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8月15日、天皇はラジオから語りかけた

2008/08/16 21:20

昭和二十年八月十五日には、前日付けのポツダム宣言の受諾を伝える天皇の言葉が、天皇自身の肉声の録音放送という前代未聞の方法により、ラジオを通じて、日本国民(大日本帝國臣民)のもとへと届けられた。

その出来事が、後に8月15日が「終戦記念日」として、日本人にとっての特別な日となる基となった。


…ということが確かなことである一方で、しかし、各戦域における実質的な戦闘行為の終了や、国家間における戦争状態の終結が、その日付をもって果たされたわけでもない。

昨日の日記ではそのことを取り上げたわけだ。




いわゆる「玉音放送」の日付をもって、「終戦記念日」とすることは、天皇という存在とあの戦争の関係性、大日本帝國という国家と天皇の関係性、天皇という存在の国民(臣民)との関係性等々、かつての「国体」観念を無言の前提として、この国における歴史的出来事を考えることを意味するものだ。

念のために申し添えておくが、ここにあるのは、いわゆる「天皇の戦争責任」というフレーズとは別の問題である。

戦後の日々の中で、回顧的に戦争とその終結を語る時、日本人の中で8月15日の「玉音放送」体験がクローズアップされていった事実の中に、国民(旧・臣民)にとっての天皇の位置が見えて来るだろう、ということだ。


昨日ご紹介した『東アジアの終戦記念日』の中に、作家の正宗白鳥の次の言葉がある。


 数ヶ月を隔てた過去の日に於ける感想の記録は、八月十五日当日の実感とはおのづから異なつてゐるであらう。この頃頻繁にあらはれる知名人の回想録、過去の感想談も、眉に唾をつけて見るべきであり聞くべきである。

          (昭和二十年十二月二十三日)


正宗白鳥の指摘には耳を傾けておくべきだろう。現在の、大きく隔てられた歴史の時間の中にいる私達としては、あの戦争をめぐる過去の記録を読み解くに当たって、特に留意すべき点の一つだと思われる。


つまり、昭和20年8月15日のそれぞれの経験とは別に、戦後の日々の中で、8月15日が日本人の共有する記憶を刻印された特別の日付となっていったということだ。

歴史とは、出来事の事実関係の問題であると同時に、選択的に共有される記憶により形成されるものでもある。


「玉音放送」という事実としての出来事が、戦後の日本人の中で、あの戦争の終わり=「終戦」そのものを体現する出来事として再解釈され流通していった。

そのこと自体の背後に、あの戦争と天皇の存在の不可分な関係が、そのようには意識されることなく示されているのではないだろうか。

これは現実の政治的軍事的過程における天皇の果たした役割とは、まったく別の問題だ。

そこに、国民自身にとっての天皇の意味付けを読み取ることが出来るだろう、ということなのだ。




昨日の日記で取り上げた問題を思い起こしてみよう。

あの戦争の交戦国では、8月15日という日付は、意味ある特別な日付として取り扱われてはいない。

あの戦争を語る上で、8月15日という日付が特別に意味を持つのは、この日本(あるいは大日本帝國)での話だからこそなのである。


朝鮮半島においての8月15日の意味合いは、大日本帝國による植民地であった歴史と不可分ではないだろう。

同じ大日本帝國の植民地であった台湾における取り扱いが異なるのは、植民地化当時の台湾は独立国家ではなく、多様な民族の居住地であり、しかも居住民の大陸国家への帰属意識も大きなものではなかったという歴史的経緯の違いに起因するものだろう。

朝鮮半島においては、大日本帝國は、民族意識に支えられた独立国家を植民地化したのである。


植民地からの解放の第一日としての8月15日という記憶の仕方を選択したのが、朝鮮半島の人々であったとすれば、天皇の「玉音放送」による戦争の終結という記憶のあり方を選択したのが日本の国民であった、ということになるだろう。

天皇と日本国民を不可分の関係において見るという、日本国民の考え方をそこに見出すことが出来る、というわけだ。



そういう意味で、「玉音放送」というもの自体が画期的な意味を持つものでもあった。

それまでの日本人にとっての天皇の存在は、支配の重層的で間接的な関係の究極の向こうの遠くの頂上に位置付けられるものであった。

それが、ラジオを通しての直接的な関係として経験されたのが、「玉音放送」であったわけだ。

そう考えてみれば、「玉音放送」とは、日本国民の天皇体験の画期であったと言うことも出来るだろう。




昨日の日記に頂いたコメントへのお答えにも書いた話ではあるが、昭和14年以来、8月15日は「戦没英霊盂蘭盆会法要」が全国にラジオ中継される日とされていた。

8月15日は、「お盆」という、日本文化の中での死者追憶の時期と重なる日付でもある。


様々な角度から論じることが出来る問題として8月15日という日付を取り上げてみること。

私達の共有物としての歴史理解に必要なのは、排他的な正しさの追及ではなく、他者の経験への想像力ではないかと考えるところに、本日の日記の出発点もある。


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Binder: 現代史のトラウマ(日記数:651/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    たぬき男いたち男
     2008/08/17 01:28
    どうか、「私」を嫌わないで貰いたい。その為なら恥を忍ぼう。

    「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって・・・」の気持ち。

    「私」は調子に乗り易い人間だから、「甘言」には非常に弱い。

    「・・・もって、平安の世を開かんと欲す」だったっけか・・?

  • Comment : 2
    たぬき男いたち男
     2008/08/17 01:35
    あぁ若い時には、なんともなくスラスラ云えた事なんだが・・。

  • Comment : 3
    たぬき男いたち男
     2008/08/17 01:48
    解った。「・・・以って万世の為に大平の世を開かむと欲す。」

  • Comment : 4
    umasica :桜里
     2008/08/17 09:42
    たぬき男いたち男様


    >「私」は調子に乗り易い人間だから…

    東條英機だな。

    敗戦に至る開戦の責任者。

    『戦陣訓』を作りながら、自分は自決も満足に出来ない。

    恥を知らぬとしか思えない男だ。

  • Comment : 5
    たぬき男いたち男
     2008/08/18 15:32
    えぇっ!!この「私」に自決しろってぇの? そりゃあないよ。

    アンマリだ。「東條秀毅」にしようと云うのは筋違いも云い所。

    「私」がなんの「責任者」だと云うのかね。「私」は知らんよ。 

  • Comment : 6
    たぬき男いたち男
     2008/08/18 15:42
    「恥は掻き捨て!」等とも云うな。「私の恥」は「神の恥」だ。

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