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空襲と罹災証明書発行事務(山田風太郎『戦中派不戦日記』より)

2015/12/23 09:06



 (五月)二十四日

 …

 〇午後、シャベルを持って、高須さん、高輪螺子のおやじさん、そこの工員の唖男、自分と、四人で焼跡へゆく。

 目黒の空は煙にまだ暗く、まるで煤ガラスをかざしてのぞいたように、太陽が血色にまるくはっきり見える。空はどんよりとして、雨でも頬に落ちそうな曇りである。

 焼跡は、今までよそで見たのと同じく。赤茶けたトタン板と瓦の海と化していた。なお余燼が至るところに立ち昇り、大地は靴を通して炎の上を歩くように熱い。熱風が吹く。

 遠くからこの下目黒三丁目を眺めたときは奇妙な笑いがニヤニヤと浮かんでいたが、現場について焼土と化したこの跡を見ると、さすが万感が胸に充ちて哀愁の念にとらわれざるを得ない。

 サンルームのように日当たりのよかった二階や、毎日食事をとった六畳や、ラジオを置いてあった三畳や、米をといだ台所や、そして自分が寝起きし、勉強した四畳半の部屋や……この想い出と、いま熱い瓦礫に埋まった大地をくらべると、何とも名状しがたい悲愁の感が全身を揺する。

 防空壕の口は、赤い炭みたいにオコった瓦で埋まっていた。完全にふさぐことができなかった酬いだ。掘り返してゆくと、焼け焦げて、切れ切れになった布団が出て来た。地面へ出しておくと、またポッポと燃え出して、覗きに来た隣の遠藤さんが、どんな切り端からでも綿がとれる、それで座布団も作れる、早く消せといったが、水をいくらかけても消えない。くすぶりつづけて、一寸ほかのことをやっていると、またすぐに炎をあげている。遠い井戸から水を運んでは、ぶっかけ、足で踏んでいるうち泥んこになってしまい、はては馬鹿々々しくなって、燃えるなら燃えちまえとみな放り出してしまった。

 鍋、お釜、茶碗、米櫃、それからずっと前に入れて土をかけて置いた瀬戸物、そして風呂敷に包んだ自分のノート類など、これは狐色に焦げて、これだけ出て来て、あとはみな燃えていた。防空壕内部の横穴の方へ大部分の家財を入れておいたのだが、何しろ恐ろしい熱気と煙なので手もつけられず、あきらめて夕刻帰る。

 町会も焼けたので、わずかに焼け残った近くの一軒家を借りて事務をとっていたが、「罹災証明書」は出しつくして明日区役所からもらって来るまで待ってくれと書いた紙が塀に貼ってあった。

     山田風太郎 『戦中派不戦日記』 講談社文庫 2002  240〜242ページ



 山田風太郎自身が当事者として経験した、3月10日ではなく、5月24日の目黒方面の空襲の「罹災」の実状である。


  焼跡は、今までよそで見たのと同じく。赤茶けたトタン板と瓦の海と化していた。なお余燼が至るところに立ち昇り、大地は靴を通して炎の上を歩くように熱い。熱風が吹く。


 山田不太郎は視覚的光景としてだけでなく、「大地は靴を通して炎の上を歩くように熱い。熱風が吹く」と、自身の足裏を通して伝わる、肌を通して感じられる熱気としても、自らの空襲罹災者としての経験を書き記した。


  町会も焼けたので、わずかに焼け残った近くの一軒家を借りて事務をとっていたが、「罹災証明書」は出しつくして明日区役所からもらって来るまで待ってくれと書いた紙が塀に貼ってあった。


 空襲を生き延びた人々に、まず必要になるのが「罹災証明書」なのである。

 






 二十五日

 〇朝、また焼跡にいって見ると、驚いたことに昨日半分掘りかけた防空壕の入り口が、また新しい瓦礫でぎっしり埋まっている。きくと隣家の遠藤さんの娘の節ちゃんが、昨夜八時までかかって埋めたのだそうだ。

 むろ遠藤さんの家もないが、ここは防空壕がちゃんとしているので、当分そこに住むことにしたらしく、こちらの防空壕の口から火と煙がたち昇り、見ていて不安だったのと、もう何もだめだろうと思って埋めたのだという。

 しかし、こちらにして見れば、掘って見ればまだ何が残っているかも知れない。お節介なことをすると、高須さん大いに怒り、もう一度昨日の通りに掘り返してもらおう、とどなりつけて会社へ出かけていった。

 遠藤家でまた掘り返すからというので、自分も町会へ出かけてゆき、ひるまで行列して罹災証明書をもらった。

 警報は二、三度鳴ったが、無一物になった者にとっては、もう戦々兢々としている必要は何もない。しかしそのうちにまた空襲警報になってしまった。五、六十機の小型機が侵入中だという。

 小型機は銃撃する。白いものを身につけている者はどこかにいってくれ、という叫び声がする。しかしみんな動かない。罹災証明書をもらわねば、何も買えず、どこへも汽車でゆけないからである。

 その罹災証明書をもらうには、一日でも駄目、二日目に半日も並ばせるとは何事だと怒り出す者もある。ところが町会事務所では、老人が一人、女が二人キリキリ舞いをしていて、私達も焼け出されたんだ、その焼跡整理も出来ないんだと悲しげにつぶやいているのである。

     同書 243〜245ページ



 こうして、山田風太郎は罹災証明書を手に入れることが出来たのであった。「罹災証明書をもらわねば、何も買えず、どこへも汽車でゆけないから」、空襲警報が鳴る中でも列に(一日でも駄目、二日目に半日も)並び続ける人々の姿。


  ところが町会事務所では、老人が一人、女が二人キリキリ舞いをしていて、私達も焼け出されたんだ、その焼跡整理も出来ないんだと悲しげにつぶやいているのである。


 罹災証明書を発行するのも罹災者なのである。しかも、発行事務のために自身の「焼跡整理も出来ない」のである。


 その夜、再び目黒は空襲を受ける。



 この一夜に出現した荒野は、まだ煙と残火に燃えくすぶっている。津雲邸はなお巨大な赤い柱のピラミッドを虚空に組み立てていた。電車が数台、半分焼けたまま線路の上に放置され、罹災民がその中に眠っていた。負傷者が担架に乗せられてしきりに通る。炊き出し隊の前には何百人かの人々がバケツを持って並んでいる。米屋の焼跡には黒焦げになった豆の山が残り、女子供が餓鬼のようにバケツにすくい入れている。

 下目黒の方へいってみると、二十四日焼け残った部分が、この朝きれいに掃除されたように焼き払われていた。町会はまた焼かれて、さらにどこかへ引っ越していた。

     同書 255ページ






  


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