umasica :桜里さんのマイページ

昭和21年5月23日

2014/05/23 23:06

本日は木村久夫の命日になる。昭和21年5月23日、木村久夫は「戦犯」として処刑された。



有田芳生氏の「木村久夫遺書全文を公開する」から、田辺元の『哲学通論』の欄外に書き込まれた、いわゆる木村久夫の「遺書」の末尾近くの文章を、あらためて読んでおきたいと思う。






 天皇崇拝の熱の最も厚かったのは軍人さんだそうである。然し、一枚の紙を裏返へせば、天皇の名を最も乱用、悪用した者は即ち軍人様なのであって、古今之に勝る例は見ない。所謂「天皇の命」と彼等の言ふのは即ち「軍閥」の命と言ふのと実質的には何等変らなかったのである。只此の命に従はざる者の罪する時にのみ天皇の権力と言ふものが用ひられたのである。若し之を聞いて怒る軍人あるとするならば、終戦の前と後に於ける彼等の態度を正直に反省せよ。私が戦も終った今日に至って絞首台の露と消ゆる事を、私の父母は、私の運の不幸を嘆くであろう。然し、私としては神が斯くも良く私を此処迄で御加護して下さった事を、感謝しているのである。之で最後だと自ら断念した事が幾多の戦闘の中に幾度びもあった。それでも私は擦傷一つ負はずして今日迄生き長らへ得たのである。全く今日迄の私は幸福であったと言わねばならない。私に今の自分の不運を嘆くよりも、過去に於ける神の厚き御加護を感謝して死んで行き度いと考えている。父母よ嘆くな、私が今日迄生き得たと言う事が幸福だったと考えてくれ。私もそう信じて死んで行き度い。


 今計らずもつまらないニュースを聞いた。戦争犯罪者に対する適用条項が削減されて我々に相当な減刑があるだろうと言ふのである。数日前、番兵から此の度び新に規則が変って、命令でやった兵隊の行動には何等罪はないことになったとのニュースを聞いたのと考え合わせて、何か淡い希望の様なものが湧き上った。然し之等のことは結果から見れば死に到る迄での果無い波にすぎないと思はれるのである。


 私が特に之を書いたのは、人間が愈々死に到るまでには、色々の精神的変化を自ら惹起して行くものなることを表はさんがためである。人間と云う物は死を覚悟し乍らも、絶えず生への吸着から離れ切れないものである。


 アンダマン海軍部隊の主計長をしている主計少佐内田実氏は実に立派な人である。氏は年令三十そこそこであり、東京商大を出た秀才である。何某将軍、司令官と言はれる人でさえ人間的には氏に遥か及ばない。其の他軍人と称される者が此の一、商大出の主計官に遥か及ばないのは何たる皮肉か。稀を無理に好む理由(わけ)ではないが、日本の全体が案外之を大きくしたものにすぎなかったのではないかと疑わざるを得ないのである。矢張り書き読み、自ら苦しみ、自ら思索して来た者には、然からざる者とは何処か言ふに言われぬ相異点のあるものだと痛感せしめられた。高位高官の人々も其の官位の取り去られた今日に於ては、少しでもの快楽を少しでも多量に享受せんと見栄も外聞も考慮出来ない現実をまざまざ見せ付けられた。


 今時に於ては全く取り返しのつかない皮肉さえ痛感するのである。精神的であり、亦、たる可きと高唱して来た人々の如何に其の人格の賎しき事を我々日本のために暗涙禁ず能はず。明日は死すやもしれない今の我が身であるが、此の本は興味盡きないものがある。三回目の読書に取り掛る。死の直前とは言ひ乍ら、此の本は言葉では表し得ない楽しさと、静かではあるが真理への情熱を与へてくれる。何だか私の本性を再び、凡ての感情を超越して、振り帰らしてくれるものがあった。家庭問題をめぐって随分な御厄介を掛けた一津屋の御祖母様の苦労、幼な心にも私には強く刻み付けられていた。私が一人前となれば、先ず第一に其の御恩返しは是非せねばならないと私は常々一つの希望として深く心に抱いていた。然し、今や其の御祖母様よりも早く立って行く。此の大きな念願の一つを果し得ないのは、私の心残りの大きなものの一つだ。此の私の意思は妹の孝子に依り是非実現されんことを希ふ。今まで口には出さなかったが、此の期に及んで特に一筆する次第である。


 私の仏前、及び墓前には、従来仏花よりも、ダリヤ、チューリップなどの華かな洋花も供えてくれ。之は私の心を象徴するものであり、死後は殊に華かに、明るくやって行きたい。美味しい洋菓子をどっさり供えてくれ。私の頭腦(とうのう)にある仏壇は余りにも静かすぎた。私の仏前はもっと明るい華かなものであり度い。仏道に反するかも知れないが仏たる私の願う事だ。


 そして私の個人の希望としては、私の死んだ日よりはむしろ、私の誕生日である四月九日を仏前で祝ってくれ。私はあくまで死んだ日を忘れていたい。我々の記憶に残るものは唯私の生れた日丈であって欲しい。私の一生に於て楽しく記念さる可き日は、入営以後は一日も無い筈だ。私の一生の中最も記念さる可きは昭和十四年八月だ。それは私が四国の面河の渓で始めて社会科学の書をひもどいた時であり又同時に真に学問と云ふものの厳粛さを感得し、一つの自覚した人間として、出発した時であって、私の感激ある人生は唯其の時から始まったのである。


 此の本を父母に渡す様お願いした人は上田大佐である。氏はカーニコバルの民政部長であって私が二年に渉って厄介になった人である。他の凡ての将校が兵隊など全く奴隷の如く扱って顧みないのであるが、上田氏は全く私に親切であり、私の人格も充分尊重された。私は氏より一言のお叱も受けた事はない。私は氏より兵隊としてではなく、一人の学生として扱われた。若し私が氏に巡り会ふ事がなければ、私のニコバルに於ての生活はもっとみじめなものであり、私は他の兵隊が毎日やらせられた様な重労働により恐らく、病気で死んでいたであろうと思はれる。私は氏のお陰に依りニコバルに於ては将校すらも及ばない優遇を受けたのである。之全く氏のお陰で、氏以外の誰ものもの為めではない。之は父母も感謝されて良い。そして法廷に於ける氏の態度も立派であった。
(木村久夫による、田辺元『哲学通論』昭和八年版の113〜141ページ欄外への書き込み)
有田芳生「木村久夫遺書全文を公開する」より
 → http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2014/04/post_0142.html





「遺書」の最後は、以下のように結ばれている。



(奥付けの右ページ)此の一書を私の遺品の一つとして送る。昭和二十一年四月十三日 シンガポール チャンギー監獄に於て読了。死刑執行の日を間近に控え乍ら、之が恐らく此の世に於ける最後の本であろう。最後に再び田辺氏の名著に接し得たと言う事は無味乾燥たりし私の一生に最後一抹の憩ひと意義とを添えてくれる物であった。母よ泣く勿れ、私も泣かぬ。
(巻末余白ページ)
 紺碧の空に消えゆく生命かな









Tags: なし
Binder: 現代史のトラウマ(日記数:656/全体に公開)
Gg[ubN}[N
最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2014/05/23 23:14
    やりきれない話である。

  • Comment : 2
    umasica :桜里
     2014/05/23 23:49
    あらためて読んで、木村久夫に、そして内田少佐、上田大佐の姿に、
    「教養の力」とでも言うべきものを感じる。
    スノビズムの浅薄さからは一線を画した「教養」と呼ぶべきものの「力」。

  • Comment : 3
    umasica :桜里
     2014/05/24 10:06
    加筆して、ココログ版の「現代史のトラウマ」記事としてアップ。

     昭和21年5月23日
     http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-0f11.html

このブログにコメントをつけるには、ログインする必要があります。
マイページをお持ちでないひとは「マイページを作成する」ボタンを押してマイページを作成してください。
不適切なブログを見つけたら、こちらからご報告ください!

Mail Address(GMO ID):

Password:

自動ログインパスワードを忘れた方

最近書いたブログ


http://www.freeml.com/feed.php?u_id=316274&f_code=1



Copyright(C)2017 GMO Media, Inc. All Rights Reserved.