umasica :桜里さんのマイページ

亡国の礎 3 万邦無比の我が国体 (現代史のトラウマ 19)

2007/01/07 20:04

「亡国」の姿、続きます。


 …、民族の力量はこれだけで優劣は論ぜられない。すなはち民族の力はあくまで個々の力の総合結集でなければならない。この意味において、民族の各構成員が同一目標に向つて強調一致邁進する民族精神が重要な要素となるのである、これによつて民族の量と質は初めて活動体としての生命を与へられ、国家としての総力を発揮するのである。
 日本はこの点に関しては皇室を上にいただき、義は君臣、情は父子の強固なる団結力と八紘一宇の聖業達成の大目標とが厳存して万邦無比である。

昭和19年(1944年)7月2日の『読売報知』紙上の文章です。
筆者の林春雄は、続けて、

 しかるに米英等の民族精神は享楽主義をもととした個人主義である。…
 …個人主義が骨の髄までしみこんでゐて、この思想の上に社会制度が強固に根を下ろしてしまつた…
 
と書き、

 かくの如く米英等は個人中心、利己主義であるから強調一致の精神において破綻を来たし易い。国家の目的といへども、己が利害と一致しなければ反対の方向に走る危険は多分にあるのである。この点滅私奉公、至誠一貫の日本民族の団結とは雲泥の相違がある。

と主張しています。医学博士にして軍事保護院顧問の帝大名誉教授が、新聞紙上に発表した文章です。

東條英機首相の下、言論統制下の新聞ですから、一般的な公的認識の反映された文章として理解出来ます。

実際、対米英開戦当初から、「個人主義」あるいは「享楽主義」の米英への、「万邦無比の国体」とその精神の優越性は、一種の「常識」となっていました。
今、手元に開戦当初の適当な文書がないので引用出来ないのが残念ですが、いずれにしても、上記の文章は、昭和19年サイパン陥落を目前にして考え出されたレトリックではなく、開戦当初から、あるいは開戦に至る決断を支えていた認識の延長として書かれているものであるところに注目する必要があります。

支那人のナショナリズムに対する想像力を欠いていたように、敵国としてしまった米英人のナショナリズムと、その根底にある個人主義への無理解がそこにあったということです。
贅沢に慣れた「享楽的な」米国人というイメージ。過酷な状況におかれれば、すぐに音を上げるはずだ、という思い込み。
ピューリタンの伝統、過酷な開拓生活を経て来たその歴史への想像力の欠如。

『国体の本義』に見出された「個人主義」への排撃の延長で、自らに都合よく積み重ねられたイメージの上に、対米英開戦へと導かれる雰囲気が醸成されたわけです。『国体の本義』自体が、「国体明徴」という時代精神の上に書かれたものでした。ナショナリズムの基盤を「国体」の上に置き、そこからの逸脱を許さぬという発想が、国家の行政に浸透し、言論の抑圧の上に政治的決定が行われるようになっていきます。

 歴代の天皇が臣民を哀れみ給ふことは、恰も親が子に対するが如く、又国民が天応を敬慕し奉ることも、恰も子が親に対するが如く、君臣の関係が、その心持に於て、親子間の恩愛と少しも変わらないのが、我が国体の事実であり、又将来に向つての理想である。

昭和12年(1937年)刊の『新制 女子国語読本 巻九』にある「忠孝と我が国体」という文章です。

大東亜戦争の開戦の背景には、「国体」の個人主義への優越性という認識がありました。しかし、その結果、国家は敗北し、200万人を超える英霊が新たに靖国神社に祀られることとなりました。「万古不易の国体」は「個人主義」に敗北したのです。
「義は君臣」、「情は父子」。しかし、私には、昭和天皇が200万人の国民(一般市民を加えれば死者は300万人を超えます)の死を望んでいたとは思えません。「親が子に対するが如く」の情が「国体」を支えていたはずですから。

「亡国」へと至る責任。どこにあるのでしょうか。
「個人主義」の否定を基調とした新・教育基本法、より善い世界を築く礎となりえるのでしょうか。


Binder: 現代史のトラウマ(日記数:656/全体に公開)
Gg[ubN}[N
最新コメント

  • Comment : 1
    s06007
    s06007さん
     2007/01/08 10:41
     新教育基本法を新聞で各条文を読みました。
     旧の方を読んでいないので精確さに欠けるかもしれませんが、読んだ限りでは毒にも薬にもならない方針書みたいなもので、これでは次の政権、次の次の政権と移るに従って、あるいは現場の状況によってなんとでもなってしまう文章だけみたいなものという印象です。憲法9条の様な事態(戦力を保持しない→持ってるじゃん)にもこの国はなったりするので、これだけではなんとでもなりうる感じに思いますし、例えば現場や卒業後のいじめや犯罪が減りもしないしもちろん増えもしないだろうという、ファクターとしてはあまりに弱すぎる代物じゃないかと思いました。
     公を意識しているかもしれませんが、強制力も特になさそうですしね。
     反対する程のものでもないし、政府与党が一生懸命強行する程のものでもないとも思います。
     この基本法よりもどのような特別法や政令が出るか、そちらこそ注意すべきなのかもしれないという感想です。
     ただ政府が教育の環境を整備せねばならぬみたいな条文があって、もし貧乏国家になって(実際現在財政超赤字)小さな政府をめざそうにもこの部分はとにかくコスト削減できない様になっているのが、後々悪く作用しなければいいなと思いました。
     いつの間に長文レスしちゃいました。申し訳ございません。

  • Comment : 2
    あつこ
    あつこさん
     2007/01/08 20:48
    こんにちは、ルース ベネデクト さん の 菊と刀 の ように 人類学者
    が 徹底的に 日本人に ついて 研究して いましたし。
    日本人の西洋発見を 書いたドナルド キーンさん の ような 語学の
    天才は、16歳頃に 選ばれて 日本語の 理解に 努める勉強を して いました、日本国憲法に 女性の 地位に ついて、書いてくれた、
    ベアテ ゴードン シロタさん の ような 方も います。一度 日記に
    ベアテの贈り物 と言う 映画に ついて 書きましたが、この映画が、日本だけでは なくヨーロッパを まわって います。この映画制作委員の
    一人、黒岩さん にも お会い しましたが、市民レベルで 啓発に 取り組んでいる かたも います。米国に ついては、あれほど 日本について
    研究した 過去が あるのに 回教国に ついての 理解が ない と 言う
    ところが、わかりません。。。

  • Comment : 3
    umasica :桜里
     2007/01/09 01:07
    s06007様 

    ウチの かああひる は仕事柄、法律の条文と行政の関係については私より詳しいので、お話の点については、後でコメントをしてもらおうと思います。


    あつこ様

    今回のイラク戦争では、米国では国務省と国防総省の縄張り争いがあって、最終的に全て国防総省が取り仕切ることになり、あんな事態になってしまったようです。
    国務省では、前々から亡命イラク人を集め、復興プランなども詰めていたようですが、全てラムズフェルドがぶち壊しにしてしまったようです。
    開戦に至る過程でも、国防総省に取り入ったチャラビ一派の偏った情報(それが、国防総省−ラムズフェルド、には都合がよかった)のみを元にプランが立てられていってます。
    支那事変→大東亜戦争時の日本と同じ構図です(全て、自分に都合の良い情報のみを基盤とする)。

    米国には、イスラエルとの関係があるので、どうしてもイスラム世界との関係は歪んだものとなってしまうようですが、それにしても今回のイラクでの行状には弁解の余地がありません。

  • Comment : 4
    よたよたあひる
     2007/01/11 01:04
    かああひるです。
    特に、法律にも行政にも詳しいわけじゃないんですが、半分世捨て人みたいな、桜里よりは生々しい世界にいますからねぇ・・・

    >s06007様

    >この基本法よりもどのような特別法や政令が出るか、そちらこそ注意すべきなのかもしれないという感想です。
    ・・・・・・ 
     もう、本当に、そのとおりです。そして、更に言うならば、どのような予算編成になるか、ということですよね。
     私が、大学で教育行政論を学んでいた80年代前半の時期に(うーんすでに2*年前ですが)、教官が、「70年代の中教審答申の『期待される人間像』は悪いものではなかった。ただ、予算がつかなかったらきちんと実現できなかったんだ」と言っていたのを思い出します・・・私自身は、『期待される人間像』の教育が理念どおりにできたとしても、産業構造が変化したあとには役に立たなかっただろうと思いますが・・・
     

     教育に関する問題は、本当に将来を見据えて、考えていくべきことであると私は思いますが、日本の教育行政は、それこそ「旧・教育基本法」とは無関係に、かなり短いスパンで、あちこちいじくりまわされて、わけのわからないものになってきたと私は思います。
     
     「法律」を整備するということは、国が予算をかけなくても、例えば、地方自治体の責任で○○を整備すべし、というしばりをかけられるということですよね。
     すでに、義務教育の国庫負担金の割合は減らされて、自治体がになう部分が増えているので、全国一律の水準を守るためには、法のしばりが必要なんだと思います。
     ただ、国の財政負担を地方に負わせてなんとかなる事態では全くないので(自治体も大赤字ですからね)、どうも目論みがずれている、というか、視野狭窄の中で、予算編成がなされているように思います。

  • Comment : 5
    umasica :桜里
     2007/01/11 15:58
    現実には、旧・教育基本法の「個人主義」と言われている側面は、戦後教育からは排除されていました。
    社会に責任ある個人というのが、旧・教育基本法の「個人主義理念」の柱だと思いますが、現実の教育行政の中では、そのような理念の実現への取り組みがなされて来たとは思えません。
    そういう意味では、旧・教育基本法は絵に描いた餅状態だったということですね。
    法律があれば、何かが実現するということではないわけです。

    ただ一方で、法律は行政にとっては都合の良い手段ともなります。例えば、いわゆる「解釈改憲」であれだけの軍事力を既に保有出来ているわけですから、「解釈」の必要のない法律を作れれば、どこまでも進めるということにもなります。

    新・教育基本法については、マイナスの問題の指摘と共に、どこまでプラスのものとして利用出来るのか、私達も「解釈」の試みをすることも必要であると思います。

このブログにコメントをつけるには、ログインする必要があります。
マイページをお持ちでないひとは「マイページを作成する」ボタンを押してマイページを作成してください。
不適切なブログを見つけたら、こちらからご報告ください!

Mail Address(GMO ID):

Password:

自動ログインパスワードを忘れた方

最近書いたブログ


http://www.freeml.com/feed.php?u_id=316274&f_code=1



Copyright(C)2017 GMO Media, Inc. All Rights Reserved.