先生さんのマイページ

年末年始の読書(雑誌特集『現代思想』『サンガジャパン』)

2016/01/05 02:33

その1 『現代思想』2016年1月臨時増刊号 総特集見田宗介=真木悠介

年末年始という季節のせいか(単に最近ずっと心のゆとりがなく、目にはいらなかっただけかもしれませんが)、読みごたえのある雑誌の特集がいくつもあります。
そのひとつ、『現代思想』2016年1月臨時増刊号は、総特集見田宗介=真木悠介。
この雑誌のあちこちで伝説の見田ゼミ、という話がでているように、見田ゼミというのは、最初にゼミ合宿をやって、活元運動とか、竹内レッスンとか、瞑想とか、いろいろな実践を実際に体験してみるところからはじまる、不思議な場で、個性的な人たちがあつまっていました。
その見田先生が、今回の雑誌特集の対談で、次のような話をされていて、まったく知らなかったことだったので、驚きました。
「ぼくが一番面白く、感銘を受けた講義は、金子武蔵の精神史の講義で、一回だけもぐりで聴いたのですが、そのときの金子教授は学生の方は全然見ないで、自分のノートを二時間棒読みするだけという(笑)、授業の技術としては「最低」の方法でした。けれどもその内容は実に興奮させるものであり、さまざまのことを考えさせられました。…教える側が自分自身の全身でノリノリに乗っていることを...そのままストレートにぶつけることが、結局一番深いところから触発する力をもつのだと、ぼくは思っています。」(26ページ)
実は、私が文学部倫理学科に進学して、指導教官を引き受けていただいた佐藤正英先生の恩師が金子武蔵(たけぞう)先生で、その学問への姿勢やご自身の受けた影響については、よくうかがっていました。佐藤先生の『歎異抄論考』は、歎異抄を徹底的に読み解き、現存するのとは異なる形を推測するという大著ですが、細部を丁寧に読み込んでそこから全体像の構築に至る、という方法は、金子武蔵先生の精神現象学の読解がお手本だということでした。
「学生の方は全然見ないで」というところまで、金子先生ゆずりだったとは!
50年も前の授業の記憶が生々しく残り、影響を与え続けていることに驚かされますが、今の大学改革の方向性が、そういう学問のあり方を排除していくものであることも思わざるをえません。そういう形でしか伝わらない大切なものも、あるはずなのですが。

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その2 『サンガジャパン』vol22 瞑想を語る

『現代思想』総特集見田宗介=真木悠介とならんで、年末年始に読むのをたのしみにしていたのが、『サンガジャパン』vol22 瞑想を語る。語るのがむつかしい瞑想の中身について、ひとつひとつに十分紙幅をとって語られています。
登場する多くの方が、何らかの形で存じ上げていて、しかし瞑想については実際に接したりうかがったりする機会がなかったりしたので、その意味でも新鮮で興味深い内容でした。

蓑輪顕量さんは大学のゼミの先輩で、東南アジアの仏教瞑想のフィールドワークをもとにしたご本も出されていて、なぜ日本仏教の専門家がテーラワーダというのはずっと不思議に思っていたのですが、今回の対談で疑問が氷解。パーリ仏教の研究のために愛知学院大学に留学されたバングラデシュのテーラワーダの方とのご縁だったのですね。
記事の副題に「サティ(念)とサンパジャンニャ(正知)を考える」とあるように、テーラワーダの伝統にもとづいて正念正知(憶念と正知)が語られていて、憶念と正知はチベットの実践でも最重要ポイントといっていいものなので、それとの対比という意味でも、とても興味深かったです。


バリー先生(Dr.バリー・カーズィン)は医師でチベット仏教僧でもあり、ダライラマ法王の来日にいつも同行されています。インタビューと、医療従事者を対象とした瞑想研修会のレポート。インタビューでは、ご自身が被験者として参加された瞑想の効果についての科学的な調査のことや、トゥクダム(亡くなったあとも瞑想状態を保ち、遺体が腐らない)などについて語られています。
中国や日本の文献にも、遺体が腐敗しなかった、消えた、火葬したら舎利が出現した、などの記事がありますが、トゥクダムや、遺体が五色の光に変わって消えてしまう虹の身体は(完全に消えてしまうことは稀で、遺体が小さく縮む場合がほとんどですが)、珍しいとはいえ、現代でも毎年のようにどこかでおこり、Facebookでも写真がアップされていたりします。
バリー先生が話されているロサン・ニマ貌下(百世ガンデン座主)は、来日されたこともあり、晩年、(記事によれば脳卒中だったということですが)お言葉も不自由になり車椅子にのられた衰えぶりをみて、正直強いショックを受けたので、そのように物理的な肉体は衰えても、光明の心にとどまることは変わりなく、そのようなしるしを示されたことに、(疑念を抱いたことへの懺悔とともに)心から随喜もうしあげます。


藤田一照・山下良道両師は、京都・法然院でおこなわれた「アップデートする仏教を体感しよう!ファイナル」の模様のレポートと、終えたあとのお二人の対談(法然院の隣、とありますが、もしかしたらチベット仏教の法話会で使われているところ?)。
アップデートする仏教については、既成仏教側から反発がおきるのはある意味当然で、むしろ関心をもって参加された若いお坊さんが多かった、というのは、今後への希望を感じさせます。
「仏は立ち止まったら、もう仏ではなくなっちゃう。新鮮味を失ったミイラみたいな仏の干物になってしまう」(藤田師)というのは名言で、そもそも仏教はそういうものだ、ということは、仏教に関心をもつ多くの人に知ってほしいし、この特集で紹介されている「立ち止ま」らないための様々な真摯な試みから何かを感じてほしいと思います。

(それにしても参加されたお坊さんから聞いたという「真言宗は教主が大日如来なので、お釈迦さんという素晴らしい人がいたってことは尊敬するけど、別にいなくとも真言宗は成り立つ」という話は衝撃的。真言宗そのものが本当にそういう捉え方なんですね。
浄土真宗の瞑想否定もそうですが、法身・報身・化身というのが、それに接する側の心のあり方や瞑想の境地に関わるもので、自分があるレベルにいかないと、法身や報身に接することはできないし、その教えもただしく理解できない、ということは、お坊さん方にも伝わるといいなと思います)

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