シエロ@Tシャツ屋さんのマイページ

bbさんの日記から〜禁煙からその先〜

2010/03/05 03:40

めずらしく人の日記を読んで思うところがあったので書きたいと思います。



いまやどこもかしこも『禁煙』が蔓延してます。

歩きタバコはおろか、喫茶店でちょっと吸おうと思っても喫煙スペースでお願いします。

さらに酷いことに時間帯によっては完全禁煙だったりする。

喫煙者が、タバコを吸うだけでなにが悪いのか?

禁煙を進める(勧める?)彼らは言う

「健康に悪いから」「吸ってる本人だけじゃなく周囲の人が健康被害を受けるから」

はっきり言わせてもらえば大した理由もなしに「タバコを吸うな」と言っているとしか思えない

確かに健康被害はあるかもしれないが吸ってる本人の「自己責任」なのだからかまわないのでは?周囲の人が健康被害を受けると言うのだから分煙しているのだから大丈夫じゃないのか?

むしろ税制面から見たら自ら進んで高額な税金のかけられた物を買う優良納税者である。


そもそもなぜタバコを親の仇のように糾弾するのか?

いつから始まったのさだかではありませんが、

人の理性、理屈による支配がじわじわと浸透してきています。


「ポリティカルコレクトネス」と言う言葉があります。

人種・民族・宗教・性差別などの偏見に配慮した公平な表現を用いることを指します。

日本語に直訳すると「政治的に正しい」表現と言ったところでしょうか、

いわゆる言葉狩りなのですが、例えば英語で”-man”の付く表現は女性差別に繋がるから中立な"-person"に置き換える、つまり”ビジネス・マン”を”ビジネスパーソン”に置き換えるといった具合です。


今の日本でもありますよね、この手の言い換え

ちょっと前までは”看護婦”さんと言っていたのに今じゃ”看護士”さんとか

”保母”さんが”保育士”さんになったり


この手の発想の根底にあるのは「平等主義」です。

個人的な考えになりますが、「平等」と言うのは人の知性と言うか理屈でしかなく、

「歴史」によって作られてきた「伝統」や「文化」には決して敵わないと思っています。

人の知性の追及として人の知性が生み出した「平等」と言う物が存在している。


それぞれ文化や伝統、歴史が違うのが当たり前である以上、決して「平等」が完遂されることはありません。

しかし、人間の「知性」の信奉者達は必ず人の「知性」が勝利すると信じ完遂しようとします。

「知性」の産物である「平等」を邪魔する伝統や文化は平気で捻じ曲げます。

相撲の土俵は女人禁制の神聖な場所でしたが、「平等」の為にそれは踏みにじられました。


平等の為には文化伝統を破壊する。

自分は決して「平等」を信奉しません。

自分が信奉するとしたら「自由」です。


自身の自由を求めるのならば他者の自由を補償すべきだと考えます。

何を信じるか、何を受け継ぐか、何を思うか、何を表現するか、

それらを選択するのは個人の自由でありながら、また歴史や文化の流れによって規定されるものだと思います。(存在しないものは選択できないので)


歴史を見れば「人の知性」の信奉者達がどうなったか多くの例があります。

「人の知性」は理屈であるが故にわかりやすい、

わかりやすいが故に反論しにくく、支持されてしまう。


それらに対して自由の信奉者、歴史の信奉者は感覚的に反対しなければならない

感覚というのは非常に説得力が低い、

しかし声を上げなければ「人の知性」の信奉者達が勝利するでしょう。



『善なる人々が行動を怠れば、必ず悪が勝利する』

〜エドマンド・バーク〜




>>追伸

自分は喫煙者ではありません、だからこそ喫煙の自由を擁護したいのですが・・・


Binder: シエロのバインダー(日記数:64/全体に公開)
Gg[ubN}[N

このブログにコメントをつけるには、ログインする必要があります。
マイページをお持ちでないひとは「マイページを作成する」ボタンを押してマイページを作成してください。
不適切なブログを見つけたら、こちらからご報告ください!

Mail Address(GMO ID):

Password:

自動ログインパスワードを忘れた方

最近書いたブログ


http://www.freeml.com/feed.php?u_id=7596494&f_code=1



Copyright(C)2017 GMO Media, Inc. All Rights Reserved.