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何度目かの東京大空襲戦災資料センター

2015/11/29 23:11

(なんと一ヶ月前の話)





戦争体験の記録作業を続けているグループからのお誘いに乗って、久しぶりに東京大空襲戦災資料センターを訪れた。

これまでは錦糸町からのバス(ただし停留所からセンターまで、徒歩で10分以上かかってしまう)利用が主であったが、今回は秋葉原からのバスであった。こちらは乗っている時間は長いが、目的地のセンターに近い場所に停留所があるので、高齢者が多いグループには有利であった。



今回は十数人のグループでの訪問企画ということで(前触れなしでの個人的な訪問の際とは違い)、センターの方(実際の大空襲を体験したお一人でもある)のレクチャー的な時間が用意された中での1978年のNHK製作のドキュメンタリー(ただしダイジェスト版であったが)の上映などもあり、あの昭和20年3月10日の「東京大空襲」が歴史的にどのようなものであったのかを再認識することから始まった。

もうお一方から、ご自身の3月10日の体験の詳細を伺うことで、「大空襲」を単なる歴史知識としてではなく、町場の一人一人の人間の身に降りかかった災厄(それも大災厄である)として理解する機会となったように思う。個人の体験に耳を傾けることを通して、70年前の「大空襲」が、他人事としての歴史知識の問題から当事者の味わった苦難の問題へと変容して、私に伝わるのである。

今回は、12歳で「大空襲」を体験された方による、空襲前夜から翌朝、そして家族との再会と親戚の住む阿佐ヶ谷までの避難の道のりの詳細を伺う流れとなった。そこには幸いにも家族の全員の無事が確認されるまでの不安な時間があり、焼き尽くされ廃墟となった街を、電車の通じている区域まで遺体と化した人々の上を歩き通し、どうにか阿佐ヶ谷の親戚の家に着くまでの実に長い一日なのであった。お話を伺う側としての私たちも、時間の経過と共に家族の一人一人の無事が確認され、最後に全員の無事が確かめられた際には、他人事としてではない喜びを感じたように思う。

普段から「戦争体験」に耳を傾けることを心がける中で、家族を失う悲しみ、家族に限らず親密な人を失うことの悲しみを通して、戦争の悲惨であることを実感させられる機会は多いが、そして自分(だけ)が生き残ったことを率直に喜べない心情に接する経験もするが、今回は、当人自身が無事(もっともひどい火傷は負っているが)であっただけではなく、家族全員の無事が確かめられていく過程を本人の口から伝えられる中で、「大空襲」をくぐり抜けてもなお生きてあることの喜びが、話を伺う側にも深く実感されたのであった。同時に、この「喜び」との対比の中に、「戦争の悲惨」が(その大きさが)あらためて強く感じられもしたのである。


レクチャー的な時間を受け持った方から伺った話の中で印象に残ったことも記しておきたい。

戦災資料センターの見学者としては、当然のことながら様々な経歴・職業を持った人物が訪れるわけだが、そして様々な視点で見学の時間を過ごしていくわけだが、医療関係者のグループの視点が私の想像力の及ばぬ、しかし焦土と化した光景の現実を明らかにするものであった。

「焦土と化した街」の光景は写真として記録もされており、そこには黒焦げとなった多数の死者の姿もある。その遺体の状況について医師は、確かに黒焦げではあっても(つまり、皮膚や筋肉は焼け焦げていても)被害は内臓までは及んでいないとの判断を語ったのだそうである。見た所は黒焦げ状態の遺体であっても、内臓まで焼けていなければ「火葬」に付した状態とはならず、焼け残ってしまった内臓は腐敗するのである。だからこそ、空襲直後の早急な仮埋葬措置も必要となる、ということなのだ。

「焦土と化した街」について考えようとすると、(個人的な話だが)近所で放火のために数棟が焼失した事件があった際に、一週間を過ぎても焼跡からは焦げ臭いが取れなかったことを思い出す。これまでにも「大空襲」後の焼跡もまた「焦げ臭さ」に覆われていたのではないかと想像してきたが、仮埋葬が間に合わない遺体の内部で腐敗し始める内臓にまでは考えが及ばなかった。

写真に残されるのは視覚的情景だけだが、実際には辺りに立ちこめる臭いも含めて(嗅覚も含めて)の「焼跡」なのである。写真からは(前述の医師のような場合を除いて)伝わらないし、通常は体験者から語られることもない(今回の訪問は、少なくとも私には、そんなことを再確認させられる機会ともなった)。


最後にもう一点、今回の訪問で気付いたことを記しておきたい(これまで訪れた際には気付けなかったことである)。

展示品には、大空襲後に発行された「罹災証明書」が多く含まれている。その「証明書」が多様なのである。文言は(公的な証明書として)ほぼ定型文なのだが、定型の文言が活字で印刷され必要箇所が手書きのもの、定型の文言がガリ版刷りのもの、定型の文言も手書きのものの三類型があるのだ。罹災証明書を発行する行政の窓口も空襲で焼けてしまえば、証明書を手書きにするしか手段がないのだということなのだ。全文手書きでも罹災証明を発行し続けた人物(当人だって罹災者の一人であるはずだ)の姿を、展示された「罹災証明書」のバリエーションを通して見る思いがしたのである。










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