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『三十七の菩薩の実践』(試訳)

2011/03/18 15:40

仏子(菩薩)トクメーサンポ(無着賢)著、三十七の実践



ナモ・ロケーシュヴァラ・ヤ(南無観自在菩薩)
一切法は行くことも来ることもない(不去・不来)と観じられているが、
衆生のためにひたすら励まれる、
最高の師と守護者観自在に、
常に三門(身・口・意)をもって恭敬礼拝します。
利楽の源である仏陀(無上正等覚者)たちは、
正法を成就することによって生じられ、それもまた、
その実践を知ることに依っているので、
菩薩たちの実践を知りなさい。
1 得がたい〔八有〕暇〔十円〕満を具えた大船〔の如き貴き人身〕を得たこの時に、
  自他を輪廻の海より解脱させるため、
  日夜たゆまず
  聞・思・修するのが菩薩の実践です。
2 親しき者への貪りは水のごとく動き、
  怨敵への瞋りは火のごとく燃えさかる、
  取るべきもの捨てるべきものを忘れる愚痴の闇を持つ、
  故郷を捨てるのが菩薩の実践です。
3 悪しき場所を捨てることで煩悩が次第に減り、
  散乱しなくなることで善行が自ずと増え、
  知性が澄んで法を確信する、
  人里離れた処に籠もるのが菩薩の実践です。
4 長く交わった親友も散り散りになり、
  努力して得た財産も後に残し、
  体という宿を意識という客人が去る、
  今生を棄てるのが菩薩の実践です。
5 交わると三毒(貪・瞋・痴)が増大し、
  聞・思・修の実践が衰えて、
  慈悲〔の心〕を失わせる、
  悪しき友を棄てるのが菩薩の実践です。
6 依ると過ちがなくなり、
  功徳が上弦の月のごとく増大する、
  正しき師(善知識)を、自分の体より
  大事に思うのが菩薩の実践です。
7 自身も輪廻の牢獄に繋がれている
  世間の神の誰が守ってくれようか。
  それゆえ帰依して欺くことのない、
  〔三〕宝に帰依するのが菩薩の実践です。
8 極めて耐え難い悪趣の苦しみは、
  悪業の果であると牟尼は説かれた。
  それゆえ命を落とすとしても悪業を
  いかなる時もなさないのが菩薩の実践です。
9 三世間(天世間・龍世間・人世間)の楽は葉先の露の如く、
  瞬時に消える性質のもの。
  いかなる時も変わることのない最高の解脱の境地を
  求めるのが菩薩の実践です。
10
 無始の時より自分をいとおしんでくれた
  母達が苦しんでいるなら、自分の楽が何になろう。
  それゆえ無辺の有情を救うため、
  菩提心をおこすのが菩薩の実践です。
11
 あらゆる苦しみは自分の楽を望むことより生じ、
  仏陀(無上正等覚者)は利他心よりお生まれになった。
  それゆえ自分の楽と他の苦しみを
  正しく交換するのが菩薩の実践です。
12
 誰かが大きな欲望の力によって自分の財産
  すべてを掠奪し、もしくは掠奪させたとしても、
  体と財産、三時(過去・現在・未来)の善行を
  その人に廻向するのが菩薩の実践です。
13
 自分に少しも過ちがないのに、
  誰かが自分の頭を切ろうとしても、
  あわれみ(悲)の力でその人の罪を
  自分が受けるのが菩薩の実践です。
14
 ある人が自分に様々な誹謗を、
  三千世界に行きわたるほど声高に言ったとしても、
  いつくしみ(慈)の心で再びその人の
  功徳を説くのが菩薩の実践です。
15
 沢山の者が集まる中である人が、
  罪過を暴いて酷く言ったとしても、
  その人を師(善知識)と考えて
  敬うのが菩薩の実践です。
16
 自分の子供のようにかわいがって育てた人が、
  自分を敵の如くみなしたとしても、
  病気にかかった子供に対する母のように
  一層かわいがるのが菩薩の実践です。
17
 自分と同等か劣った人が、
  慢心の力で侮ったとしても、
  ラマ(上師)のように恭敬し、自分の
  頭頂にいただくのが菩薩の実践です。
18
 生活が苦しく常に人から侮られ、
  重い病いと魔にとりつかれても、それでも
  一切衆生の罪悪を自分に引き受けて
  ためらわないのが菩薩の実践です。
19
 名声が広まって沢山の人が頭頂で恭敬し、
  〔財神〕毘沙門天と等しき財をなしたとしても、
  輪廻の富には実体がないと観じて、
  慢心しないのが菩薩の実践です。
20
 己れの瞋りという敵を手なずけることができないなら、
  外の敵を調伏しても増大する。
  それゆえ慈と悲の軍隊で、
  己れの心(心相続)を調伏するのが菩薩の実践です。
21
 貪りの特性は塩水と同じ。
  どれほど享受しても愛着は増大する。
  何であれ執着を生じさせる対象を、
  直ちに棄てるのが菩薩の実践です。
22
 いかなる現われも、それらは己れの心。
  心の本質は本来戯論の辺より離れている。
  それを理解することによって、主客(能取・所取)の相を
  作意しないのが菩薩の実践です。
23
 心引かれる対象(境)に接しても、
  夏季の虹のように、
  美しく現われるが真実はないと見て、
  執着を捨てるのが菩薩の実践です。
24
 様々な苦しみは夢で子供が死ぬようなもの。
  幻影(迷いによる現われ)を真実と捉えると疲れてしまう。
  それゆえ逆縁と出会った時、
  迷いと見るのが菩薩の実践です。
25
 菩提を望んで体さえも与える必要があるなら、
  外の財物は言うまでもない。
  それゆえ見返りと将来の果(異熟)を期待せず、
  布施を与えるのが菩薩の実践です。
26
 戒律がないことで自利を成就できないなら、
  他利を成就するのを望むのは笑いの種。
  それゆえ輪廻を望まない
  戒律を守るのが菩薩の実践です。
27
 善の財を望む菩薩には、
  危害を加える一切は宝の蔵に等しい。
  それゆえあらゆるものに恨みを持たず、
  忍辱を修習するのが菩薩の実践です。
28
 自利のみを成就する声聞・独覚すら、
  頭に火が降りかかったのを払うように精進するのを見るなら、
  一切衆生のための利益の源である
  精進に励むのが菩薩の実践です。
29
 止を充分伴う観によって、
  煩悩を完全に滅することを理解することによって、
  四無色を完全に超越した
  禅定を修習するのが菩薩の実践です。
30
 智慧がなければ五波羅蜜によって、
  無上菩提を得ることはできないので、
  方便を伴う三輪清浄の
  智慧を修習するのが菩薩の実践です。
31
 己れの迷乱を己れが分別しないなら、
  仏教徒の姿で非法をなすことになるので、
  それゆえ常に己れの迷乱を
  分別して捨てるのが菩薩の実践です。
32
 煩悩の力によって他の菩薩の
  過ちを説くと、自分自身の過ちとなるので、
  大乗に入った人(プトガラ)の
  過ちを言わないのが菩薩の実践です。
33
 財と敬意の力によって互いに争って、
  聞思修の行ないが衰えるので、
  友達の家と施主の家などへの
  執着を捨てるのが菩薩の実践です。
34
 荒々しい言葉によって他の心をかき乱して、
  菩薩の行のあり方が衰えるので、

  それゆえ他人が悦ばない、  

  荒い言葉(悪口)を捨てるのが菩薩の実践です。

35 煩悩に慣れると対治によって遮るのが難しくなるので、
  憶念と正知の士は対治の剣を執って、
  執着などの煩悩を最初に生じるや否や、
  取り除くのが菩薩の実践です。
36
 要約すると、どこで何をなそうとも、
  己れの心の状態がどのようであっても、
  常に憶念と正知を具えることによって、
  他利を成就するのが菩薩の実践です。
37
 このように精進して成就した善根を、
  無辺の衆生の苦を滅するために、
  三輪清浄の智慧によって
  菩提に廻向するのが菩薩の実践です。


 経典・タントラ・論書に説かれた意味と、聖師のお言葉に従って、三十七の菩薩たちの実践を、菩薩道を学ぼうとする者のために著しました。知性も劣り浅学のため、賢者が喜ぶ修辞はありませんが、経典と聖師のお言葉に依っているので、菩薩の実践に過ちはないと考えます。けれども広大なる菩薩行は、自分のような知性の劣る者には深遠すぎるため、矛盾や不連続などの過失については、聖師達の堪忍をお願いします。これにより生じた善根で、一切衆生が、勝義・世俗の最高の菩提心によって、輪廻と涅槃の辺に住しない、守護者観自在と等しくなりますように。
 これは自他の利益のために、阿含と論理を説かれた尊者トクメーが、グルチューのリンチェン窟にて著した。




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