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亡国の礎 『国体の本義』 (現代史のトラウマ 17)

2007/01/05 22:49

今年の年賀状のテーマ(?)として、1937年を取り上げました。2007年から、丁度70年前になります。

1917年、ロシア革命から90年目という年でもありますが、日本に住むものとしては、1937年が現在に直結している象徴的な年であるように思えました。

賀状(フォトページ参照)にもあるように、1937年5月31日は、文部省による『国体の本義』の刊行日であり、7月7日は盧溝橋事件の起きた日付です。
どちらも、1945年8月15日正午、昭和天皇自らの声による「玉音放送」を通じて、大日本帝国の敗北が国民に発表されるに至る事態への出発点にあると考えられる出来事です。すなわち、「亡国」への出発点であった、ということです。

7月7日、盧溝橋事件に始まる中華民国国内における大日本帝国軍隊の武力行使の拡大は、やがて1941年12月8日の真珠湾攻撃に始まる対米英戦争へと発展しました。開戦後半年間の戦闘における勝利が続いた後は、敗北の連続となり、当初の占領地を失い、継戦能力の喪失による無条件降伏に等しい最期を迎える結果となったわけです。

戦争当初の占領地域の喪失のみならず、(関東軍の謀略によるものであれ)親日国家として建国された満州国は瓦解し、明治以来獲得した台湾と朝鮮半島の植民地をも失うこととなったわけです。
そして、大日本帝国は連合軍の占領下に置かれました。占領下の裁判で、大日本帝国の指導者は裁かれ、処刑もされました。
「亡国」とは、そのような事態を指します。

軍事的な出発点が、盧溝橋事件でした。それを政治がコントロール出来なかったという意味において、政治的出発点であったとも言えるでしょう。

『国体の本義』の刊行は、精神的出発点とも呼びうるものであったと、私は、考えます。やがて来る「亡国」の精神的出発点であった、ということです。


『国体の本義』の前文から抜書きしてみましょう。


 抑々社会主義・無政府主義・共産主義等の詭激なる思想は、究極に於てはすべて西洋近代思想の根柢をなす個人主義に基づくものであつて、その発現の種々相たるに過ぎない。個人主義を本とする欧米に於ても、共産主義に対しては、さすがにこれを容れ得ずして、今やその本来の個人主義を棄てんとして、全体主義・国民主義の勃興を見、ファッショ・ナチスの台頭ともなつた。即ち個人主義の行詰りは、欧米に於ても我が国に於ても、等しく思想上・社会上の混乱と転換の時期を将来してゐるといふことが出来る、久しく個人主義の下にその社会・国家を発達せしめた欧米が、今日の行詰りを如何に打開するかの問題は暫く措き、我が国に関する限り、真に我が国独自の立場に還り、万古不易の国体を闡明し、一切の追随を排して、よく本来の姿を現前せしめ、而も固陋を棄てて益々欧米文化の摂取醇化に努め、本を立てて末を生かし、聡明にして宏量なる新日本を建設すべきである。即ち今日我が国民の思想の相克、生活の動揺、文化の混乱は、我等国民がよく西洋思想の本質を徹見すると共に、真に我が国体の本義を体得することによつてのみ解決せられる。而してこのことは、独り我が国のためのみならず、今や個人主義の行詰りに於てその打開に苦しむ世界人類のためでなければならぬ。ここに我等の重大なる世界史的使命がある。乃ち「国体の本義」を編纂して、肇国の由来を詳にし、その大精神を闡明すると共に、国体の国史に顕現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、以て国民の自覚と努力とを促す所以である。

前文の最後はこのような文章で終えられています。
『国体の本義』において批判の対象となっていたのは、端的に言って、「個人主義」であった、そう述べて問題はないでしょう。
当代の問題の起源が「個人主義の行詰り」に求められ、その克服の方途として「真に我が国独自の立場に還り、万古不易の国体を闡明すること」が示される、というわけです。

歴史を振り返れば、形式的な愛国主義の瀰漫と、自己礼賛の繰り返しが、その後のこの国にあふれかえりました。
しかし、最後にやって来たのは、1945年8月15日、亡国の日でした。
米英の「個人主義」の国に、『国体の本義』の国は、敗北し去ったのです。

そして現在、「個人主義」の否定に重点を置いたかに見える、教育基本法の「改正」が行われました。再度の亡国への出発点、私にはそのように見えます。


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最新コメント

  • Comment : 1
    bon
    bonさん
     2007/01/06 23:48
    ある国の永住権が値下がりした。

    阿弥陀に導かれて行く遊行もある。

    ..............................
    風化の生き方も無視され楽しい。
    .............................

    内向きに硬化剤注入はひび割れの元。

  • Comment : 2
    s06007
    s06007さん
     2007/01/07 08:09
     ここは一応明確に誰かしていただければと思うのですが、個人の欲望の出来る限りの発露がまず大前提であって、その調整としての政治でないといけないと思うのです。問題の全体主義はそれが犠牲の方が大きくなりすぎてしまって個人がどこかへ行ってしまっていることこそ問題なのではないかと。
     明治期の外務大臣陸奥宗光はマルクス主義が出始めた頃に、これは本末転倒、と喝破しています。こんなことを言い切った人は世界中でもほとんど居ないと思われます。あれから100年位たって歴史が証明しているんじゃないかと思っています。あの陸奥宗光、100年前にそれを予言している訳で改めてバケモノと私は思っています。その彼の論拠というか座右の書が荻生徂徠氏の『弁明』『弁道』らしいのですが、これ、探しても見つからなくて困っていたりします。

  • Comment : 3
    umasica :桜里
     2007/01/07 22:40
    ん?!様 

    このところ、死へのハードルが低くなってしまったことを感じていました。

    このところの政治的動きは、更にそのハードルを下げることを目指しているように見えてしまいます。

    既に、「介護保険法」や「障害者自立支援法」の実態は弱者の切捨てにしか見えません。その上に、新・教育基本法に防衛省発足です。

    この世に未練があるわけではないけれど、ちゃんと寿命までは生きていられる世界であって欲しいと思っています。


    s06007様

    全体主義。

    『国体の本義』に示される、精神的な問題だけではありませんね。

    実は、戦中の日本の実態は「統制経済」。行政が経済を指導するシステムでした。崩壊した東欧の社会主義圏そのままです。
    当時の自由主義者の日記を読むと、「これではアカだ」というような記述が散見されます。そして、実現するのは、官僚主義に貫徹された、えらく効率の悪い生産と分配のシステムでした。生産増強(そして戦力増強)こそ実現されなければならないのに。
    その統制経済立案の総本山が、岸信介でした。現首相は、その孫というわけです。

    そういう文脈でも、現首相、一体何を目指しているのか、私には謎です。

  • Comment : 4
    bon
    bonさん
     2007/01/07 23:03
    淘汰が最高の政治的手腕だなんてね、

    本音は地球人口増加が一番の恐怖だなんてね、

    環境悪循環の連鎖が止まらず科学的対処が出来ないなんてね、

    お茶ら毛漫才で思考停止、メディアが死に法律いらずなんてね、

    出生形態が複雑化し遺伝子が濁り不信が蔓延なんてね、

    国家内国家があちこちに国家公務員も自分個家のためなんてね、


    僕は無国籍者に成りたいよ。

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