フィンランドの歴史、あるいは軍事力による防衛 (1)

1930年代から1940年代にかけての世界を振り返れば、地上は(そして海上も空中も)戦争に覆われていた、という言い方が出来るだろう。



アジアも、ヨーロッパも、戦場であった。


しかし、戦争状態には地域差がある。いつまでを平和(少なくとも戦場ではない状態)な日々と考え、いつから戦争に突入したのかについては、世界に同時性があるというわけでもない。

スペインでは、1936年に内戦状態に突入し、1939年に内戦は終了していた。1940年代を、スペインは戦争状態として経験したわけではない。中立を保ち、第二次世界大戦と呼ばれる戦争の枠外にいた(フランコによる過酷な独裁体制の下ではあったが)。



世界を覆った戦争は、フィンランドでは、1939年11月30日、国境内へのソ連軍の侵入により、後に「冬戦争」と呼ばれることになる戦争として、経験されることになった。

ソ連軍の侵略に対する、国土防衛としての戦争である。

戦争は1940年3月12日、両国間の平和条約の調印によって終了した。


1939年のフィンランドをめぐる状況として考慮しなければならないのは、ドイツとソ連が不可侵条約により、その時点では敵対関係になく、両者共にポーランドへの侵略国として第二次世界大戦が開始されていたという点であろう。

ソ連は最終的には、独ソ戦に勝利し、第二次世界大戦における連合国の一員として、戦後世界のプレイヤーとなった。しかし、第二次世界大戦の開始時においては、ナチスドイツとスターリンのソ連は、ヨーロッパの既定の国境線への侵略者として、同盟関係にあったのである。

ちなみに、スペイン内乱時には、スターリンは共和国側の支持者であり、ヒトラーはフランコの支持者として敵対関係にあった。

しかし、第二次世界大戦開始時には、両者は利益を共に分かち合う存在として、それぞれの軍隊に国境線を超えさせていたのである。



「冬戦争」をフィンランドは戦い抜いた。最終的に勝利することは出来なかったが、ソ連軍の撃退には成功したのである。平和条約の結果、国境線は、フィンランドに不利に変更されてしまいはしたが、占領は免れた。つまり、国家としての独立は維持されたのであった。


「冬戦争」のエピソードを語る上で有名なのは、フィンランド空軍の活躍であり、フィンランド空軍の航空戦力の中身である。

圧倒的なソ連空軍戦力を撃退し、地上軍の撃退にも成功したフィンランド空軍が保有していたのは、各国製の寄せ集めの機体による空軍戦力だったのである。

主力戦闘機は、オランダ製のフォッカー、イタリア製のフィアット、アメリカ製のブリュ―スター、フランス製のモランソルニエ、イギリス製のグロースター等であった。戦前からの保有計画に加え、ソ連の侵略に伴う軍事援助として入手出来たものもある。

当時は、独ソは同盟関係にあったために、イタリアからのフィアットの輸入は、ドイツの妨害に遭いスムーズなものではなかった。複雑な国際関係が窺われるエピソードであろう。

しかし、そのような機体を活用し、パイロットの技量にも支えられて、数量的に圧倒的であったソ連空軍の攻撃の撃退に成功したのであった。

フィンランド空軍の戦列には、撃墜したソ連軍機の修理再生品も加わっていたことも、有名な話だ。



「冬戦争」における、各戦闘局面でのフィンランドの「勝利」を支えていた要因としては、フィンランド軍自身の能力に加えて、ソ連軍自体の抱えていた問題(スターリンによる粛清の結果による軍の弱体化)、フィンランドの地勢(深い森と沼)と季節(フィンランドの冬である)等が、挙げられるであろう。

民族自決を達成したばかりの、若い民族国家における国家防衛意識の高さと、その目的達成を可能にした軍事指導者のリアリズムに支えられた力量。

そして弱体化したソ連軍の現実的力量と、地勢という自然的要因。

ポーランド人の民族意識や愛国心や勇気が決して低かったわけではないが、その地勢は侵略者にあまりにも有利であった。地勢という自然的要因は、時として、近代的軍隊の装備を無効化してしまうのである。日本という島国の防衛問題を考える上で、その点を見逃してはならないだろう。海上の島国への侵略攻撃には大きなリスクが伴うという点を、ということだ。




歴史をさかのぼれば、といっても20年に過ぎないのだが、フィンランドが国家としての独立を達成したのは、1917年12月6日のことであった。1809年以来、フィンランドはロシア帝国の一部であったし、それ以前はスウェーデン領内の一地方であった。フィン人が民族国家を形成した歴史は存在しないのである。

19世紀以来の民族意識の成長(日本でも「国学」が成立した時代であり、ドイツのグリムの活動等、各民族における固有の歴史や言語に支えられた民族意識の成立した時代である)と、ロシア革命によるロシア帝国の崩壊が、フィンランド国家の独立を可能にした。

しかし、ロシア帝国の後継国家としてのボルシェビキ政権もまたロシア同様に、フィンランドを自国の利害の反映する領域として理解し、共産主義者による政権樹立を画策したのである。結果としてフィンランドにおいても、赤軍と白軍に分かれての内戦が闘われることになった。

内戦は白軍の勝利に終わり、以後のフィンランドは、非共産主義政権の下に建設されていくことになる。


新興国家の大きな課題の一つは、国境線の防衛であり、国軍の創設が必要となるだろう。創設された国軍を支えたのは、ロシア帝国時代にロシア軍に参加していた軍人達と、ドイツで軍事的教練を受けていた人間達であった。第一次世界大戦の戦線の両側にフィンランド人の姿があった、ということになる。

その両者により、フィンランドの新しい軍隊は創設され、徴兵システムも整備されていくことになる。


それは、世界史的に見れば、第一次世界大戦後の出来事であり、民族自決の時代と、軍縮の時代における出来事であった。

第一次世界大戦の惨禍の経験による軍縮ムードは、新興国としてのそもそもの予算不足とあいまって、フィンランド軍に十分な軍備を用意しないまま、1920年代が過ぎていくことになる。

しかし、アジアにおける大日本帝國の存在と、ヨーロッパにおけるムソリーニのイタリアとヒトラー・ドイツの登場は、軍縮の時代の終焉を告げるものとなった。それが1930年代の世界であった。

フィンランドでもまた、軍事力の整備が課題となる時代であったが、一方で軍縮ムードの延長、第一次世界大戦の惨禍の経験がもたらす平和主義も人々の支持を集めていたのであり、大日本帝國やナチスドイツへ軍事的に対抗するという発想(フィンランドの場合は何よりもソ連の軍事力が考慮の対象であったろう)への共感を得ることは簡単なことではなかったのも事実のようである。1938年に、ミュンヘン協定はヨーロッパの人々に歓迎されたのである(政治におけるリアリズムと理想主義を考える上で、このミュンヘン協定の評価をめぐる問題は、実に教訓的なエピソードであろう)。



そのような歴史の一つの帰結として、フィンランドは「冬戦争」を経験することになったのであった。


そして1941年6月25日、ソ連空軍機によるフィンランドの諸都市への無差別爆撃により、後に「継続戦争」と呼ばれることになる新たな戦争が始まるのである。


 

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