ひげ爺さんのマイページ

2008年ダラムサラ訪問記(10)

2010/02/09 14:40

10月23日スージャのレセプションセンターとニントップリン


9:50 スージャに建設中の新しいレセプションセンターの見学にホテルを出発。

10:30 スージャの建設現場へ。

建設中の建物を見学。500人の亡命者を受け入れることのできる施設であるという。アメリカが建設資金を出している。

レセプションセンターの所長さんが案内してくれた。

この施設に仏塔を造りたいので、その予算500万円をKIKUで応援してほしいという願いがあって、お昼は豪華な昼食をいただくことになった。

スージャにはTCVの学校があり、この施設と隣接している。スージャの学校はチベットやインド内の大きくなったけれど勉強を受けていない子供たちが集められていて、十代後半から二十代の若者の学校なのだ。そこの生徒が手伝いに来ていた。

ここを訪問する趣旨が事前に伝えられていなくて、ただ付いて行った感じがする。先方は設計図などをだして説明して、寄付を求めているわけだ。お土産までいただいて歓迎されたのは、Kさんへの寄付への期待があるからだ。


周囲はインドの農村風景画広がり、マックロードガンジーやTCVのある丘が見える。下に下りただけ、暑い。

建築中の建物は、男子寮と女子寮とに別れ、500人が一度に食事のできる食堂と管理棟が建築中だ。

土台は石積みで、レンガ壁造り、てっこんで床部分と屋根は作られている。設計者はチベット人である。ここの建築現場を見ていると、古代の建築方法を満っているようだった。工事現場で働く肌黒のインド人女性は、カーストの最下層の人たちだ。パワーシャベルなどの建築機械などなく。全て人手による。女性が頭に土砂や石を載せて運ぶ。機械を導入したら、こういう人たちの仕事を奪うことになるだろう。3階の床と天井のコンクリートが乾くまで支えているのは竹材であった。

トラクターが土台用の石を運んできた。動力機械といえるのはこのトラクターくらいだ。クレーンもなく、全て人力である。感心してしまう。壁はレンガだが、その上をモルタルで覆っていく。5月までに屋根ができないと雨季に張ってしまう。そんな心配をしながら、食堂の建築現場を見ていた。


今年(2008年)3月にラサで事件があってから、中国の監視がいっそう強まって、脱出できない状況が続いているという。これらの施設が完成して、満杯になるというのも問題だが、非暴力主義で抗うチベット人を支援しなければならないだろう。

11月に入って、中国政府とダライラマの特使が話し合いを持ったが、中国側はまったく誠意のない応対で終始している。


料理はモモとか蒸しパンと、鳥肉料理、野菜料理など、中国風味でインド風味から解放されてほっとした。

われわれは詳しく聞かされていないけれど、この施設の建設に、kUKUに日本仏教会から寄付されたお金が回されたみたいなのだ。それで歓迎されているのだが、K氏が持ってきたようにおもわれているのだろう。

KIKUはお金の使い道や、入りを明確にしないと将来問題が起こるだろう。

どうも、口では子供中心というけれど、法王に顔が向いているので、運営も人数が増えたらきちんとしないといけないだろう。


午後1時まで滞在して、身障者の施設ニントップリンに行く。

13:30 ニントプリン

ニントップリンは、ダラムサラにあってチベット亡命政府の国会議員をしている、ガワン・ハモ女史が個人的に運営している施設である。昨年に引き続き訪問する。ここはEさんという同行した女性が、昨年身障者の施設があると聞き及んで支援ができないかと、はじめて訪問したのがきっかけである。

2008年はEさんはKさんと一緒にインドに入り、この施設で2週間滞在して、子供たちにマッサージの技術や石鹸作りを教えたのだ。(これにはいろいろの問題があって、この施設は、そのような直接的な支援を望んではいないようであった。)

われわれは最後の日に立ち寄ったわけだ。今年はスタッフも増えて医務室に薬品もあった。少しづつ改善されていつ世yだが、スタッフの入れ替えもあった。性格の悪いのもいたらしくて、外見からではわからない。子供も昨年いた子がいなくなっていたりしている。子供たちはわれわれを歓迎してくれた。去年の写真をプリントオウトして一人ひとりに渡した。事務所に預けた写真は配られていないのだという。ともかく、さんざマナ問題がこの施設にはありそうだ。


3時30分には、ニントップリンをでて、マックロードガンジーに戻る。

4時から6時まで街の中で、DPEの店で写真の現像を依頼する。ここだと1枚7Rsなので15円程度なので安い。店の若者と仲良しになって、この店で1200Rsほどプリントしたから友達になった。

テンプル通りの裏通りのCD屋のおばちゃんとも仲良しになったし、街の中は面白い。

午後6時過ぎに、トップテンの家に行く。坂道を下っていって、ゲストハウスから遠くはなかった。

彼はチベタンの中でも貧しいほうだろう。彼はこのときは、亡命政府から3000Rsの給料を得ていて、奥さんが働いて1200Rs、二人で4200Rsの暮らしだった。そして太zyねた家は4畳半の一間だけで、トイレとシャワーは外で共用で、家賃が2000Rsなのを1800にまけてもらっている。

子供が二人いて、上の子は来年学校で、下の子はキンダーガーデンに行くという。教育費は二人で800Rsかかり、政府から500Rsの援助が出るという。それでも300Rsの持ち出しになる。夕飯どきであった。子供にはごはんだけ。おかずはない。白めしだけの夕食なのだ。隅にガスコンロの台がおかれてあり、ベッドがL字に置かれていて、そこが居間であり、全てである。

チベット人の生活の生々しい実態を見る。彼以下の暮らしをするのもいる。学校へ子供を上げられないのは当然だ。

インド人も貧しい層は多い。インドでは12万Rs以下の年間所得者は消費税だけで、所得税はかからない。1箇月1万Rs以下の所得層が多いのだ。

ガイドのネギさんが言ったことばが印象的だ。

「インド人は生きるために食べる。日本人は食べるために生きる。」


午後8時ホテルに戻る。臼井さんというカメラマンの親子が泊まっていて、懇談した。彼らは法王の映像をフリーパスで撮ることのできる唯一の日本人のジャーナリストらしい。



Binder: ひげ爺のバインダー(日記数:20/全体に公開)
Gg[ubN}[N

このブログにコメントをつけるには、ログインする必要があります。
マイページをお持ちでないひとは「マイページを作成する」ボタンを押してマイページを作成してください。
不適切なブログを見つけたら、こちらからご報告ください!

Mail Address(GMO ID):

Password:

自動ログインパスワードを忘れた方

最近書いたブログ


http://www.freeml.com/feed.php?u_id=7012094&f_code=1



Copyright(C)2017 GMO Media, Inc. All Rights Reserved.