井上廣子さんの、「窓」をテーマにした写真展のタイトルが「Inside-Out 1と0の為に」、である。
武蔵野美術大学内のギャラリー「apmg」で開催中だ(6月26日まで)。先日のオープンキャンパスの際に、パートナーと観たのが最初(昨日も、再度訪れたことは既に書いた)。
会場内の照明は、ほとんどない。床にランダムに置かれたライトボックスに、作品が浮かび上がっている。室内から、窓を通して見える外の風景。
ベッドや洗面所の向こうの窓。カーテン越しの外の光景。室内の光と、外の光のバランスが美しい。
窓とは、そもそも、室内と室外の間にあるものだ。壁に窓を穿つことにより、室内は閉鎖空間から、外部へとのつながりある空間へと変貌する。
寒冷地では、板ガラスの登場・普及以前の窓は小さく、外光あふれる生活は望みえなかった。大きな板ガラスの製造技術が、開放感ある室内をもたらしたのである。
しかし、窓に鉄格子がはめられていたら?
つまり、井上廣子の写したのは、そのような窓なのである。
大きな窓のある室内。つまり、外の光景も十分に取り入れられた、外光あふれる室内である。しかし、その部屋は、鉄格子により外部から隔てられているのだ。
撮影地は、オットー・ワグナー精神病院、ベーリッツ療養所、県立岡山病院(現・岡山県立精神科医療センター)、ベードブルグ・ハウ精神病院…、と続く。
精神病院以外にも、老人施設や少年院などの隔離施設が撮影の対象となっている。
窓が存在しながら、外部とのつながり以上に、外部から隔てられた場としての室内であることが、写真を見ているうちに理解されるだろう。
…なんて書いているが、すぐに気付いたわけではない。パートナーの方がすぐに気付き、指摘してくれたのだ。ウチのパートナーは精神科関連業界人なのである。
要するに、私のような素人(?)には、すぐに気付くことは出来ない情景の要素なのだが、プロにはピンと来るということなのだろう。病院や、老人あるいは障害者関連施設の光景であるらしいことまでは、私にも想像がついたのだが、プロの目はその先まで見抜いてしまうようだ。
実際のところ、鉄格子といっても、昔の監獄のイメージからは遠いものだ。大きな窓に、デザインされた細い格子状のフレームが取り付けられている、ようにも見えるのである。
いずれにしても、室内の人間を外部から遠く隔ててしまうものが、窓の外のフレームなのだ。
外部である社会から、室内の人間を護るということである以上に、室内に人を隔離することにより、外部の社会を護るという発想が、そこには存在するだろう。
しかし、社会は十分に凶暴であり、弱者としての障害者が、その凶暴な外部から護られることも必要事ではある。
外部には自由があるかも知れないが、必ずしも安全ではない。しかし、隔離され、拘束されることもまた、人間にとって好ましい状態ではないだろう。自由を奪われた場所で保障される安全な生存を人は望むものだろうか?
もっとも、外部である社会に生きる人間達も、それほど自由であるわけでもなく、身の安全のためには行政権力による日常生活への管理・統制を望んでいるようにも見える。
私たちは、本当にあの窓の外部にいるのだろうか?


































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