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東京大空襲罹災者の姿(清沢洌『暗黒日記』より)

2015/12/22 22:30



 三月十日(土)

 …

 朝、国民学術協会に出席のため都心に出る。電車は品川しか行かないというのが、浜松町まで行けた。蒲田駅で、眼を真っ赤にし、どろまみれになった夫婦者あり。聞くと浅草方面は焼け、観音様も燃えてしまったという。東京に近づくにしたがって、布団につつまった人が多くなる。浜松町からは、鉄道を、群衆が歩くところ、ちょうど昔の震災の時と同じだ。新橋駅近くの左右が燃えている。ことに汐止駅が、まだ盛んに火を吹いている。ここは東京最大の運輸駅であり、二三丁四方にうずたかく物資をつんであったはずだ。それが灰燼に帰したのである。しかも驚くべきことは、きわめて正確に荷物置き場だけがやられて居り、その投弾の正確なること驚くばかりだ。

 銀座三丁目辺りから一丁目にかけ焼く。日本橋の白木屋にも火が這入っている。いつも行く明治堂古本屋が焼けてしまった。もくようびに予は本を買って、取りに行く筈であった。丸善だけは無事。三菱銀行支店だけがどこに行っても立っているのは、同銀行の信用を語るものか。見るにたえないのは、老婦人や病人などが、他にささえられながら、どこかに行くものが多いことだ。燃え残った夜具を片手に持っている者、やけただれたバケツを提げる者。それが銀座通りをトボトボと歩いて行く。彼等の目はいずれも真赤になっている。煙と炎の故であろう。

 板橋君に逢うと石橋家が丸焼けになって、奥さんが「東洋経済」に行っているという。見舞うために行くと、奥さんが疲れた姿でいる。昨夜、石橋君は鎌倉に行き、奥さんと女中だけが罹災。全然何も出さず。丸焼けだとのことだ。この戦争反対者は先には和彦君を失い、今は家を焼く。何たる犠牲。

 浅草、本所、深川はほとんど焼けてしまったそうだ。しかも烈風のため、ある者は水に入って溺死し、ある者は防空壕で煙にあおられて死に、死骸が道にゴロゴロしているとのこと。惨状まことに見るにたえぬものあり。吉原も焼けてしまったと。

     清沢洌 『暗黒日記 3』 ちくま学芸文庫 2002  126〜128ページ


 3月10日の「東京大空襲」直後のエピソードである。清沢洌が実際に出会った罹災者の姿が記録されている。


 清沢は「眼を真っ赤にし、どろまみれになった夫婦者」から話を聞き、「東京に近づくにしたがって、布団につつまった人が多くなる」のを見る。そして銀座では「見るにたえないのは、老婦人や病人などが、他にささえられながら、どこかに行くものが多いことだ。燃え残った夜具を片手に持っている者、やけただれたバケツを提げる者。それが銀座通りをトボトボと歩いて行く」姿を記録している。そして、「彼等の目はいずれも真赤になっている。煙と炎の故であろう」と、罹災者の「真赤な目」に再度言及している。モノクロの記録写真からは伝わらない「姿」である。





 三月十二日(月)

 …

 本所、深川方面では、空爆三日の後、まだ死骸が道路に転がっているそうで、警防団がトラックで運んでいるそうだ。火事のため毛も顔も原形をとどめず、黒い焼け杭のようになっており、男女の別も分からなくなっているという。

 甥の笠原貞夫は出征して居り、その妻が三人の子供をかかえて焼け出されたのは、さきに書いたが、修司が区役所に行くと、「縁故疎開の外はどうにもならぬ」と、一向受けつけない。貰ったのが五日分の食料切符と汽車無賃乗車券のみである。仕方がないから丸ビルの地下室に連れてきて、信州に送るという。布団二枚を自転車につんで連れてきた。国家の罹災者救助というのは五日分の米と醤油だけだ。

     同書 164〜165ページ



 「空爆三日の後」になっても遺体の処理に追われているのである。

 そして、「国家の罹災者救助というのは五日分の米と醤油だけ」との、罹災者を待ち受ける現実が記録されている。

 









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