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自殺に至るいじめ 個人の尊厳が否定される世界 (現代史のトラウマ その12)

2006/12/03 18:52

自殺に至るイジメについて考えてきた。

教育再生会議による「いじめ問題への緊急提言」とは、教育基本法の理念の実現に消極的であった政権政党による内閣により設置された組織による提言なのである。
特に、現内閣は、「教育基本法改正」を目標として掲げている首相により組織された内閣であることを忘れることは出来ない。
これまでの、教育基本法の理念の実現に消極的な、むしろ現実に、その理念の実現に反する方向で教育政策・行政を推進してきた者達が、より積極的にその方向を目指すための施策として、「教育基本法改正」を目指しているというのが、現状理解として妥当なところであろう。

そこでは、現行教育基本法を支える「個人主義的理念」がターゲットとされているのは確かなことである。
しかし、「見て見ぬふりをする者」から脱すること、傍観者から脱しうる精神を支えるのは、むしろ個人主義、社会に責任ある個人の形成基盤としての個人主義的理念の徹底である、と私は思う。
引用した教育基本法の文言から読み取れるのは、反社会的な個人とその理念としての反社会的な個人主義ではない。より良い社会を形成するための、社会的責任の自覚を前提とした、社会的責任の実現を視野に置いた個人主義なのである。

現状での「教育基本法改正」の議論では、まったく、そのような現行教育基本法の文言とその意味する文脈が理解されるどころか、みごとに捻じ曲げられた上で否定されてしまっていると言わざるをえない。

個人主義的理念の否定の後ろにあるのは、統制感覚である。上から下を見る統治の感覚である。教育現場における、行政的・政治的統制こそが目指されているものである。そのことは、この60年間の、政権政党の政策の反映としての、教育行政の歩みを見れば一目瞭然であろう。

そのような政権政党による現内閣により設置された教育再生会議の提言、として、あの「緊急提言」が読まれるのは当然のこととなる。


私もそのように読まざるをえない。

「個人の尊厳」が尊重された世界(現行教育基本法の理念とする世界)では、そもそも、自殺に至るイジメは、決して、放置されるものではないだろう。すなわち、現状は(既に)そのような世界ではない、ということだ。
その上で、「教育基本法改正」で目指されているのは、「個人の尊厳」を縮小解釈することであることは確かなことである。
究極、目指されているのは、命令と服従を基本とする世界なのである(あくまでも究極の理念としては、だが)。

命令と服従を理念とする世界。それこそは旧軍隊内で最高度に現実化されていたことは言うまでもない。
そして、1989年のベルリンの壁崩壊以前の共産主義国家内で実現していた世界も、まさにそのようなものであった。
そのような世界でも、傍観者であることは、決して、許されることではなかった。
密告の奨励されていた社会がそこにある。無実の隣人を、反国家的人間として、資本主義国家のスパイとして告発することが当たり前となる世界。

個人主義の否定の上での、傍観者であることの否定がはらむ問題がそこにある。イジメの解決がもたらされるのではなく、果てしなく、お互いがお互いを監視し密告する世界が実現するのである。お互いがお互いをイジメ抜く世界、ということだ。


そもそも、現行の近代的教育システムは、単純作業の工場労働者と徴兵制の軍隊の兵員養成のためのシステムであった。産業構造が変わり、戦争のスタイルが変化した現在、システムの前提自体が破綻しているのである。
そのことの認識を抜きになされる、命令と服従システムの再現という最終的イメージの下での「教育再生」から、自殺に至るイジメの問題の解決を望むことは困難であると言うことしか、私には、出来ないのである。


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最新コメント

  • Comment : 1
    あごひげ女子
     2006/12/03 21:18
    前に朝まで生テレビだかで討論してたんだけど
    その中で、唯一共感できたのが「イジメ自殺はいじめが原因での自殺ではない」って事だった。
    どれだけイジメを受けていても、本当の意味で地を出せる相手がいれば
    生きて行く事は可能だと思う。
    それこそ引篭もってでも、不登校してでも良い。
    そういう支えがあれば、死ぬ事を選ぶ前にまず『ぶちまける』方向に行けるのではないかと思う。

    死ぬくらいなら死ぬ前に『テメェら全員良い加減にしろやコラァ!!遺書にオマエラの名前連ねて屋上から飛び降りるぞボケェ!!!』と、切れまわすだけの気力があれば良いのだけれど、それができない時点で『鬱に陥ってる』としか言いようが無い。
    『鬱』は『うまく生きれないから死にたい』と、『死』そのものに憑りつかれている状態。
    だから、もしそこまで追い詰められた後に本当に理解しようと歩み寄ってくれる人と出会ったとしても、その出会いを受け入れる事すら既に『しんどい』状態になっていると思う。
    イジメがなかったとしても、そう言う子の場合は何か他の要因からも『死』を繰り返し連想する状態に陥り易い脳の作りなんだと思う。
    例えば仕事で失敗を繰り返してしまった、志望校に落ちた、付き合ってた人と別れた…等など。
    人が普通に落ち込む事も、普通として受け入れられず『自分が生きている価値の無い人間なんだ』と、それくらいどん底になってしまう。
    実際私自身『打たれ弱い』ので、その脳の動きは良く分かる。

  • Comment : 2
    あごひげ女子
     2006/12/03 21:18
    改正・改善しなければいけないのは教育や道徳よりも、本来の人が持ってうまれてくる『生きたい』『生き延びたい』と言う本能をどう育てるかじゃないかな。
    あまりにも『ナニ不自由なく』生きて居られるから、それこそが不自由に思えてきてしまうんだろうし、『生きてる』と言うより『なんとなく生かされてる』と思っている若い人が増えている気がする。
    中学入ってすぐくらいに、4人グループに分かれて1グループづつアフリカで3日間暮らさなければいけない、なんてどうだろう。もちろん衣食住は生徒まかせで。死なない程度にサポートをつけて。
    死なないと保障されていたとしても、現代の人達にとっては『生き抜くって本当はすごい大変な事、生かされてるって言うのは実はすごく楽してる事』と知るには、十分なんじゃないかな。

    とは言え…私自身アフリカに置かれたら、ビビって失禁しっぱなしだろうけどw

  • Comment : 3
    umasica :桜里
     2006/12/03 23:03
    あごひげ女子様

    >その出会いを受け入れる事すら既に『しんどい』状態になっていると思う。
    確かにその通りでしょうね。そこに寄り添い、「向こう側」から「こっち側」に手を引っ張ること。簡単なことではないでしょう。他人に対する不信感だけは、これまで十分味わされて来た果ての話ですものね。

    とにかく、生きてて何かいいことがある、っていう気持ちが失われてしまえば、死へと気持ちが向いてしまうのも理解出来ることです。
    正直なところ、そんな世界(生きてて何かいいことがある)が用意されているようには、私でさえ、見えないところがあります。大人たちが楽しそうでなければ、子どもにとって何の説得力も生まれませんよね。

    生きているっていうことが、スゴイことである、って大人たち自身が思っていないのに、子どもたちに何を説得できるのか、って思います。

  • Comment : 4
    ギャラリーZzz臓図
     2006/12/10 02:22
    コメント3です。

    虐めに関して、桜里さんが書かれているのはここまでですよね?
    (間違った様でしたら、すいません)

    桜里さんの安部内閣や自民党が、国家権力を強くしたい意識が教育基本法に表れているという指摘は、御尤もです。


    何ですかね?21世紀に入っても国の中枢はそんな事がしたいのですかね?
    よしんば実現したとしても、後世、良い名を残す訳でもないのに。
    国の雑務も増えて、余計財政が圧迫されるでしょうにね。


    軍隊も学校も、今や家庭も町も隔離されていますね。
    その中で、ネットやゲームに勤しむ子供達。
    個人しか見えない個人主義は、一体ドコに行くんでしょうね。

  • Comment : 5
    にんにん
     2006/12/10 12:57
    ギャラリーさん。

    今、政権与党がしたいのは、「小さな政府」化ですよね。
    これは、ほとんど全ての国が国民にすべきことを、「自助努力」とか「自己責任」とかいう理屈で国民に押し付けたあと、責任が軽くなった彼らが、スポンサーの財界と一緒に欲望のおもむくままの?どう言えばいいんだろう、、、ひたすらな蓄財のため?の政治をして、結局米国に盲従することを追及していく過程ですよ。

  • Comment : 6
    umasica :桜里
     2006/12/10 16:50
    正直言って、政権与党の皆さんがどんなヴィジョンで事に臨んでいるのか、よくわかりませんね。

    非常に復古的なイメージ(強大な政府権力)がある一方で、「小さな政府」、結局のところ「自己責任」論で、何もしない(国民の生命・財産の安全に無頓着な)国家をイメージすればよいのか。

    軍隊をめぐる議論(防衛省昇格などにまつわる)を見ていて、なんか違うんじゃないか、と思うのは、軍事行動も含めてアウトソーシングの時代にあるということへの認識不足ですね。
    もう徴兵制の軍隊で、戦争は出来ません。少子化の下、一人しかいない息子を戦死させることのコストの大きさは(家族の感情とは別に)国家にとっても大きすぎます。
    そのような中で、イラクでの民間軍事会社のウェイトの大きさはもう一度思い出されるべきです。米軍人の警護を民間軍事会社が請け負っているのが実態です。

    隔離された個人(?)というイメージも含め、国家と個人の関係自体、国家の、そして個人のあり方自体が変貌してしまっている現在を、きちんと、見つめなくては、そう思います。
    私の「社会に責任ある個人」を支える「個人主義」というイメージ自体も、ある意味、「過ぎてしまったもの」であるという自覚もしつつ、それでも、あえて主張しているという側面はありますね。

  • Comment : 7
    umasica :桜里
     2006/12/18 16:30
    結局のところ、教育基本法は「改正」されてしまいました。

    少数意見(実際に少数ではなかったと思いますが)を無視し、多数の横暴で(と反対者から受け取られる方法で)、決められてしまいました。

    多数が少数を無視し、その存在を踏みにじる行為。「いじめ」を構成する行動様式です。自らの行為の意味にまったく無自覚でいられるところには感心する以外にありませんが、この人たちに問題の解決の期待は出来ないということだけは確かなことでしょう。

    弱いものの声を聞かない、無視する、これでどうやっていじめの問題を解決しようというのか、謎というよりありません。


    とにかく、私たちも、きちんと考えること、そこから始める、続けるしかない、ということでしょう。
    これからも考えていきたいと思っています。

  • Comment : 8
    まことか
     2012/07/15 14:34
    もう、この時から5年半がたっているのですね。この5年半の間に世の中がどうなったのかを考えますと、さらなるカオスの進行。社会の構造的アノミーの進行を感じます。もはや、個人の尊厳ではなく、私たちの暮らす社会の尊厳が失われようとしていると、私の目には映るのです。

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