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フォードの爆撃機、あるいはロージーのリベレーター

2016/12/31 11:39



 いわゆる「先の大戦」で日本は米国に戦いを挑み、そして敗れた(日本にとっては「大東亜戦争」、すなわちアジアでの戦争であったが、米国にとっては「第二次世界大戦」であり、アジアとヨーロッパの二正面での、まさに世界戦争であった)。ヨーロッパとアジアの二正面の戦争での米国の圧倒的な勝利を支えた米国の国力、その圧倒的な生産力については、これまでにも「クライスラーの戦車」そして「B−29 (物量としての米国の生産力)」といった記事を通して考えてきた。

 クライスラー社の広報用フィルム(『Assembly Lines Of Defense』)に記録されていたのは、(米国参戦前の)準戦時体制の下で、民間の自動車メーカーが大規模な戦車工場を設計し建造すると同時に戦車を設計し製造ラインを構築し、実際に製造ラインを稼働させることで戦車の大量生産を実現してしまう姿であった。

 ボーイング社設計の新鋭四発重爆撃機B−29の生産を担当した航空機メーカーであるベル・エアクラフト社の広報用フィルム(『B-29s Over Dixie』)には、B−29生産のために新たに建設したマリエッタ工場での、人種、経歴、性別、年齢、障害の有無を問わずに団結して生産に集中する米国の総力戦状況、そして近代的な生産ラインの詳細に加え、工場の福利厚生の充実ぶりまでが記録されていた。



 今回は、コンソリ―デッド社の設計による四発重爆撃機B−2(リベレーターの生産を請け負った自動車メーカー、フォード社の広報用フィルムを通して、四発重爆撃機の製造に際して自動車並みの大量生産を成し遂げてしまった米国の自動車メーカーの底力と、ウィローラン工場の生産力を支えた女性労働者の存在に焦点を当ててみたい。



 B−24の生産に際して、フォード社の果たした役割については、まず牧英雄氏の論考を読むことで、その驚異的生産力の概略を把握しておこう。



  各社が揃って生産に入ったB−24D系列(E/C型を含む)の機体を見ると、コ社(=コンソリ―デッド社:引用者註)のサンディエゴ工場が1942年1月、フォートワース工場が5月、ダグラスのタルサ工場が1942年8月、フォードのウィローラン工場が9月、最後に少し遅れて翌42(ママ)年4月にノースアメリカンのダラス工場が、それぞれ最初の機体を送り出している。
  このうち、注目すべきはフォード社であった。優秀な特定の機体を、直接航空機と関係のない企業を含むいくつかのメーカーで生産する体制は、当時アメリカで広く行われたことであるが、とくに威力を発揮したのが自動車メーカーで、その生産能力において航空機メーカーの比ではなかった。ジェネラル・モーターズなどは、各工場をイースタン部門として統合、ついには自ら開発を行なうまでになった。
  フォード社も、ミシガン州ウィローランに急遽工場を新設、製作図面を量産向けに書き直したうえ、生産設備も自動車並みに変更して大量生産に入った。
  当初は部品のみを月産100機分の予定であったが、計画を大幅に拡大、機体200機、部品150機分を月産、半ば以降はB−24生産の中心的存在となった。
  最高精密機械の航空機といえども、充分マスプロが可能なことを知らしめたのである。
  こうしたことから、最初XB−24の開発に$2.880.000、YB−24では$360.000もした価格は、1941年には平均$269.805、42年末には$137.000にまでなった。これはP−38(一人乗りの双発戦闘機である:引用者註)よりわずか1万ドル高いだけであった。 
  最大の生産がなされたB−24だが、やはり他の機体同様終戦によりPB4Y(海軍で使用されたタイプ:引用者註)と合わせ5.700機ほどがキャンセルされており、1945年5月31日に最後の機体(YB−24Nとされる)がウィローラン工場をロールアウト、10月にはプライバティア(海軍用の単尾翼タイプの機体:引用者註)の最終機も完成し、その生産は完全に幕を閉じた。
     (牧英雄 「B−24 技術的解剖と開発、各型」 『世界の傑作機No.24 B−24リベレーター』 文林堂 1995  12ページ)




 B−24の全生産機数は最終的に18000機を超えるのだが、その半数に近い8685機をフォード社が生産しているのである。B−24を開発した航空機メーカーであるコンソリーデッド社の二つの工場に加え、やはり航空機メーカーであるダグラス社とノースアメリカン社の生産機数の合計(これが航空機専業メーカの実績、ということだ)に匹敵する生産量を、自動車メーカーであるフォード社一社で達成しているのだ。

 ちなみに、日本は四発重爆撃機を開発・保有し得るだけの国力を持たなかったし、双発爆撃機の生産機数だけで比較しても日本の双発爆撃機(陸海軍機合計して)の全生産機数は9558機に過ぎず、それに対して米国は双発爆撃機5機種を保有するだけでなく、その中のB25一機種だけで9793機と日本の全双発爆撃機生産数を凌駕していたのが、日米の生産力に関する事実である。
 四発重爆撃機であるB24は、その双発のB25の二倍近い生産機数であり、その半数、すなわち日本の全双発爆撃機の生産機数に匹敵する機数のB−24をフォード社一社で生産してしまっていたことになる。




 そのフォード社が1943年に制作したのが、『Women on the Warpath』である。10分ほどの広報用フィルムだが、全編がカラーであるところにも、当時の日本と隔絶した米国の国力を見ることが出来るだろう(既に「昭和11年のシンデレラ(シボレーのシンデレラ)」でも示したように、自社のコマーシャルフィルムをカラーで制作してしまうのが米国の自動車メーカーの戦前以来の実力なのであった)。






Ford Willow Run Plant in World War II: "Women on the Warpath" 1943 Ford (B-24 Liberator Mfg)
https://www.youtube.com/watch?v=Y0P6UiKPrlI




 タイトルに『Women on the Warpath』(戦いに臨む女たち)とあるように、中心に描かれるのは女性達の姿である。

 映像はウィローラン工場の紹介から始まるが、そこでは一時間当たり一機のB−24の生産が期待されていることが説明されると同時に、男性だけではそれが達成困難であることも語られる。加えて、既に陸海軍の婦人部隊(WAC及びWAVES)で活躍する女性達の姿、そしてガソリンスタンドで働く女性の姿が示される一方で、まだウィンドーショッピングやゴルフに時間を費やす女性、そして家庭内で家事にいそしむ女性の姿が映し出される。彼女たちに向けて、軍需工場での労働への参加が呼びかけられるのである。

 続いて、その呼びかけに応えた女性たちの姿が映し出されるのであるが、彼女らの通勤の手段は既に自家用車なのである(それが当然のこととして描かれている)。

 洗濯物を干しながら上空のB−24を見上げていた主婦が、B−24を生産する工場の労働者となる。様々な工程が既に女性労働者によって置換されていることが示され、(その前提となる)充実した職業訓練・教育の模様が映し出される。そして当時のヒット曲『Rosie, The Riveter』(「リベット打ちのロージー」とでも訳すか?)のメロディーを背景に、まさにリベット打ちの作業に携わる女性労働者たちの姿が続く。

 キャンパスの女子学生も工場でのリベット打ちへと転身する(リベット打ち機の音は、文化的で民主的な生活を守る機関銃の発射音に擬せられる―リベット打ち機の連続音は『Rosie, The Riveter』の歌詞にも反映されている)。

 工場のすべての部品製造が女性労働に担われていることが強調され(プレキシガラスの成型シーンは『B-29s Over Dixie』にも登場していた―実際、見ていて面白い)、ブルーの作業服にバンダナ姿の女性労働者の姿は、ノーマン・ロックウェルの描くところの『Rosie, The Riveter』に重ねてイメージされる。

 工場の食堂や付属職業訓練校の図書室の映像は、ベル社のマリエッタ工場の福利厚生面での充実ぶりを思い出させる。

 製造ラインと組み立てラインは女性達に支えられており、彼女たちは既に戦場の男たちの帰りを待つだけでの存在はないのだ。

 完成したオリーブドラブ塗装仕様のB−24Eは、工場に付設されたウィローラン飛行場へと移され、国民の希望と敵の恐怖の象徴として、自由な空を愛国的メロディーの合唱に伴われながら星条旗を背景に飛行し、盛り上がったところでエンドマークとなる。



 ただし『Wikipedia』(英語版)の「Willow Run」の項目等を読むと、ヘンリー・フォード自身は、当初は工場労働者としての女性の雇用には否定的であったし、工場の完成から本格的稼働(一時間に一機の生産達成)までには時間を要しているのが実情のようである。

 自家用車による通勤にしても、デトロイトからは一時間を要し、ガソリン供給に制限のあった時期の労働者にとっては決して利便な勤務地ではなく、しかし工場近郊での住宅供給は遅れ、労働者の定着率の低さに悩まされていたのが工場稼働の初期段階(労働者のストライキさえあったという)の現実でもあったらしい。

 しかし、最終的には一時間に一機のペースでの製造には成功し、最盛期には月産650機を記録するところまで到達している。


 いずれにせよ、ヘンリー・フォードが工場労働者としての女性の雇用に否定的であろうが、多くの男性が兵士として前線へと送られる状況の中では女性の積極的雇用にしか選択の余地はない。それが「近代総力戦」の現実であった。そして、実際に多くの女性が、それまで「男の仕事」とされていた職務を男性に遜色なくこなしたのであった。



 せっかくの機会なので、あらためて『Rosie, The Riveter』がどんな曲であるのかを確かめておこう。




Rosie, The Riveter ~ Allen Miller & His Orchestra (1943)
https://www.youtube.com/watch?v=XJxe3vQRMuY




 レッド・エヴァンスとジョン・ジャコブ・ローブによる1942年の曲で、様々なレコーディングが残されているらしい。


 歌詞は、



 All the day long, whether
 rain or shine
 She's a part of the
 assembly line
 She's making history,
 working for victory--
 Rosie, brrrrrr, the riveter.

 Keeps a sharp lookout
 for sabotage
 Sitting up there on
 the fuselage.
 That little frail can do more
 than a male can do--
 Rosie, brrrrrr, the riveter.

 Rosie's got a
 boyfriend, Charlie.

 Charlie, he's a
 Marine.

 Rosie is protecting
 Charlie, workin'
 overtime on the
 riveting machine.

 When they gave her
 a production "E,"
 she was as proud
 as a girl could be!

 There's something
 true about--red,
 white, and blue
 about--Rosie,
 brrrr, the riveter.



 「Rosie, brrrrrr, the riveter.」、この「brrrrrr」の部分がリベット打ち機の作動音(擬音)で、非常に効果的に用いられているのが録音を聴くことでわかるだろう。「Rosie is protecting Charlie, workin' overtime on the riveting machine.」とはつまり、戦場の恋人チャーリーを守るのが雨にも負けず風にも負けずに一日中(All the day long, whether rain or shine)工場で生産に励むロージーのリベッティングマシーンというレトリックである(戦場の男は、工場の女に守られる存在だというのである)。



 図像的には、1942年にJ・ハワード・ミラーによってウェスティングハウス社のためにデザインされたポスターと、1943年に「サタデー・イブニング・ポスト」誌の表紙としてノーマン・ロックウェルが描いたものが、リベット打ち(リベット工)ロージーの視覚的イメージを代表するものとなっている。

 動画で歌の背景に用いられている当時の女性労働者の画像も興味深いし、『Women on the Warpath』に実際に登場するブルーの作業服にバンダナの女性の被写体としての選択にも、ミラーやロックウェルのイメージが反映されているように感じられる。


 



 "We Can Do It!" by J. Howard Miller
https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter#/media/File:We_Can_Do_It!.jpg



 Norman Rockwell's Saturday Evening Post cover
https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter#/media/File:RosieTheRiveter.jpg






 ミラーとロックウェルは、若い女性の姿としてロージーを描いているように感じられるが、先の『Women on the Warpath』では家庭内の主婦(ミセス)もまたロージーとなり得ることが示唆されている(むしろ主婦に対し、家庭内から外へ出て働くことが積極的に推奨されている)。

 夫は戦場にあり、(夫に対しての)家事労働の必要は減少していたにせよ、主婦の守るべき家庭には子どもという存在がある。育児の問題を解決せずして、主婦の工場労働者としての身分は不安定なままである。保育所の確保は、当時の米国女性(そして行政)にとっても課題であったが、保育への公的支援の枠組みが一般的なものとして構築される前に戦争は終わってしまった(たとえば松本園子「第二次世界大戦期アメリカ合衆国における保育問題」2005 が参考になる→ http://ci.nii.ac.jp/naid/110004475970)。








 最後に再びフォード社の広報用フィルムを見ておこう。『STORY OF WILLOW RUN』は、戦前のまだ田園地帯であったウィローラン地域の映像から始まる。

 そこにフォード社は、世界最大規模の爆撃機生産工場を建設し、工場のための飛行場まで自身の手で開設してしまうのである。




" STORY OF WILLOW RUN "
Save the Willow Run Bomber Plant landmark - Amazing Local History in WW II effort
https://www.youtube.com/watch?v=77_6MExOp8g&t=22s




 映像はヤンキー航空博物館(Yankee Air Museum)の提供によるもの(ただしモノクロの不鮮明な映像なのが残念)のようだが、この航空博物館こそは、かつてのウィローランの記憶を伝えるために、現在のウィローランで設立・運営されているものなのである。

 戦前、1930年代のウィローランは、ヘンリー・フォードの農場であった。フォードは青年教育の場として農場を位置付け、都市部の青少年の体験の場としたのである(都会っ子が田園生活と農場労働を体験し、自立心を涵養し、やがては良き労働者となる)。

 1930年代にはナチスが台頭し、1939年にはヨーロッパでの戦争が現実化する。米国でも、四発重爆撃機の開発・配備が課題として意識されるようになる。B−24も、その中でコンソリ―デッド社によって生み出された機体である。そして牧英雄氏の論考にあるように、「優秀な特定の機体を、直接航空機と関係のない企業を含むいくつかのメーカーで生産する体制は、当時アメリカで広く行われたことであるが、とくに威力を発揮したのが自動車メーカーで、その生産能力において航空機メーカーの比ではなかった」という状況の下で、ウィローランのフォード農場は、四発重爆撃機製造工場と付設飛行場として再出発することになる。

 映像で強調されるのは、自動車メーカーによる一時間に一機という生産ペースへの期待と達成である(航空機専業メーカーでは一日に一機がやっとであった)。

 まずは大規模プラントの建設である。設計を担当したのは、クライスラー社の戦車工場(デトロイト工廠)の設計者でもあったアルバート・カーンであった(1942年に死去したカーンの最後の作品と言われる)。

 併設された飛行場へ着陸するB−24の姿に続くのは、駐機場にずらりと並ぶ重爆撃機の威容であり、そこに見出されるのは米国の国力であり、フォードの生産力である。

 このフィルムにも自家用車で通勤する労働者の姿が記録され、更に行き届いた教育訓練の模様が映し出される。

 部品の製造から組み立て完成まで、そのすべてが工場内で果たされる。大規模な、そして精密な工作機械が製品―すなわち四発重爆撃機―の完成度を保証するのだ(精度の確保は工業生産品としての互換性の確保を意味する)。大量の訓練された労働者が、その生産を可能にする(トヨタ的には、労働者の動きは緩慢に見えるだろうが)。映像の9分付近ではリベット製造工程が記録されているのも興味深い。

 やがて生産現場での女性労働者の存在が明確に描かれるが、そのすべてが白人であるところが、ベル社のマリエッタ工場の記録フィルムとは大きく異なる点ではある。

 そして自動車メーカーとしての大量生産の経験と爆撃機製造ラインでの高い生産能力の連続性が語られる。組み立てラインでは、機体はまず分割製造され、それが一体化される。

 技術を要求される溶接工もリベット打ちも女性がこなし、ここでもプレキシガラスの成型シーンが登場する(効率的ではあるが手作業に依存していることもわかる―つまり訓練が必要な労働というこ とでもある)。

 組み立て工程でも自動車大量生産の経験が反映されていることが繰り返し強調される。

 外翼部と中央部の接合に際して活躍するのは、小人の男性である(差別の対象ともなる身体特徴が利点となる)。この映像には、正直なところ驚かされた。

 最終的に分割製造された機体を組み上げる工程が描かれるわけだが、その背景となっている工場の規模の巨大さ(組み上げのために機体各部の効率的移動を保証するのは工場の天井高である)にも気付いておきたい。














Tags: なし
Binder: 現代史のトラウマ(日記数:659/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2016/12/31 12:16
    以前から書いておきたかったネタ。
    字数制限で尻切れ状態なのが困ったものだが…

  • Comment : 2
    umasica :桜里
     2016/12/31 13:12
    尻切れ部分を加筆して、
    ココログ版の「現代史のトラウマ」記事としてアップ。


     フォードの爆撃機、あるいはロージーのリベレーター
     http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-6050.html


    (もう少し、内容的に充実させたいところではある)

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