umasica :桜里さんのマイページ

初期の「現代史のトラウマ」シリーズ再録のお知らせ

2007/05/12 21:34

本日の午前中に、思い立って、「現代史のトラウマ」シリーズの初期の文章を、まとめて再録しておいた。
シリーズの1から4、そして6と7、間に「桜里の休日」で書かれたけども内容が関連しているものを一本。

今後、憲法をテーマに書く前提として、私の歴史認識、国民と国家に関する私なりの観点、国民を構成するマジョリティーとマイノリティーの関係性をめぐる私の問題意識、といったことについて示しておきたいと思ったからだ。つまり、私の議論の立脚点を、まず先に明確にしておこうというわけだ。


これを書いた当時は、まだ2000字という字数制限に慣れていなくて、書き上げたのに字数オーバーでエラーを喰らい、仕方なく分割して掲載していたような次第で、1と2、3と4,6と7は元来は一つの文章だったものだ。
そのために、若干読みにくくなってしまっていることを、まずはお断りしておきたい。


また、今日だけで、この文章を含めて8本の日記となっている。
「神の姿」シリーズの昨日分もその前に収録されているので、遡ってお読みいただければ幸いでございます(タイトルは「あなたの中にあって、あなたの周りにある世界を考える、神の姿日記」となってます)。


Binder: 現代史のトラウマ(日記数:656/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    まみちゃーな
     2007/05/12 21:55
    ここからがいよいよ本番ということですね。
    楽しみに本編をお待ちしております(^_^)v

  • Comment : 2
    umasica :桜里
     2007/05/12 23:42
    まみちゃーな様

    まぁ、とりあえず、前提としての立ち位置くらいはハッキリしておこうと…
    とにかく、考えておくべきことは考えておかないと、ということですね。

    運動というのは、アジテーションとスローガンで構成されてしまうものですが、それとは別に、考えることはちゃんとやっておきたいわけです。
    運動は感情に訴えることで成立するという側面があるので、アジテーションやスローガンの価値も大切ですが、それだけでは薄っぺらになってしまいますからね。

    なんだかんだ言って『存在の耐えられない軽さ』を愛読書にあげてる人間ですから、「大行進」では満足出来ないんでしょうね、私としては。

  • Comment : 3
    しんすけ
     2007/05/13 13:20
    現代史のトラウマ、ひと通り読ませていただきました。

    昨今の状況を見ていると、国民合意というマジョリティーで憲法改悪が実現しそうで薄気味悪いものを感じます。
    シヴィリアン・コントロールの強化のもとに日本軍隊を創り国益を守らなければならないという意見も『諸君』などに見られます。
    だが、ラムズフェルドのシヴィリアン・コントロールは、限られた人間の利益を優先したようですね。

    1970年11月25日に三島由紀夫が市ヶ谷で語った「激」の一文が、蘇ってきました。

    われわれは悲しみ、怒り、ついには憤怒した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないこだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪われて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

  • Comment : 4
    s06007
    s06007さん
     2007/05/13 21:05
     桜里さんと私も似たような問題意識はあります。マジョリティ、マイノリティというより均質か個性かという問題です。
     どうも江戸時代以前はかなり場所による個性が強くあったらしいこと、明治以降の日本はその均質化に大成功を収めたらしいこと。教育力は相当なものがあったと思われます。一億総中流という言葉を聞いて9割の人間がその中にいると思っているこの事態。おかしくなりはじめたとすればゆとりの教育と個性の教育。やり方を間違えますと、あとでどんどんバラバラになるだけで全体的に生活の質の低下が起こったとき昔の日本はよかったといいだす材料にされかねない位の成功ですね。
     しかし、どれだけ元がばらばらだったのか、いやばらばらではなかったかもしれません。そこらへんの真相がわからないものかと思うのですね。
     天皇陛下に対する認識の変化もあったのではということ。鎖国要素をどう考えるかということも注意点としてあると思います。

  • Comment : 5
    こもさと
     2007/05/13 22:49
    こんばんは。一通り拝読させていただきました。
    多数決論的なマジョリティ・マイノリティではなく、勝ち組・負け組というのが格差社会と呼ばれる現代にマッチしていないでしょうか。
    日本国に対するプライドを捨てさせてしまった戦後教育、向上心を「自分らしさ」という40才から考えても遅くない言葉でかき消してしまったゆとり教育。そういう国民が大多数になってしまった中で、健全な議論は、難しいでしょうね。
    トラウマというのは、キャリアに乗らない過去の経験、という定義を聞いたことがあります。
    戦後から現在までを総括して、キャリアとして前向きに考えられる日が早く来るといいと思います。

  • Comment : 6
    umasica :桜里
     2007/05/14 08:57
    しんすけ様

    改憲をめぐる議論では、つまるところ、日本国民に対する信頼感が問われているのでしょうが、そこに自信を持てないというのが(私には)正直なところです。

    悲しい話ですが。

  • Comment : 7
    umasica :桜里
     2007/05/14 09:07
    s06007様

    とにかく、明治以前は、藩こそが国だし、士農工商は別の人間だし、って考えると、少なくとも「伝統主義者」の皆さんが主張するような形で、「日本人」というものが存在していたようには思えません。

    沖縄県は、琉球王国で外国だったし(ここで大事なのは、天皇を頂点とした太政官制の官職の体系の外部に琉球王国があったという事実です)、北海道も日本の領域ではありませんでした。
    日本地図自体が異なっていたと考えるべきでしょうね。本居宣長が若い頃に作成した日本地図を見たことがありますが、北海道は含まれていませんでした(間宮海峡確認前ですしね)。

    少なくとも、今と異なる「日本」があり、(今の「日本人」に連なる人間はいたにしても)今のような形での「日本人」を想像しては間違えるという気がしています。

  • Comment : 8
    umasica :桜里
     2007/05/14 09:25
    こもさと様

    勝ち組・負け組という問題とはズレているように思います。

    経済的な問題と無縁ではありませんが、ここでマジョリティーとマイノリティーの問題として提出しているのは、経済上の問題というよりは、文化的だったり政治的だったりする問題ですね。

    人間をカテゴライズする中で、それぞれの集団が生まれます。出身民族だったり、職業だったり(これは被差別部落の問題にもつながりますが)、性的嗜好だったり、様々な集団が存在します。
    その中で、弱者としての少数者集団となってしまう状況が存在し、その集団の構成員が多数者集団の構成員から差別的な取り扱いを受けてしまうような状態が生まれるわけです。
    そのような意味での、マジョリティーとマイノリティーの間の問題を考えてみているわけです。


    いわゆる「戦後教育」をめぐる様々な問題、「ゆとり教育」の評価をめぐる問題にも私なりの考えはありますが、それは今後の日記の中で表明出来ればと思います。


    >戦後から現在までを総括して、キャリアとして前向きに考えられる日が早く来るといいと思います。
    …というのには、まったく、同感です。

  • Comment : 9
    こもさと
     2007/05/15 20:53
    こんばんは。
    マジョリティー、マイノリティーというのは、人間をカテゴライズする中で生まれる集団の多数派と少数派という理解でよろしいのでしょうか?
    多数決原理で、いろいろな意思決定がなされていき、マイノリティーがないがしろにされていくことを問題ととらえる。
    了解です。

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