現実に、明治維新の時点で考えれば、日本国民など存在してはいなかった。国とは、藩のことであり、何よりもそこでのマジョリティーは、農・工・商ではあっても、「国民」ではなかった。国=藩は、支配層である士の関心事であっても、そこにマジョリティーである農・工・商が関与することはなかったのである。そのような分権的幕藩体制国家が中央集権的明治国家に編成しなおされる過程を思い起こしてみたい。そこでは、西南戦争という内戦状況をくぐり抜けていることに注目しておく必要がある。幕藩体制に代わる国家が複数誕生している可能性がそこにはあった、ということを想像しておくことは決して無駄なことではない。複数の民族がそこに生まれていたかもしれないのである。実際、当時の口語を考えて欲しい。列島の東と西、北と南の人間が会話を通じてコミュニケーションを図るには大きな困難があったはずだ。単一の「日本語」の存在さえ怪しかったのである。現在のチェコ語とスロバキア語の差異と、当時の薩摩語と津軽語の差異を考えた時、どちらに大きな開きがあるのか、一度は問うてみる必要はあるのではないか。
「日本民族」、「大和民族」という答えのすわりの悪さにはそのような淵源もあることを忘れるべきではない。
そのようなことを考えに入れた上で、当初の問題に戻りたい。民族問題に無自覚な多数者・マジョリティーとしての「日本人」、つまりアイヌ民族出身者、朝鮮半島出身者、その他の日本国内在住の少数民族出身者を除いた「日本人」に属する私の問題に、である。
民族問題に無自覚であるということは、民族的アイデンティティー及びそこから生まれるプライドへの想像力の欠如をもたらす。そのような場にこの国のマジョリティーは立っている、ということなのである。自らを問うこと無しに、しかし、マジョリティーであるという相対的に有利な位置から、現に、少数民族差別が無自覚に行われ続けているのである。
そして、私の思想・心情とはまったく別のこととして、被差別少数者から見れば、私はマジョリティーの側の人間なのである。
つまり、ここには個人は存在しないのである。カテゴリーのどこに組み入れられるか、そこで決定されることなのであるから。あるアイヌが差別される時、その個人が問題にされてはいない。カテゴリーが問題なのである。その同型の関係が、私に向けられる、と考えておかなくてはいけないというわけなのである。人間をカテゴライズすることが何を生み出すのか、そのことも考えておくこと。
そして、たとえば、私がアイヌ差別を語るとすれば、被差別当事者のアイヌではなく、差別当事者のマジョリティーの側に分類されうる人間で私自身がいることを忘れてはいけないということなのである。
個人を主語にできれば、そこに問題はないのかも知れない。しかし、現実のこの世界には、個人を主語にして語ることが出来ない、そのような現実もあるということ、なのである。
(2006年10月22日の日記の再録です)





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スイス ドイツ 語を 話す人達です。そのほか、5人に 1人は、
外国人ですし。。。私の意見が いつも 少数派となるのは、
かならずしも、この国で 生まれていない から と いう わけでは
ありません。。。