umasica :桜里さんのマイページ

21世紀の最初の9月11日

2008/09/11 21:51

2001年の9月11日は、東京人にとっては、日中の台風の通過が、せいぜい共通の記憶として残るだろうにしても、7年も過ぎれば台風のことなど忘れ去られ、特に記憶すべきこともない、ありふれた9月の一日として思い出すことすらされない日付となっていただろう。



台風のニュースも見終え、久しぶりに早寝をしようと思っていたところへ、階下から声がかかった。

呼ばれて階段を降り、指差された先のテレビを見る。

ニューヨークの高層ビルの中ほどから大量の煙が上がっていた。

飛行機が衝突したのだと、私を呼んだ、娘の母が言う。


なんてことだと思いながら画面に見入っていると、何と2機目が隣に並んだビルに激突した。「激突」というか、吸い込まれ、激しい炎と煙へと変った。


事故ではないぞ、ということは、その時点で推測出来た。

やがて、他にもハイジャックされた旅客機の存在が明らかとなり、ペンタゴンも標的とされ、別の一機の墜落も確認されていく。

もっとも、7年前の記憶となってしまった出来事の順番は定かではないが、とにかく、深夜まで、テレビの前から離れられなくなってしまったことを覚えている。




当時、私は休職し、寝たきり状態となった母の介護を続けていた。一日中、家で過ごしていたのである。

台風も、家の中で、外を過ぎていく出来事として経験したに過ぎない。

その日の台風を覚えているのは、母の介護の日々、母の最後の日々を、その日の母の姿を撮影することで、家にこもり続けた一日のアクセントとしていたからだ。同じカメラで、台風の過ぎ行く窓の外を撮影し、そして炎上するツインタワーのテレビ画面も私は撮影していた。

母の死後、残された写真を整理している中で、同時多発テロの日、東京は台風に襲われていたことは再発見されたのである。



時期的には介護保険制度の発足と重なり、身体の介護に関しては、訪問看護師と、ヘルパーさんの力を十分に借りることが出来た。

しかし、衰えゆく家族の傍で過ごす毎日は、思うほど気楽なものではなかった。

まぁ、そんな一日の重苦しさもある時間の流れの中で、死にゆく老人と介護する家族という関係を、写真家(?)とモデル(…?)の関係へと変換させる時間を持てたのは幸せなことだったと思う。

煮詰まった日常の時間が、その時だけ別の時空へと変化する。母に寄り添う猫の姿。母の横で漫画を読みふける、まだ小学生の娘の姿。カメラのファインダー越しにそこへ向けられる私の視線も、日常のものではなくなるのだ。


そんな日々の中に、同時多発テロが飛び込んで来たのだった。


一日中、家にいるわけだ。衛星放送で、CNN、BBC、ABC、CBS等の映像が視聴出来るようになった時代の話だ。

母の介護をしながら、毎日、テレビ画面に見入っていたのを思い出す。





ブッシュ政権は、「テロとの闘い」を名目として、アフガニスタンへの攻撃を選択する。戦争では、テロリストではない多くのアフガニスタン国民が犠牲となった。

現代の軍隊の装備としては、実に不十分なものしか持たなかったタリバンの兵士に対し、最先端兵器を駆使した米軍の攻撃は、確かに効果を挙げた。

アフガニスタン内のタリバンへの対抗勢力の軍事力が、地上戦を制した。

そして、アフガニスタンは、タリバンの支配から「解放」されることになった。


アフガニスタンに対する攻撃の名目は、同時多発テロの実行グループとしてのアルカイダの存在だった。しかし、対アフガン戦争は、アルカイダを消滅させるような成果には結びつかず、攻撃の目的が達成されたわけではなかった。


ブッシュ政権は、アフガニスタンの復興という課題には興味を示さず、新たなる敵としてイラクを指名した。


国内にアルカイダは存在せず、大量破壊兵器も保有していないイラクが、アルカイダの存在と大量破壊兵器の保有を理由に、米軍の攻撃の対象となったのである。

最先端兵器を装備した米軍は、イラク軍との戦闘でも、圧倒的に優位に立ち、イラク正規軍を崩壊させ、イラク政府を消滅させた。

しかし、最先端兵器を装備した少数兵力の使用による戦闘の勝利には成功したが、大量の兵力を必要とする軍事的占領と治安の維持への想像力を欠いたために、戦後イラク統治には失敗してしまった。


第二次世界大戦後の日本占領が、戦後イラク統治のモデルとなるはずだった。しかし、戦後日本には、戦前から継承された正統性に基づく政権が存在し、行政機構が存在し、警察組織が存在し、指揮系統に基づき武装解除する軍隊が存在した。イラクにはそのすべてがなかった。

大日本帝國政府はポツダム宣言を受諾し、大日本帝国の軍隊は連合軍に対し降伏したのである。しかし、イラクでは、公式には、誰も降伏していないのだ。


そのイラクの地に、小兵力の米軍は、治安維持能力を欠いた存在でしかなかった。


宗派や民族を異にする人間によって構成されていた国家であったイラクには、国民の統合の基盤となるはずのイラク人としての共通したアイデンティティーが存在していたわけではない。

国家による権力的な統治があって初めて、イラク国民の存在があったわけだ。

そのイラクから、統一的な権力を消失させてしまったのが、ブッシュ政権による戦争の「成果」であった。



国民としての統合の枠組みは失われ、それぞれの宗派的・民族的アイデンティティーと様々な利害関係の上に国内対立は激化し、同時に占領軍としての米軍へのゲリラ攻撃も恒常化してしまった。

最新鋭を誇る米軍の装備は、ゲリラ戦には無力である。



軍需産業は確かに潤いはしただろうが、一方で最新鋭兵器の無力振りをもさらけ出してしまった。

誰が、利益を得たのだろうか?

利益を得た者など存在するのだろうか?

アメリカの威信など、消えてしまった。


何も達成されず、イラク国民は死の恐怖にさらされ続け、米軍兵士は市民による攻撃の恐怖にさらされ続けている。そして、殺し殺され続けているのである。


アフガニスタンでは、タリバンは勢力を盛り返し、あの戦争の成果など、誰にとっても存在しないだろう。




アフガン攻撃に至る日々(母は存命であった)、イラク攻撃に至る日々(これは母の死後の出来事だ)、このような現状は、既に多くの人々によって予測されていたことだ。

私ですら予測出来たのだから、決して難しい話ではなかったはずだ。

普通なら、予測が当たることは「うれしい」出来事の一つだろう。しかし、この「予測通り」に実現されてしまった現状を見るのは、実につらいことである。




21世紀の最初の7年の人類の経験がこんなものとなってしまったことは残念な話だ。別に多くを期待していたわけではないが、ここまで愚かさの中に埋もれた7年となることを望んだこともない。


そんなことを思う、2008年9月11日の夜である。





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