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フィンランドの歴史、あるいは軍事力による防衛 (3)

2008/02/27 20:03

1930年代から1940年代にかけて、フィンランドは3つの戦争を闘った。


1939年11月30日、国境を越えフィンランドを侵略したのはソ連の軍隊だった。1940年3月12日、両国間の平和条約が調印され、翌3月13日に戦闘は終結した(後に「冬戦争」と呼ばれることになる戦争だ)。

開戦に先立ち、両国間では領土をめぐり外交的交渉が行われていた。ソ連の要求は、フィンランドにとり不利な内容を含むものであり、フィンランドの政治家は拒絶した。その際、フィンランドの軍事面の指導者であったマンネルへイムは、ソ連の要求に従うことを主張していた。彼の軍人としてのリアリズムは、戦争になればフィンランドに勝ち目のないことを理解していたのである。

それでも、実際に開戦となった後は、マンネルへイムは軍事指導者としての力量を発揮し、ソ連軍を撃破することは叶わないまでも、フィンランドの防衛力をソ連に認識させた上で休戦に持ち込むことに成功した。

フィンランドの独立は維持されたのである。


1941年までに、ソ連はポーランドの東半分とバルト3国を手中に収め、ドイツはポーランドの東半分に加えノルウェーからフランスに至るヨーロッパの占領者となっていた。

しかし、不可侵条約によって結ばれていた独ソは、1941年6月22日、ドイツの攻撃によって戦争状態に入った。

かつての侵略国であるソ連に対抗する後ろ盾として、相対的にドイツとの友好関係を選択していたフィンランドは、ドイツの同盟国としてソ連軍の攻撃の対象とされることになる。1941年6月25日、ソ連軍による爆撃により、フィンランド人により「継続戦争」と呼ばれることになる戦争が始まった。

フィンランド軍は当初、ドイツ軍との共同的作戦行動を取り、ソ連軍を領内から撃退し、冬戦争で失われた国土を回復すると共に、国境線の東側へも軍を進めた。しかし、その後はドイツ軍との共同作戦行動を拒絶し、戦線を膠着状態としたまま1944年を迎えることになる。

マンネルへイムは1941年12月の時点で、既にソ連との講和を考慮するように政治家に主張していたという。

1944年6月9日、ソ連軍の攻勢が始まり、フィンランド軍は「冬戦争」後の国境線まで押し戻されることになる。しかし、西部戦線での米英軍のノルマンディー上陸作戦(1944年6月6日)後の進撃は、スターリンに対独戦争での主導権の確保の重要性を思い出させ、対フィンランド戦の外交的解決による終結を選択させることになる。スターリンはフィンランドの占領よりも、ベルリンの占領を選択したわけだ。

そのような戦後の国際政治までも視野に入れた国際情勢の中で、フィンランドは、1944年9月19日、ソ連との休戦条約に調印した。


ソ連との休戦条件により、1944年9月2日、フィンランドはドイツと断交し、ドイツを敵とした新たな戦争、ラップランド戦争に突入する。既にフィンランド軍はソ連との戦争で消耗しており、ドイツ軍のフィンランド国境からの駆逐が完了するのは1945年4月25日のことになった。

これで、フィンランドの戦争は終わった。

独立は維持された。



フィンランドの戦後の地位を決定したもののひとつは、1946年7月から開始され、1947年2月10日に調印されたパリ講和条約の条文であろう。イタリア、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアの旧枢軸国と連合国間に結ばれたものだ(サンフランシスコ講和条約が、連合国と日本の間で果たしたのと同様の役割を担うものと考えればよいかも知れない)。

パリ講和条約の対象となった旧枢軸国に日本とドイツを加えた国々が、国際連合成立時の「旧敵国条項」の対象国と解釈されている(条文には明文的規定はない)。

ちなみに、ソ連は「冬戦争」時に、フィンランドへの侵略国家として認定され、国際連盟を除名されていた。そのソ連が最終的には連合国側の一員として第二次世界大戦の勝利者となり、国際連合の常任理事国になった結果として、戦後政治の主導的地位に着いたという事実を再確認しておくことは、国際政治の現実への視点を鍛える上で大事なことであろう。


パリ講和条約の結果、フィンランドは、保有可能な軍事力への大幅な制限を課せられることになる。

フィンランドの戦後史は、軍事力への制限を受け入れつつも、軍事力の保持を国家的独立の根幹として位置付け、実質的な軍備の拡充を目指すものともなっていった。



強大な軍事大国であるソ連を隣国とし、その隣国による侵略と撃退の経験は、フィンランド国民に、国家の独立の維持(それはつまり国土の平和と国民の安全の確保を意味するだろう)における軍事的手段の重要性を認識させるものとなったと考えることが出来る。

1930年代から1940年代の3つの戦争に先立つ経験として、フィンランドは独立の主導権をめぐる内戦も経験していた。その内戦時の一方の後ろ盾となっていたのが、ロシアのボルシェビキ政権であったことも、フィンランド人の歴史意識に大きな影を落としているはずである。

そのようなロシア=ソ連との歴史的経験が、戦後のフィンランド人の外交や防衛問題への対処の仕方に反映されて来るのは当然のことだろう。


もちろん、その一方で、ボルシェビキ政権成立後に、いわゆる列強諸国による干渉戦争の対象とされ多大な犠牲者を出すことを強いられた、ソ連という国家の経験についての想像力を忘れてしまっては片手落ちであろう。軍事大国としての国家形成は、自明の必要時であったはずだ。

その上に独ソ戦による犠牲者の数を考えるならば、戦後ソ連の軍事大国化も理解出来ないものではないだろうう。軍事的侵略を受けることへの強迫観念は大きなものであって当然なのである。その恐怖が軍事大国化として帰結してしまったということだ。


フィンランドの戦後史は、その強迫観念的な軍事的大国化志向を持った隣国の存在を念頭において自国の外交を構築する以外の選択肢を持ちようがなかった国民が、いかにして独立国家として自国を維持しえたかの記録となっている。戦後の日本人の想像力からは、すっぽり抜け落ちてしまっている思考の経験がそこにあるだろう。


Binder: 現代史のトラウマ(日記数:666/全体に公開)
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