅迫シテ種々ノ悪イコトヲスル、酒ヲ飲ム博奕スル、喧嘩ヲスル、梅毒ニ罹ル、凍傷ヲ病ム、仕末ニ了ヘヌ人間テアル、ソレテ喰フコトタケハ一人前ハ確カテアツタ、然ラハ後送センカ、傷病兵スラ還スノニ困ツテ居ル時分故ソレモ出来ス萬策窮シタ末、大東溝ノ横田兵站司令官カラ日本人夫ノ亂暴狼藉ナル始末ヲ略説シタル末今日ニ於テハ何トモ仕方ナイカラ不良分子ハ悉ク撲殺致シタケレハ其ノ承認ヲ請フトノ親展電報カ来タ、予ノ之ニ對スル返電ハ極メテ簡單テアツタ、「人夫モ陛下ノ赤子ナリ宜シク愛護スヘシ」ト
 親展ノ内容、前略日本人夫程困却致シ候モノハ無之糧食ノ少キ方面ニ此米喰虫ヲ送ラルルコトハ養育院ナラハ格別此米穀ノ貴重ナル場合斷シテ不可ナリ日本人夫ノ力ヲ補フニ地方力ヲ以テスヘシトハ貴部ノ常套語ナレトモ日本人夫千人ハ牛車二十輌ニ相當ス、此簡便有力ナル牛車ヲ止メテ困難千萬ナル日本人夫千人ヲ使用セントスル議ニハ何レノ兵站司令官モ皆不同意ナリ〇屋組人夫ノ如キハ凡テ乞食同様ノ姿ニシテ國辱此上ナシ〇〇司令官ノ如キハ之ヲ悉ク切リ捨テント申居候少シハ當方ノ苦境モ御推察可被下候云々
  二十七年十二月二十六日
     前掲書 146〜147ページ 「人夫モ亦陛下ノ赤子ナリ」の項



ここには、「第一軍ノ給養事務カ絶對不安」に直面した軍が、「日本人足一萬人」の調達により「絶對不安」の解消を図ったにもかかわらず、到着した「日本人足」の実状が「荷物ノ擔ケル者ハ十中二三人テ其他ハ分捕ヲ目的トシテ應募シタ者カ多イ韓人夫カ「チホ」ヲ少クモ二俵運フノニ日本人夫ハ其米一俵ヲ両人ニテ運搬スルトイ云フ情ケナイ有様ナルノミナラス清韓人ヲ脅迫シテ種々ノ悪イコトヲスル、酒ヲ飲ム博奕スル、喧嘩ヲスル、梅毒ニ罹ル、凍傷ヲ病ム、仕末ニ了ヘヌ人間テアル、ソレテ喰フコトタケハ一人前ハ確カ」という、まことにもってどうしようもないものであり、「今日ニ於テハ何トモ仕方ナイカラ不良分子ハ悉ク撲殺致」すことを兵站司令官自身が提案するような事態にまで発展してしまったという、ネトウヨ諸氏が死んじゃいたくなるような「兵站勤務ノ困難」が記録されているのである(ただし、「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」)。










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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2013/10/17 22:27
    一ノ瀬氏の著書にも、
    日清戦争時の日本軍が使用した「日本人足」の実状が描かれている。

  • Comment : 2
    Mr.Dark
    Mr.Darkさん
     2013/10/18 00:25
    食うことだけは一人前は確か、ですか(笑)

  • Comment : 3
    umasica :桜里
     2013/10/18 20:30
    「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」であるからこそのミモフタモナイ記述?


    日露戦争では「軍夫」に替えて「補助輸卒」制度を導入するんですが、
    日露戦時に補助輸卒として従軍した西村真次の著書『血汗』(1907)には、

      由来、二十七八年戦役〔日清戦争〕までは、補助輸卒と云うものはなかったので有るが、同戦役に使った人夫が、不規律で、吾が儘で、繊弱で、到底、繁劇な後方勤務に堪えなかったので、「これでは成らぬ」と当局者は早速名案を案出した。その名案の祭壇に捧げられた犠牲こそは、即ちこの補助輸卒であったのだ。

    …と記されているそうで、日清戦争時の軍夫については、

     不規律で、吾が儘で、繊弱で、到底、繁劇な後方勤務に堪えなかった

    …との認識は、当時はある程度は世間でも知られていたようでもあります。

  • Comment : 4
    umasica :桜里
     2013/10/20 09:19
    加筆修正して、ココログ版の「現代史のトラウマ」記事としてアップ。


     兵站勤務ノ困難(苦笑篇)
     http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-bb1b.html

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