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個人的回想録2 初めてのMac、そしてPC-9801と悪戦苦闘

2011/11/07 02:33

前回からのつづきですね。 大学卒業(1985)〜大学院入学当時(1986)のことです。

 
2. 初めてのMac、そしてPC-9801と悪戦苦闘?N88-BASICからMS-DOSへ

この頃、同じ医局に大学院の先輩のI先生がいました。博士論文を発売されたばかりのNEC PC-9801F2のワープロソフトで打ち込んでいました。講座のゼロックスと比べると8色表示でも、カラフルに見えました。5インチフロッピーで小型でしかも高速でした。 さすがに論文提出が終わるまで触らせてもらえませんでしたが、いわゆるパソコンとの本格的な出会いです。

I先生が大学院を修了した年の夏休み。I先生がこの98(キューハチ)を貸してくれる言うのです。そのかわり、一冊の本を手渡されました。中山書店の「マイコンによる医療統計処理 医用マイコンシリーズ3」という医療統計の本です。東大医学部コンピュータ医療研究会が98のN88-Basicで開発したソフト「STAX」のプログラムリストが巻末に印刷されています(その後FISHERというC言語でリニューアルされたソフトも紹介されました)。別売りフロッピーでプログラムを購入することも可能でしたが、10万円近くします。 98を貸してあげるから、このリスト打ち込めるところまで入力しろということなのです。

大学病院の夏休みなんて1週間です。 はじめて触るBasic言語。1行打ってはSyntax Errorが出ます。結局、憧れのPC98をまるまる1週間、朝から晩まで弄くり回すことはできたのですが、入力できたのはデータファイルの作成と入出力をする部分のユーティリティーだけ。肝心の統計処理のルーチンには全く届きませんでした。
 

夏休み明け、何万行ものリストを打ち込むのはほとんど諦めていたところに、I先生が講演会の話を持ってきました。新潟大学医学部のパソコンクラブが98で利用できるデータベースと統計のソフトについて業者を交えた講演を企画したというのです。渡りに船と早速参加しました。初めて聞くデータベースの基礎に頭痛を覚えながら、dBASE-IIIやLotus-123の使い方を実習し、これで統計も出来るのだと教えてもらいました。ここでSTAXの話もでて、クラブで独自に運用しているものがあるから試用してみたらということで、ちゃっかりコピーさせてもらったりしました。


当時、大学院の実験統計の講義で分散分析のプログラムを書いていました。講義ではヒューレット・パッカードのHP-12cという逆ポーランド式(RPN)プログラマブル電卓を使用していましたが、パソコンで汎用に使えるプログラムをということで、このSTAXの分散分析を利用しようとしていたのです。 理工系の実験では3元配置の実験計画も多く利用されていたのですが、医療統計用ということで、STAXには2元配置までしかプログラムがありませんでした。Basicと統計の両方の勉強になるからと、私は約1ヶ月かけてこれを3元配置に拡張したのです。この後しばらく医局の実験ではこのプログラムで実験結果の統計処理をしていました。
 


大学院2年生の時、貯金をはたいて自分の98を買いました。初めて買ったパソコンはPC-9801VX2というCPUに16ビットのi80286を採用し、5.25インチFDD-2HD(1.2MB)×2、アナログ16色、FM音源搭載という新製品でした。考えてみれば後に発売されたスーパーファミコン程度以下の能力しかないのに、本体価格43万円、CRT(ブラウン管)にワイヤードットプリンターもつけてフルセットで50万以上を払った記憶があります。 98シリーズの画面解像度はVGAより小さい640×400。RGB各16階調の4096色中16色のみ表示という半端なグラフィック性能。メインメモリはMS-DOSの制約で640KBでした。HDDもオプションで発売されましたがたった20MBで30万円!! 高嶺の花です。


このころワープロソフトの一太郎がベストセラーになっていましたが、なぜかテラ/Queenというソフト(会計ソフトの弥生の前身 日本マイコン製)を使っていました。日本語入力FEP(Front End Processor=フェップ)には付属のFIXER3にVJEの医学辞書を変換して登録し、連文節変換でワープロ専用機より数倍早い処理を誇っていました。

この頃から医局員が各々自分のPCを購入し、仕事に(ゲームに)使用するようになり、最初の難関、システムディスクの設定、製作を当然のように私が担当するようになりました。 MS-DOSの設定ファイル"config.sys"と起動時実行ファイル"autoexec.bat"、FEPを始めとする各種ドライバーソフトを登録した起動ディスクを作って配布したものです。FDDが2台内蔵されているのは、FDD#1をこの起動ディスク(MS-DOSシステム+ワープロ等アプリ1種程度)が占有し、FDD#2にデータディスクを入れて使っていたからです。
 

さて、大学院の実験テーマが固まってきた頃、実験機器の制御に98を使うことになり、しかもプログラムを自前で用意する必要が出てきたため、予算もないので約4ヶ月間かけてBasicと悪戦苦闘したのです。 
試料を一定温度のヒーターで加熱したときの温度分布をサーモグラフィで測定するのですが、1台目の98でAD/DAボードを介してヒーターの温度を熱電対で測定しながらPID温度制御用プログラムでサイリスタを駆動して加熱する一方、これとRS-232cで同期させた2台目の98でGPIB(IEEE 488)ボードを介してサーモグラフィーの記録を制御し、複数の測定点の温度データを記録するという、考えただけでもウンザリするプログラムを書いたのです。98の良いところはそういった特殊な拡張ボードが比較的容易に手に入ったことですね。 参考資料もたくさん出ていましたから、後は独学の努力と根性、毎日バグ取りで過ごしていました。

自作のプログラムで実験していたのですから、いろいろトラブルもありましたが、なんとか卒業できました。その後Basic言語でプログラムを書く機会はほとんどありませんでしたが、いろいろなアプリのマクロ言語やスクリプトを組む良い練習になったと思います。
 

この時期、インターネットが一般利用される前でしたが、電話回線にモデムを繋いでパソコン通信というのを始めていました。論文の検索に高い使用料を払ってMEDLINEを使うのにJOISに接続していたものです。パソコン通信のサービスに各種の電子掲示板があったのですが、まだ、ユーザーはパソコンオタク的な人が多かったものですから、こうした掲示板でプログラミングや電子制御などの質問をすると即座に専門的な回答が得られ、大変重宝したものです。

大学院修了後、半年ほど富山県小矢部市の北陸中央病院の歯科に出向していました。のんびりとした田舎で、医局の先生方も病院のスタッフもとてもアットホームで、初めての仕事は多少きつかったのですが、気持ちは伸びのびとしていました。ただし、夜9時くらいには全てのお店は閉店。コンビニもなかったので、何もできません。ただ、パソコンに向かって大学の医局で分担していたQuint Year Bookのデータを打ち込んではe-mailで医局に送っていました。
大学に比べるとかなり給料は良かったし、遊びで使う場所もなかったので貯金が大分できて、個人として2台目の新しい98を購入できました。PC9801DA/U2(45万円)です。CPUが32ビット化されたi80386にグレードアップ。FDDも3.5インチ版にしました。 医局に新しいパソコンが届いたら、PC好きの外科部長から早速オファーがw 医療でのPC利用について講演をしてくれというのです。あれ、歯科についてじゃないの? でも好きだからいいやwってことですぐ引き受けちゃいました。

この頃書いた原稿が後に同門会誌の原稿のもとになり、ここのブログで掘り返してご紹介している(恥ずかしいのですけど)記事になっているのですね。



ちょっと話は前後しますが、登院時代(1984)だと思います。沖歯科の木暮山人先生が、今度歯科用にMacintoshを販売したいと思うので使ってみてくれと、当時大学で附属病院長をしていた父親のところに、あの惚れぼれとするフォルムの(当時はそんなに魅力的とは感じなかったのですがw)Macintosh 512Kを持って来ました。父親はコンピュータのことは分からないから代わりに試用して感想を教えろと言うことで、私に3ヶ月間預けてくれたのです。 ただし、まだ漢字Talk搭載前の英語仕様で、アプリもついてませんでしたから、マウスと3.5インチフロッピーと白地がベースのモノクロ画面が、医局で見慣れたパソコンとは異質で確かに何か未来的な感覚をもたらしてくれたのです。 でも、このときはただそれだけでした。 数年後の再会まで、その後はすっかり日常から消えてしまいます。 今、振り返って、自分の机に初めて置かれたパソコンはMacだったのだと感慨深いものがあります。

Macとの最初の再会を果たしたのは、4年後のことです。モントリオールで第67回IADRがあったとき(1988)です。留学から戻ったW先生が発表するということで一緒に参加する機会がありました。学会の1週間前に留学先だったミシガン大学に発表の打ち合わせと見学に行ったのです。この旅行はいろいろな経験をした素晴らしいものでしたが、それについてはまた別に機会があったら書いてみたいと思います。

当時、ミシガン大学歯学部図書館にはカイデントセンター(綴りは忘れました^^;)という学生専用のMacセンターがあり、40台以上のMac PulsやMac SEとLaser Writerが設置されLANで繋がれており、学生は自由にアプリの貸し出しを受けて、レポートの作成から印刷までをそこですることが出来ました。教授によってはフロッピーのままレポート提出も可能だと言うのです。
まだ、日本ではパソコンはスタンドアロンで動かしていたし、学生がレポートをワープロで書くなんて考えも及ばない時代です。プリントも感熱紙かドットプリンターでジャギーだらけの見にくい活字で我慢していたのに、ここでのアウトラインフォントの美しいレーザープリンターの出力は相当衝撃的でした。 Macって、いやアメリカってすごいかもと本気で思いました。


さて、この頃、学会発表のスライドはようやくPCで作りCRTの画面を直接撮影する管面撮影で作るのが一般的になってきました。 医局では他大学に先駆けて98導入当初からCGソフトを使ってスライド製作を行っていたのですが、これについては別の記事でご紹介します。
しかし、このスライド作成が学会活動ではひとつのネックになっていたので、後にMacの本格導入につながっていきます。ということで、次回はここら辺からのことを書いていきたいと思います。

  〜つづく

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