難民となることについて考えたことがあるだろうか。
映画と写真は、20世紀の戦争により、難民として日々をくぐり抜けざるを得なくなった多くの人々の姿を、記録として残した。
第一次世界大戦、ロシア革命、支那事変、第二次世界大戦…、と戦争は続き、パレスチナ難民を生み出したイスラエル建国、ヴェトナム戦争から旧ユーゴの内戦を経て、現在のイラクを逃れざるを得なくなった人々まで。住み慣れた家を捨て、故郷を後にせざるを得なかった人々の姿。
それを、まさに20世紀のメディアである映画と写真が記録し続けてきた。私たちは、文書記録と共に、映像という20世紀特有の手段によって定着された、難民という生き方を選択せざるを得なかった人々の姿に常に接してきたのだ。
かつての歴史的映像としてのみならず、日々のニュースは、私たちの食卓にまで、そのような難民の姿を送り続けているのである。
少ない荷物で、着の身着のまま、住み慣れた世界から離れ、仕事のあてもない世界へと旅立つことを迫られた人々。それを人々に迫る戦争という名の暴力。
老人も幼児も病人も、難民生活へと追い込まれるのだ。
大東亜戦争の経験は、日本国内では幸いなことに本土決戦の回避により、難民という状況を国民に強いるところまでは至らなかった。
しかし、植民地としての満洲に移住し、そこに生活の基盤を築きつつあった人々は、敗戦と共に、いわゆる「引き揚げ」体験を味わうことになったことは忘れてはならないだろう。
難民となるということは、生きるための選択でありながらも、そこには安全も生き続けることの保障も存在しない場へと追い詰められていくことを意味するものでもある。
20世紀が生み出した総力戦という戦争の型式、民族国家=国民国家という国家の形態は、それ以前の世紀の戦争に比しても、「難民」というあり方を、より大規模により深刻なものとして人々へと迫るものになったように思われる。
2007年9月6日 木曜日
我が家を離れて・・・
2カ月前、私たちはスーツケースに荷物を詰めた。私の一つきりの大きなスーツケースは6週間近くの間、寝室に置きっぱなしだった。着るものや身の回りのものをぎっしりと詰め込んだので、スーツケースを閉じるのに、お隣りの6歳の子とE.に手伝ってもらわないといけなかった。
このスーツケースに荷物を詰めるほど難しいことは、これまでほとんどやったことがない。まさに「ミッション インポッシブル」。「R君、さて今回の君の任務だが、30年近くの間に君がため込んだ品々を調べ、必要不可欠なものを決定することにある。この任務の困難な点は、選んだ品々を 1メートル×70センチ×40センチ の空間に収めねばならないところだ。このなかには、もちろん、君が今後数カ月着用することになる衣服や、写真、日記、ぬいぐるみ、CDなど、私的な記念品も含まれる」
荷物を詰めては中身を出すのを4回やった。中身を出すたびに、どうしても必要というわけじゃないものは排除すると自分に誓った。荷物を詰めなおすたびに、前よりたくさんの「がらくた」を付け加えてしまった。一月半経ったところでE.がたまりかねてやってきて、私がしょっちゅう中身を更新したくならないように、かばんをしっかり閉めてしまおうと主張した。
(バグダード・バーニング/日本語 http://www.geocities.jp/riverbendblog/ より)
イラクを離れざるを得なくなった女性、リバーベンドの手記の抜粋である。
21世紀の、この数ヶ月の出来事。
4月に、イラクを離れることを決意し、2ヶ月前にスーツケースに荷物を詰め終え、やっと2日前にシリア国境を越えられたということだ。
クルマでの移動の危険さゆえに、この2ヶ月間は動きが取れなかったということである。
スーツケースに荷物を詰めるという作業に、難民となるということの意味の一端が語られているだろう。すべての思い出からの離別である。
軽い記述のうちに、私たちはそのことを読み取らなければならないだろう。
…国境ではまわりの車に不安になった。いつ爆発するかわからない多くの車に囲まれているのが嫌だった。…
という文中の一節が、現在のイラクの状況を物語っている。
(上記引用は、MLコミュニティ「イラク戦争に関する世界情勢のニュース」による)










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