奥大道と平泉(2)平泉に通ずる道
苦しみを抜き、楽を与え
遍く皆平等なり
清衡以前の道
〜長者ヶ原廃寺跡(奥州市衣川)〜
中尊寺にあった多宝寺から北へ、衣川へ降りてきたところに「衣の関」があったと言う。ここから外ヶ浜まで続く道を清衡は整備した。関から河を渡ったところに道路の遺跡がある。「関道」と言う。その東に、かわらけを大量に出土した屋敷跡があった。平泉の政庁が客をもてなすために使ったのだろうと考えられている。
その道を真っ直ぐ進んだところに、長者ヶ原廃寺の跡があった。長者ヶ原と呼ぶのは金売り吉次の屋敷があったという伝説があるからだが、発掘されたのは奥州藤原氏より以前、安倍氏の時代の寺である。衣川は安倍氏が拠点を置いた地域であった。
清衡以前の道が、奥大道と同じであったかどうかは、わからない。しかし、安倍氏の時代も、街道は長者ヶ原の寺を通っていたのだろう。面白いことに、廃寺を発掘してみると、南門・本堂・北門は一直線に並び、やがて中尊寺多宝塔の出来る関山の頂に向かっているのである。
清衡は、多宝寺に続いて、十体の阿弥陀仏を祀る大長寿院を、中尊寺に建てた。『吾妻鏡』に「二階大堂」と書かれたその建物は、関山の北側にあった。長者ヶ原の廃寺と向き合っていた場所にある。
* この文章は、JR東日本の新幹線で配布している車内誌『トランヴェール』2011年9月号の特集「奥大道と平泉」として執筆したものに、加筆修正しました。
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