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日本人がよくやったような、なぐったり蹴ったり(シベリア出兵編)

2015/02/21 23:14



 ただし、派遣軍に対して全く批判がないわけではなかった。議員たちは、いくつかの事項で日本軍への批判を述べたという。第一次派遣時における中屋の報告書には、次のような例がある。一つは、日本軍兵士はロシア語が分からないため、「悠長ナル露国民ニ対シ性急ナル我将卒ハ不知不識威力ヲ用フル」ことがあった。『日露会話篇』というロシア語会話手帳が兵士に配布されていたのであるが、これが間に合っていなかったためである、という。

 もう一つは先行研究でも一部指摘されている、雇用した「軍役夫」の態度が悪いことであった。軍役夫は軍隊の荷物運びのために雇われていたのであるが、彼らは全く規律に従わなかった。そのためロシア人や中国人住民とのトラブルが絶えなかった。藤井幸槌第七師団長は「動モスレハ露、支両国民ノ感情ヲ害シ殊ニ其服装ノ軍人ニ類似シタルニ因リ軍隊ノ威信ヲ傷クルモノアリ」として、最終的に軍役夫制度をやめるように中央に意見を提出している。

     井竿富雄 「衆議院議員のシベリア慰問旅行―一九一八−一九一九年」 『山口県立大学国際学部紀要』第9号 2003  45〜46ページ



 派遣軍の現地住民への態度は改まっていなかった。派遣とは別系統で出かけた憲政会の加藤定吉は、先述した講話で「日本の軍隊でありますが、残念ながら西伯利に於て甚だ不人望である」と語った。言葉が通じない上に、「実際日本の軍人は偏狭であって、国際的でない。事ある時は直に大和魂を振り廻わし、直ぐ怒るとか、若くは殴るとか云やうな事を為し勝ちである」というのである。第一回の派遣の際に指摘されていた、ロシア人とのコミュニケーションが取れないことが改善されていなかったのである。だが、このことは、「ロシア人は鈍重で恩義を感じない」などという偏見と表裏一体であっただろう。

     同論文  46ページ






いわゆる「シベリア出兵」の時点でのエピソードである(前者が1918年で後者が1919年)。



兵站のために「雇用した「軍役夫」の態度が悪いこと」に関しては、日清戦争時からの対外戦争の際の問題であり、それが1910年代の終わりになっても改善されていなかったことを示している。



「悠長ナル露国民ニ対シ性急ナル我将卒ハ不知不識威力ヲ用フル」、あるいは「実際日本の軍人は偏狭であって、国際的でない。事ある時は直に大和魂を振り廻わし、直ぐ怒るとか、若くは殴るとか云やうな事を為し勝ちである」という構図(会田雄次の表現を用いれば「日本人がよくやったような、なぐったり蹴ったり」)については、大東亜戦争期になっても変わらずに続いた問題であった。









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