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ゲルニカ・重慶・東京  世界の被災都市は空襲をどう伝えてきたのか

2008/10/12 15:16

昨日は、「東京大空襲・戦災資料センター 戦争災害研究室」主催の「無差別爆撃国際シンポジウム」に参加して来た。


そのタイトルが、「世界の被災都市は空襲をどう伝えてきたのか − ゲルニカ・重慶・東京の博物館における展示/記憶継承活動の現在」であった。



前回のシンポジウムは、「無差別爆撃の源流 ― ゲルニカ・中国都市爆撃を検証する」というタイトルで開催されたが(→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/45744/user_id/316274)、その延長として考えられるだろう。





前回のシンポジウムでは、国内の研究者により、ファシスト空軍によるゲルニカ爆撃、日本軍航空隊による重慶爆撃に関して、現地踏査にも基づく発表がされていた。

同時に、「無差別爆撃」という軍事行動のルーツを、ゲルニカ・重慶に先立つ、スペイン軍による植民地での作戦行動に求めるという視点が示され、無差別爆撃と植民地主義の関係性が、論点としてクローズアップされる機会でもあった。



今回のシンポジウムは、ゲルニカ平和博物館館長のイラッチェ・モモイショ(以下、敬称略)、重慶市三峡博物館副研究員の李金栄、そして東京大空種・戦災資料センター主任研究員の山辺昌彦による報告と、沖縄大学客員教授(というより、日本における無差別爆撃研究のパイオニア)の前田哲男のコメント、そして質疑応答という構成で展開された。

東京大空襲・戦災資料センター館長の早乙女勝元による開会の挨拶で始まり、一橋大学教授であり戦災資料研究室室長でもある吉田裕による司会により、長時間のシンポジウムが進行さるという、10月の午後となった。


今回は、ゲルニカ、重慶、それぞれ現地の戦争災害展示博物館関係者の参加を得、その報告を直接聞くという、またとない機会となったわけだ。

ただ、一方で、英語(モモイショ報告)、中国語(李金栄報告)という、「言葉の壁」という障害の存在もあったことは確かである。報告内容は、配布された翻訳に沿ったものであったにしても、同時通訳のない状態での報告には、若干のまだるっこしさを感じさせられてしまったことも、正直なところだ(しかし、同時通訳の予算を考えれば、理解出来るし、内容自体は事前配布された翻訳文によって把握可能である)。




あらためて、感じさせられたのは、ゲルニカ及び重慶の、それぞれの国内における認知の問題である。

フランコ体制下では、ゲルニカに対する無差別爆撃は存在しないものであったし、共産党支配の中国においても、国民党の戦時首都であった重慶における戦争被害は研究の対象ではなかったのである。

手元のメモによれば、ゲルニカでの無差別爆撃被害の検証が開始されたのが1980年代、重慶でのそれは1985年ということだ。爆撃被害から40〜50年以上経過してからの出来事なのである。


どちらも難民の流入した中での、そもそもがその時点での都市人口自体が確定困難な状況での出来事であった。

ゲルニカは数時間の出来事、重慶は数年に渡る爆撃被害という違いもあるが、ゲルニカは空襲直後にフランコ軍の占領下となり都市閉鎖、重慶は国民政府の戦時首都として、その被害の過小発表という取り扱いを受けたことによる、被害者数確定の困難状況が被害の実相を覆い隠して来たことも報告されていた。


ここには、都市市民の被害という現実と、国家レベルの政治の乖離という問題も見えるだろう。そして、その点においては、東京大空襲被害者もまた、同様な状況にあると考えられる。



また、共通の課題として大きく浮上したのが、若い世代への体験の継承の問題であった。

「無差別爆撃」という軍事行動のあり方は、決して過去の話なのではない。

精密誘導兵器の導入が喧伝される中で、たとえばクラスター爆弾の使用は、明らかに非武装の非戦闘員たる都市住民の被害を生み出しているのである。

そのような世界の現状と歴史的経験を、想像力をもって結びつける能力の必要性は明らかだろう。




質疑応答の中で浮上した問題として、ゲルニカにも重慶にも、東京大空襲の展示、あるいは相互の空襲被害の展示がないという現状があった。

無差別爆撃という軍事行動を、そしてそれによる被害を、個々に独立したものとして捉えるのではなく、国際的な視野と歴史の枠組みの中で把握し直すこともまた、現在の課題として考えられるべきだろう(もちろん展示スペースの都合という制約もあるわけだが)。


「無差別爆撃」という軍事行動自体が、ニュルンベルク裁判及び東京裁判の過程で裁かれることはなかった。戦勝国もまた「無差別爆撃」の実行者であったからだ。

しかし、それは、「無差別爆撃」という軍事行動を、「戦争犯罪」から除外出来るという意味で考えられるべき問題ではないだろう。

20世紀は、そしてどうやら21世紀も、「無差別爆撃」という発想から逃れることが出来なかったように見える。


そのような意味で、日本は、無差別爆撃の歴史の初期における組織的実行者であると同時に、徹底的な無差別爆撃の被害者であった歴史を持つ。その二つの経験・視点に加え、国際的な視野・歴史的展望の下で「無差別爆撃」を考えること。

今回のシンポジウムが残した課題、と言うことが出来るだろうか?



  (本来なら昨日に書くべき内容だったのだが、さすがに疲れ果てていた)




Binder: 現代史のトラウマ(日記数:456/全体に公開)
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最新コメント

  • Comment : 1
    Mr.Dark
    Mr.Darkさん
     2008/10/13 19:03
    大東亜戦争において、アメリカ軍は対日戦略爆撃用に開発した新型兵器「焼夷弾」の有効性を確かめるために、演習場に日本家屋を再現した建造物を多数こしらえて、その上から爆撃するという実験を繰り返し行ったそうですね。
    「目標物」として建造された木造家屋の中には畳が敷かれ、ちゃぶ台まで用意されている、というほどの念の入れようだったそうです。攻撃対象を「非戦闘員」にピンポイントしていたのは明白。
    士官学校などで、戦時国際法は嫌というほど勉強させられていたであろう(米軍)将校たちは、どのような思いで作戦に臨んだのでしょうね。

  • Comment : 2
    umasica :桜里
     2008/10/14 13:01
    Mr.Dark 様


    >演習場に日本家屋を再現した建造物を…


    その日本家屋の設計をしたのが、アントニン・レーモンド。
    日本のモダニズム建築のルーツみたいな人ですね。
    日本に対する愛着と、軍国日本に対する嫌悪。
    心の内を想像すると…、複雑なものがあったでしょうね。


    丁度、前回のシンポジウムの報告者であった荒井信一氏が、
    岩波新書から『空爆の歴史』というのをこの夏に出していて、
    そこで、アメリカ軍内の議論なども紹介しています。


    このテーマ、もう少し続けて考えたいと思っています。

  • Comment : 3
    Mr.Dark
    Mr.Darkさん
     2008/10/14 19:09
    おお、楽しみです。

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