現代史のトラウマ、なんて題を使用してしまうぞ今日はフツー日記 その1 (再録)
(本日は、「現代史のトラウマ」という表題で、イラク戦争を入り口に、一般向け多少硬派モードの日記となるはずです。いぢわるは、ない、はずです。泥沼ではなくトラウマです)
毎日、あんな心にもないいぢわる日記を書いていると、精神的消耗があまりにも激しいので、今日はまともに日記を書く努力をしてみました。どんなもんでしょうか?
基本的に日本のマジョリティーの言論は、二つの潮流に支配されているように感じられます。うらみつらみ、何でも左翼が悪い、の正論・諸君!が一方にあり、対するは、いつもおりこう良い子です、の朝日新聞、なんて構図ですね。そーじゃない言論のあり方をこれから追求してみようじゃないか、それが今日の日記を書くに至る動機です。
さて、入り口のはずのイラク戦争ですが、その話に入る前に、「現代史のトラウマ」という表題を考えた時の最初のイメージからお話しましょう。
このところ、考えていたのは、欧州における第二次大戦、日本における大東亜戦争、この二つの戦域における連合国と枢軸国との戦い、その惨禍の経験がそれぞれに残した教訓のあり方についてです。
日本においては、何のかんの言われながらも、戦後長期にわたり、憲法9条は国民の支持するものであり続けました。たとえ占領軍の元ネタに基づくものであろうとも、憲法の条文を、戦争はこりごり、軍隊・軍人もこりごりという気分が支え続けて来たものと私は解釈しています。自ら始めたことの帰結とはいえ、徹底的な攻撃の対象となってしまった末に、殆んど無条件降伏状態で敗戦を迎えた、これがかつて大日本帝国と呼ばれた国における戦争の帰結でした。戦争自体が悲惨な体験として記憶されると共に、その戦争を主導した軍人・軍隊への嫌悪感が長く残ったわけです。
日本における大東亜戦争の経験がもたらしたものは、戦争への嫌悪、軍隊・軍人への嫌悪、武力行使への嫌悪の感情であった(論理不在ではあるわけですが)、これが私の観点です。
一方、欧州における、第二次大戦の教訓は、と考えた時に浮かぶのは、「ミュンヘンのトラウマ」と私が呼んでいる、常に底流を流れる感情、あるいは強迫観念です。第二次大戦に先立つ時期、ミュンヘン協定において、英仏はチェコスロバキア共和国へのナチス・ドイツの領土要求を受け入れ、当事者チェコスロバキアの主権を全く無視する形で、軍事力によらぬ「平和的解決」を勝ち取ったはずだったわけです。結果として、平和的解決どころか、ポーランド侵攻による第二次大戦の開始という帰結をもたらすものであったのは、ご存知の通りです。ここには、必要な時期に適切な軍事力の行使を怠ったがために訪れた欧州の惨禍、という認識が生じました。特にそれが、ナチス・ドイツという全体主義・独裁国家の引き起こした戦争であった点には注意する必要があります。好戦的、全体主義的、民族主義的、独裁的、と言った形容詞のつく国家との関係には、神経質になる傾向が残りました。もたらされたのは、適切な時期に武力行使への決断を怠ったがためにもたらされた欧州の悲惨、という認識です。コソボにおけるNATO軍の軍事的介入の背景にあるのはこの感情、あるいは強迫観念であったと、私は見ています。特にミュンヘン協定の当事者であった英仏の外交と武力行使をめぐる決断には常にこの影が付きまとっていることを念頭に入れておくべきでしょう。ミュンヘンから帰ったチェンバレン英国首相の姿、彼らにとってマヌケの代名詞でしかありません。
続く
(2006年10月7日の日記の再録です)








