えぐれた杣道
昨日会長の現場を見に行った。
造材済みで、後は山主さんが自分で出すそうだ。
その近く、神静民報の上のえぐれた尾根道がとても気になっていたのだが、
行ってみたら林道工事が始まっていて、びっくり。
林道ができると材が出しやすくなるので山主さんは無償提供だそうだ。
余談だが関東ローム層に挟まれた白っぽい地層は、箱根火山の噴火による、東京軽石層らしい。(たぶん。)
噴火は約5万年前。
えぐれた尾根道は確かそこの山主さんの話では、物心ついたころからえぐれていたと、聞いた覚えがある。
どのように使われたのか。
今はそれほど使われていないのに、えぐれている山道というのが結構ある。
盛んに材出しした所ではないか?
ソリ道、牛車道だったのでは?
ソリは別名、木馬(きんま)ともいう。
水によってえぐれたという場合もあるけれど、ある程度酷使されえぐれた道に水が流れ、
表土を浸食し、関東ローム層までもが浸食したのではなかろうか?
小田原にも昔ソリをやったという人がいる。
ソリ道の様子はどうだったのか、是非話を聞いてみたい。
これは一夜城の尾根上、数キロの推定関白道ルートにあるえぐれた道。
大正5年の25000分の1地図にはもう既にえぐれた表示がある。
明治29年の地図は10万分の1なので、点線の表示しかなく、えぐれていたかどうかは分からない。
しかし上部はそこそこえぐれているけど、(この地点は最大5メートル程。)これほどではないので、
やはりここは水による浸食が大きいだろう。
しかし、この道がここまで浸食するのにかかった時間はどれ位なのだろうか?
大正元年からでも、もう100年経っている。
徳川300年はお留山の地域である。
昔材が盛んに出された時代があった。
明治、戦中戦後、拡大造林。
そして小田原合戦の頃?
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