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フィンランドの歴史 あるいは軍事力による防衛 (5)

2008/03/06 20:40

フィンランドの「戦後」と日本の「戦後」を、少しだけ、考えたいと思う。


テキストは、斎藤正躬『独立への苦悶−フィンランドの歴史−』(岩波新書 昭和26年)。当時の定価が100円、古書店での値段が300円だった。


昭和26年刊行ということは、つまり「戦後」6年という時点での出版物ということになる。1951年ということだ。

1945年10月に国際連合が発足し、戦後の平和で安定した国際関係の枠組みを規定することになった、と思われた。

「と思われた」が、それは1946年3月の、チャーチルによる「鉄のカーテン」演説で明らかになったように、米ソ対立に発する「冷戦」時代の幕開けでもあった。

この間、大日本帝國はポツダム宣言の規定により完全に武装解除され、その上で新生国家としての日本国は、自身の「日本国憲法」を通して非武装国家としての立国を宣言している。それは、大日本帝國の交戦国としての米国、戦後の占領国としての米国の意向であったと共に、戦争の惨禍にうんざりした日本国民自身の希望するところでもあった。

しかし、「冷戦」の進展は、1950年6月に至り、「朝鮮戦争」という名の「熱い」戦争と化してしまった。

その結果、米国の意向は、非武装国家としての日本の維持から、再武装要求へと変化していく。

1950年8月には、日本は「警察予備隊」という名の下に、再軍備を開始する。

そして、1956年(昭和26年)とは、サンフランシスコ講和条約による日本の独立の回復の時点であると同時に、「日米安全保障条約」調印に始まる、戦後の米国の国益に従属する国家としての日本の出発点でもあった。


そのような年に書かれたのが、『独立への苦悶』ということになる。


さて、まず「まえがき」をご紹介しておきたい。



 戦後のアジアには、「独立」を旗印にした、民族主義の嵐が、際限もなく吹き荒れている。それは、インドを、パキスタンを、フィリピンを独立させ、中國の革命を呼び、イランに、インドシナに、マライに、熾烈な旧支配者への反抗を生んでいる。長らく眠っていたアジアは、いまこの夜明けを迎えて、ようやく目をさましたのだ。

 十九世紀のなかばから、今世紀のはじめにかけて、ヨーロッパは、ちょうどこれと同じような、ひとつの嵐の時代を持った。嵐はいくつかの「独立」を生み、「革命」を生みながら、大陸を縦横に吹き荒れた。二十世紀のヨーロッパは、この嵐の中から生まれた新しい社会である。

 ふたつの嵐の性格には、西と東の差があろうし、また五十年という時のずれが、つくりだす違いもあるにちがいない。だが、嵐は嵐であり、その内容は決してふたつのものではない。

 嵐は、雪と氷に閉ざされた極北の一小國、フィンランドにも烈しく吹き荒れた。いや、われわれ東の國の人間には、平素はほとんど知られていないこの國の、静かな森と湖のほとりに描かれた「独立の歴史」は、ヨーロッパ史の中でも、もっとも典型的な「民族独立史」の一巻である。

 「独立」はどのようにして芽生えたか? どのように闘われたか? そしてどんな方向に進んだか? 混迷するアジアにとって、フィンランドの歴史は、一本のたいまつとなり、暗くきびしいその行手を、明るくてらしてくれる。

 この本は、そうした考えの故に書かれた。期間にしたらわずか一ヵ月、たった二回しかフィンランドを訪れなかった私が、この國の歴史をあやまりなく傅えることは、もちろん不可能なことだ。またこの國が、位置からいっても、大きさからいっても、ほとんど世界の関心をひいていないために、手に入る資料は極めて少ない。このことも私の仕事をむずかしくした。だから私は、はじめからこの本が完全なものとは思わない。

 にもかかわらず、私がこの本を書いた理由は、今日のアジアにたいして、フィンランドは、かならず何かを教えてくれると思うからだ。

 フィンランドの中で、いちばんわれわれの心をひく部分は、この國がロシア帝國の治下に入ってから、独立を完成するまでの、烈しい「抵抗の時代」であろう。この本は、もちろんその時代を中心にしているのだが、読者の理解を深めるため、その前後の時代にも触れて、一應通史の形をとった。もし退屈したら、その前後、特に第二章の「スエーデン時代」は、飛ばしてもらっても結構だと思う。

     一九五一年六月

                                   斎藤正躬



斎藤正躬(さいとう まさみ)は、1911年生まれのジャーナリスト。1941年から46年まで、同盟通信社欧州特派員として、ストックホルムに駐在し、その間二回フィンランドを旅行。北欧文化協会会員。著書として『北欧通信』『北ヨーロッパの國民』があるという(奥付による)。


1951年という時代は、まだ多くの地域が西欧諸国の植民地であったことが、斎藤の記述から、あらためて理解出来る。アフリカの諸国家の「独立」は、そのほとんどが1960年代以降のことである。

そしてその50年前には、ヨーロッパにおいて、新たな国家の独立が目指されていたのだという歴史的事実も、よく理解出来るだろう。

1930年代の終わりから1945年に至るヨーロッパでの戦争は、そのような新たな独立国家を含む主権国家に対する軍事大国の侵略として開始されたということになる。

1930年代の初めから1945年に至る、大日本帝國を中心としたアジアの戦争は、別の相を持っている。大日本帝國の戦争は、近代国家としての統一過程にある中国、国際連盟に加盟した主権国家としての中国の国土に対する侵略であったと同時に、東南アジアを植民地化した宗主国への戦争、植民地再分割のための戦争でもあった。

ヨーロッパにおける軍事大国が、ナチスドイツとソ連であり、極東にける軍事大国は大日本帝國であった。

アジアにおける植民地の独立をもたらしたのは、大日本帝國の勝利と同時に敗北であったことには留意しておきたい。大日本帝國の敗北により、アジア諸国は、大日本帝國の利害を離れた独立国として存在することが可能になったのである。大日本帝國の勝利がもたらしたものは、「大東亜共栄圏」という名の、大日本帝國のための利益共同体に過ぎなかったと、私は理解している。


そのような意味で、あの時代の戦争の被侵略国としてのフィンランドの経験は、戦後の日本国民の想像力の外部にあったであろうことは確かなことだろう。

同時に、アジアの経験もまた、日本人の想像力の外部にあったのではないか、ということも考える。

57年後の今日にも、その指摘が当てはまりそうなところは、日本国民の一人として、いささか残念な思いを抱かざるを得ない感がある。

民族の独立とは、国家の独立とはどのような事態であるのか、ということが日本人の想像力の外部にあるのではないか、そのように思わざるを得ない。


古い岩波新書の「まえがき」を読み、そのようなことを思う。


Binder: 現代史のトラウマ(日記数:666/全体に公開)
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