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南京事件否定論への視点(便衣兵の姿)

2010/02/18 20:57

 

 南京事件に関して世間が考えるような虐殺はなかったはずですよ。

…という話を前にして、秦郁彦 『南京事件 増補版』(中公新書 2007)にある、南京攻略戦における日本側の総司令官であった松井石根大将のエピソードを示すことにより、少なくとも南京事件に関する虐殺否定論は成立しないことを説明したのであった。松井石根が東京裁判の過程で残した発言内容の解釈からは、松井自身が、東京裁判の訴因第四五にある、

 南京攻撃に依る中華民国の一般人及び非武装軍隊の殺害

つまり、中華民国の一般人及び非武装軍隊に対する不法殺害としての南京事件の存在を否定していないと考えざるを得ないからだ。
その説明により、


 自分のスタンスは納得できるかどうか

であると言っていた相手からは、南京における虐殺の有無に関しては、虐殺否定論が否定されるべきであるという主張への同意がもたらされたのである(ここまでが前回の話)。
  

 

 

当人も、ネット利用により、偕行社自身による調査報告の内容にもアクセスし、


 不確定要素はあるが不法処理の疑いのあるもの3千〜6千、ただし20万〜30万の俗に言う大虐殺を認めたものではない


…という結論を読んだ上で、「3千から6千ならありうる話」という感想を漏らしていた。

虐殺の存在は認めてもなお、虐殺の規模は争点になり得るという認識なのだろう。犠牲者3千〜6千なら「大」虐殺ではない、という主張…
 

 

 

 

同時に、話は、


 しかし一般人に化けている便衣兵(ゲリラ)には南京攻略部隊は困ったのではないか。死人に口なしで便衣兵かどうかは死んだ本人しかわからない。四六時中これにやられたら分別もなくなる。己が生き残るために無差別殺戮をやるしかない。恣意的な虐殺というよりも生き残るために無差別殺戮を犯したとは言えないか。これも筋道が立つ推論では?


…という趣旨の言葉に伴われての、虐殺正当化論の定番としての便衣兵の登場へと進展していった。

 

 

その類の論法では、通常、ハーグ陸戦条約(1899)の条約付属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」の条文にある、


第一款 交戰者
第一章 交戰者ノ資格
第一條 戰争ノ法規及權利義務ハ、單ニ之ヲ軍ニ適用スルノミナラス、左ノ條件ヲ具備スル民兵及義勇兵團ニモ亦之ヲ適用ス。
(1)部下ノ爲ニ責任ヲ負フ者其ノ頭ニ在ルコト
(2)遠方ヨリ認識シ得ヘキ固著ノ特殊徽章ヲ有スルコト
(3)公然兵器ヲ携帯スルコト
(4)其ノ動作ニ付戰争ノ法規慣例ヲ遵守スルコト
民兵又ハ義勇兵團ヲ以テ軍ノ全部又ハ一部ヲ組織スル國ニ在テハ、之ヲ軍ノ名称中ニ包含ス。
第二條 占領セラレサル地方ノ人民ニシテ、敵ノ接近スルニ當リ、第一條ニ依リテ編成ヲ爲スノ遑ナク、侵入軍隊ニ抗敵スル爲自ラ兵器ヲ操ル者カ公然兵器ヲ携帯シ、且戰争ノ法規慣例ヲ遵守スルトキハ、之ヲ交戰者ト認ム。
第三條 交戰當事者ノ兵力ハ、戰闘員及非戰闘員ヲ以テ之ヲ編成スルコトヲ得。敵ニ捕ハレタル場合ニ於テハ、二者均シク俘虜ノ取扱ヲ受クルノ權利ヲ有ス。


等の文言を根拠に、軍の制服を脱いだ状態の中国の兵士が便衣兵(ゲリラ)であるという主張がされ、俘虜(捕虜)としての保護対象ではないのだからという理由での殺害=虐殺の正当化の主張がされるようである。

しかし、たとえ便衣兵(ゲリラ)が相手であれ、裁判抜きの処刑=虐殺が正当化され得ないのは言うまでもないことである。
 
 
そのことを確認した上で、しかし、私が問題だと思うのは、そもそも、「事変」であって正規軍同士の「戦争」ではないというのが、南京攻略戦時の大日本帝國政府の立場だったということである。
つまり、正規軍同士による国家間の「戦争」であることを前提とした、国際法規としての交戦規則の拘束性の有無はひとつの論点となり得るように思える。「事変」と称することにより、国際法の拘束を回避するのが、そもそもの大日本帝國政府の姿勢であったのである。国際法による拘束外の戦闘行為であると主張している以上、その戦闘相手がハーグ陸戦条約の交戦者規定を遵守すべきであるとの要求の妥当性もまた問われてしまうように思えるのである。

 
 
いずれにしても、他国の国境内に軍隊を進撃させ敵対的行為を継続したのは、大日本帝國の側なのであり、退却を続ける中華民国の国軍に対し、攻撃を継続し、追撃の果てに、その首都南京攻略までしたのは大日本帝國の側なのである。それも、「戦争」ではないにもかかわらず、である。
この過程は、それを「戦争」と呼ぼうが「事変」と呼ぼうが、他国に対する侵略行為に他ならないであろう。
宣戦布告なしに、日本の国境線内に軍隊を進撃させ、首都攻撃をすることが「侵略」でないと主張され、それが正当なのだとすれば、自衛隊の存在価値は失われてしまうではないか。
 
そもそも、自国が侵略される事態に際し、自国防衛のためにゲリラ戦を展開することは、20世紀においては、むしろ被侵略側にとって当然の対応となっているのではないだろうか。
 
 
 
外交の延長としての戦争という思想の要にあるのは、双方が「当面の敵」に過ぎず、決戦で決着がつけば終わり、…という古典的な戦争のイメージである。
国民国家の存在しない、帝国同士の戦争における国境線の変更は、何よりも支配階層の問題であって、被支配階層にとっては、支配者の変更であるに過ぎない。しかし、それぞれの民族的ナショナリズムに支えられた、国民国家同士による近代の戦争においては、国境線を越えた攻撃は、「当面の敵」の行為ではなく、侵略者としての「絶対的敵」の行為として認識されることになってしまうのである。
特に第一次世界大戦以降の、工業技術の発展に支えられた近代兵器の登場は、そこに総力戦状況を出現させ、「絶対的敵の殲滅」という戦争イメージをも発生さてしまった。
その両者が相俟っているのが、南京攻略戦時に、大日本帝國が直面させられることになった状況であることを深く認識すべきである。
国軍敗北後のレジスタンスは、あるいはゲリラ戦の展開は、第2次世界大戦における被侵略側に広く見られる現象となっていることを見落としてはならない。国軍の敗北、正規軍の敗北は、戦争の終わりではなく、本格的なゲリラ戦の開始の時点となるのだ。

かつてカール・シュミットが『パルチザンの論理』で描いたように、戦場に対峙する正規軍同士の決戦で、外交上の問題の雌雄が決せられる古典的戦争の時代は過ぎ去ってしまったのである。
 
 
南京城内外における便衣兵の存在を云々し、それに拘泥し続けることは、20世紀という時代に対する世界史的視野の欠如と、そもそもの大日本帝國による他国国境線内における攻撃的軍事行動(侵略)の不当性を隠蔽しようとするものであるとしか、私には思えないのである。
 
いずれにしても、「事変」である以上、「戦争」ではないと主張してしまった以上、交戦規則に従った制服の着用を求めることの妥当性が、私には疑問なのである。
 
 
 
 

繰り返すならば、祖国が外国の軍隊に占領されるという事態に陥った際に、レジスタンス、パルチザン、ゲリラ、便衣兵…という形式で占領軍に対する抵抗を組織することは、非占領国国民の「祖国愛」の発露として、日本軍の占領下の中国大陸でも、ドイツ軍の占領下のフランスでもソ連でも行われたことなのである。戦後世界においても、アメリカ軍に対抗するためにベトナムで、ソ連軍に対抗するためにはアフガニスタンで遂行され、そして現にアメリカによる支配下の21世紀のイラクでも見られる現象ではないか。

ここでは、ポツダム宣言受諾前夜(八月十四日の深夜)、東京医専のクラスメートと共に占領後のゲリラ戦の展開について疎開先の飯田で熱く語っていた、若き日の山田風太郎の姿を思い起こしておくべきかも知れない。日本人にも決して無縁な話というわけではないのである。


軍事的侵略と占領という事態が、被侵略者・被占領者の側にもたらすものがゲリラという形式の、「祖国愛」に動機付けられた抵抗者の存在なのである。
それは、あくまでも、外国軍による軍事的侵略と占領の結果なのであって、その逆ではない。
 
 
 

もう一度、先に示した、


 

 しかし一般人に化けている便衣兵(ゲリラ)には南京攻略部隊は困ったのではないか。死人に口なしで便衣兵かどうかは死んだ本人しかわからない。四六時中これにやられたら分別もなくなる。己が生き残るために無差別殺戮をやるしかない。恣意的な虐殺というよりも生き残るために無差別殺戮を犯したとは言えないか。これも筋道が立つ推論では?


…という虐殺正当化の論理を思い出そう。

ここにある、

 己が生き残るために無差別殺戮をやるしかない。恣意的な虐殺というよりも生き残るために無差別殺戮を犯したとは言えないか。

という論法は、まるで日本軍の側が、便衣兵の存在により「無差別殺戮をやるしかない」状態に追い込まれた被害者であるかのように受け取れてしまうが、とんでもない話ではないだろうか。
 
あくまでも、日本軍は侵略者・占領者なのであって、侵略者・占領者としての日本軍の存在抜きに、誰も「便衣兵」になりはしないのである。論理を転倒させてはいけない。
便衣兵の存在は、「祖国愛」に基づく侵略・占領の被害者による抵抗の形式なのであって、便衣兵に対する虐殺は単に加害の上塗りであるだけの話に過ぎないのである。

 

 

 

 

 

…と、以上、世界史の中の20世紀という視点から、国民国家とナショナリズムに支えられた国軍崩壊後の抵抗者としての便衣兵(ゲリラ)という位置付けの可能性を考えることで、南京虐殺正当化の論法としての便衣兵論の妥当性を検討してみた。
 

 

 

しかし、私自身は、南京で虐殺された人々の多くは、実は、便衣兵(ゲリラ)でさえなかったのではないかと考えている。

軍服を脱ぎ捨てるという行為と、便衣兵(ゲリラ)となることはイコールではないと思われるからだ。

 

戦闘の敗北が決定的となった時点で、戦意を喪失した兵士が軍服を脱ぎ捨てるという形式で、戦闘からの離脱を果たそうとした。単に、そのようなことではなかったのだろうか?

 

「ハーグ陸戦条約」とは、基本的にヨーロッパにおける国家間戦争の経験の上に打ち立てられた交戦規則なのであり、南京における虐殺事件の評価の焦点となっているのは、その中での俘虜(捕虜)の取り扱いの問題なのである。そこで考えなければならないのは、条約は基本的に、ヨーロッパにおける近代国家間=国民国家間の戦争の経験により生み出された戦争のルールなのであって、東アジアの近代化後発国の軍隊を支える規範にまではなり得ていなかったというのが、当時の現実に思えるという点ではないだろうか?

大日本帝國の軍隊が、戦争における俘虜(捕虜)の発生の問題に関し、「国際法」的常識を踏まえた上で戦争に臨んではいなかったことは、ここで詳論するまでもないことであろう。俘虜(捕虜)の位置付けに関しては、特に大東亜戦争期の日本の軍隊が、近代欧米諸国の求める水準をクリアしていなかったことは確かに思える。

一方で、中国の国軍においても、その事情に変わりないように思えるのである。戦闘終了後には、敗北した側の軍人・兵士は捕虜としての取り扱いを受けるというルールが、中国国軍内に徹底されていなかったのではないか、という疑いである。

 

一ノ瀬俊也 『旅順と南京 日中五十年戦争の起源』(文春新書 2007)は、日清戦争を題材としたものであるが、書中には、『日清戦争 歩兵第二連隊歴史』(1896)からの引用として、明治二十七年十一月六日条にある、


 敵は三面より攻囲せられ、数多の銃砲旗を委棄して、先を争い、西南門より旅順口方向へ落ち延びけり、その敗走の情、混乱の有様、実に名状すべからず、あるいは銃を抛ちつつ走るあり、軍衣を脱して逃るるあり、あるいは民家に潜むあり、土民に混ずるあり。この不規律なる彼らの挙動こそ、一見その敗軍の原因と知られけり。


…という金州城攻略時の模様が紹介されており、同様の状況は、二週間後の旅順攻略戦時にも繰り返されている。

この日清戦争時の清国軍における軍兵の行動様式は、南京攻略戦時に日本軍が遭遇した中国国軍の軍兵の行動様式と同型のものに思える。

戦闘の敗北後は軍が組織的に降伏し捕虜としての取り扱いを受けるという、ヨーロッパ近代が生み出したルールが、そのルールへの理解・周知が、そこには存在しないように見える。

 

南京攻略戦時の日本軍においても、発生する捕虜の取り扱いに関して、国際的ルールへの周知徹底を欠いていたことは確かに思えるが、中国側においても(別の形式で)国際的ルールへの理解不足があったように、私には思えるのである。当時の中国国軍が、後発近代国家における、形成途上の近代的軍隊であったことには留意しておくべきであろう。

その両者、後発近代国家の軍隊同士の遭遇が悲劇的事態を生み出してしまった。

現在、私の南京事件、南京における虐殺事件に対する理解は、そのような構図の下にある。ただし、今のところ、実証的裏付けはまったく存在しないが…

そして、もちろん、この構図の下でさえ、虐殺の正当化が出来ないことは言うまでもないことである。

 

 

 

 

 


 読み込み中...
Binder: 現代史のトラウマ(日記数:647/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    umasica :桜里
     2010/02/18 21:07
    …と、南京ネタの第二弾。

    ところで、

    カール・シュミット 『パルチザンの論理』(ちくま学芸文庫 1995)
    一ノ瀬俊也 『旅順と南京 日中五十年戦争の起源』(文春新書 2007)

    この2冊はオススメ本です。

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