不都合な戦争の都合という問題 3
久しぶりの日曜の夜、というのも変な言い方だが、実感ではある。
やたら暑い(「熱い」と書きたいくらいに暑い)夏だったが、涼しい日が続いている。
一週間前と比べれば、10度以上、気温が低いわけだ。暑さに弱い人間としては、歓迎ではある。
ただしこれが続いてしまうと、農産物には悪い影響が出そうだ。暑さに弱い人間の都合ばかり優先するわけにもいかない。まぁ、天候を思い通りにすることは出来ないので、私の責任の問題ではないけれど。
せっかくの涼しい日曜の夜には、戦争の話題は離れたい。
と、思うそばから、戦争は個人の都合には関係なく起きるし、涼しい夜にも爆弾は落ちて来るんだぜ、という声が聞こえて来る。
それは正しいが、戦時下ではない夏の夜に、久しぶりの涼しさをゆっくり味わっておくのも大事なことではないか、という声もまた私のものだ。
もっとも、戦時下であることと、空襲の脅威に曝されることは、イコールではない。
二つの世界大戦を通じて、ニューヨークにもワシントンにも、敵国の爆撃機は飛んでは来なかった。
大東亜戦争(「支那事変」を含む)を振り返っても、最初から東京が空襲下にあったわけでもない。
昭和12年に始まる、「支那事変」と呼ばれた中国大陸における中華民国の正規軍との戦闘に際しては、爆撃機を使用し中国の都市無差別爆撃を行っていたのは、大日本帝國の側であった。
大日本帝国の都合により継続されてしまった軍事行動の結果としての、都市無差別爆撃の犠牲となったのは、中国の一般市民であった。犠牲者の都合など、まったく顧慮されることはないのが、戦争(それを事変と呼ぼうが)という出来事における犠牲者にとっての不都合なのである。
ゆっくり食事をすることすら不可能になるし、運が悪ければ死ぬしかない。
しかし、その時点で、戦争の犠牲者としての自らの姿を、どれだけの大日本帝國臣民(あるいは国民)が想像していただろうか? 焼夷弾で焼き尽くされる、大日本帝國の都市の姿を。燃え尽きる自らの身体を。
その時点で、既に、中国の都市には、大日本帝國の陸海軍航空隊所属の爆撃機による無差別爆撃が展開されていたのである。
そこには、都市無差別爆撃の犠牲者としての、中国の市民が多数存在していたのだ。都市無差別爆撃の被害者として死に、都市無差別爆撃の被害者として家族を失い、都市無差別爆撃の被害者として住む家を失い、都市無差別爆撃の犠牲者としてくつろぎのひと時を奪われる。
大日本帝國では、既に総力戦が叫ばれ、「国家総動員法」が策定されていったわけだ。つまり、ここでは、大日本帝國は総動員体制にあるのであり、構図としては、国民すべてが中華民国の都市住民に敵対していたことになる。
個人の思いがどうであろうと、ここでは日本国民は、中華民国国民への都市無差別爆撃に関して、加害者の立場に置かれてしまうのだ。
空襲の被害に遭うことの悲惨さは、戦後日本社会において、いわば常識であるが如く語られて来た。
しかし、対米英開戦以前、中国での都市無差別爆撃を続けていた時点に、どれだけの日本人が、空襲の被害に遭うことの悲惨さを常識として考えていただろうか。
B−29による都市無差別爆撃による被害体験を抜きに、日本社会において、空襲の被害に遭うことの悲惨さが常識となることはなかっただろう。
もちろん、都市無差別爆撃の実施は、敵国に対して与えるダメージの大きさの想定に基づくものではある。爆撃の結果が悲惨であると想定されるからこそ、都市無差別爆撃が作戦計画に取り入れられるわけでもある。
しかし、つまるところ、そこにあるのは参謀本部や軍令部の視点、爆撃機基地の作戦司令室の視点、爆撃機搭乗員の視点に過ぎないのである。
あくまでも爆撃の惨禍は他人事なのだ。
爆弾の下を逃げまわる、いや爆弾の下を逃げまわることも出来なくなった時に、やっと爆撃の惨禍を自分のこととして、人は理解するようになるのである。
そして被害の体験を人は忘れないものだ。
個人的に、それまで日本人と何の関係もなく生きて来た人間が、中華民国国民であるという理由で殺されなければならない。これは、中華民国国民として、被害者となるという体験なのだ。
殺す側からも、殺される側からも、個人の都合が奪われる。それが戦争という事態である。
私とあなたの関係は蒸発し、我々と奴等の関係だけが残される。
戦後生まれの日本人が、あの戦争の責任を問われることは、確かに理不尽である。
そこに、個人としての責任など存在しようがない、だろう。
しかし、戦争とは、個人であることを奪われる事態として経験されるものでもある。
我々と奴等。その関係性の中での被害体験への想像力は、持っているに越したことはない、と思う。個人として殺されたわけではない、個人として被害に遭ったわけではない人々への想像力。戦時下での被害体験のあり方に対する想像力は、努力しても持つに値すると思う(もちろん、殺す側も個人の資格で殺すわけではないが、殺される側からは加害者として位置付けられてしまうのである)。
そのような想像力を抜きに「平和を祈念する」ことには、私は虚しさを感じてしまうわけだ。
そして、そのような想像力を持ってしまえば、戦後生まれの日本人からも、あの戦争への責任の感覚が生まれるようにも思う。
しかし責任をどのように取れるのか?
想像力を保ち続けること、という責任の取り方を考えてしまうことに問題はあるだろうか?
日曜の夜、都合のよい結論が出るわけでもない。
考え続けることしか出来ない。しかし考え続けることだけは出来る。
読み込み中...