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無差別爆撃の論理 2

2008/10/17 22:27

「無差別爆撃」という問題には、当然のことながら、様々な切り口が存在するだろう。

 

 
 

…という言葉から、昨日はスタートしたわけだが、今日は、戦争における民間人への攻撃という側面から問題を見ていこう。

 
 

荒井信一 『空爆の歴史』(岩波新書 2008) には、


 20世紀の戦争は、国のすべてをあげた総力戦であった。戦争の死者のうち民間人の割合は第一次世界大戦では6%であったが、第二次大戦までに60%に達した。飛行機と空爆テクノロジーの発達により、戦線から遠く離れた後方でも国民の生活は安全ではなくなった。


という記述がある。

 

総力戦としての近代戦争が、その姿を現したのは第一次世界大戦であったが、それでも民間人の死者が戦争の死者の6%にとどまっていた、というその背景は、昨日も書いたように、航空機そのものの誕生から間もない時期であったことに求められるだろう。航空機は、大量の爆弾を運ぶにはまだ小さく、戦線から遠く離れた後方を攻撃するに足る航続距離も持ち合わせていなかった。

航空機用の爆弾の開発も、これからの話であるし、もちろん精度の高い爆撃用の照準装置の開発は、もっと後の話である。

しかし、同時に、対空兵器の開発も、これからの話であるわけで、地上の人間にとって、航空機の存在が脅威であったことも確かなのである。

 

6%という、民間人の死者をめぐる数値が、60%へと大幅な上昇を遂げる背景には、大型航空機の開発(爆弾搭載量の増大と共に、遠方の都市への爆撃に充分な航続距離も確保される)と、都市攻撃に効果的な爆弾(焼夷弾)の開発があった、ということになる。

 
 
 

ところで、昨年の、「東京大空襲・戦災資料センター 戦争被害研究室」主催のシンポジウム、「無差別爆撃の源流 ― ゲルニカ・中国都市爆撃を検証する」では、非武装の民間人への航空機による攻撃のルーツは、スペイン軍による1920年代の植民地モロッコでの軍事行動であったとする、深澤安博(以下、文中敬称略)による報告があった。

 (→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/45744/user_id/316274

 

今回の、荒井の著書では、より詳細に、


 トルコ領リビア(トリポリ、キレナイカ)の植民地化をめざしたイタリア・トルコ戦争(1911−12年)では開戦(9月23日)とともにイタリア軍が、リビアに9機の飛行機と2機の飛行船を派遣した。イタリア機は10月26日には敵陣に手榴弾を投下した。飛行機による最初の空爆である。その後イタリア機はトルコ・アラブの拠点を空から攻撃し、総計330発の爆弾を投下した。空履きの成果についてイタリア軍参謀本部は「爆撃はアラブに対して驚異的な心理的効果をあげた」(11月6日)と報告している。

 オスマン帝国の旧領の争奪からはじまったバルカン戦争(一次・1912年、二次・1913年)ではブルガリアが22ポンド(約10キロ)爆弾を開発し、本格的な都市爆撃を行った。飛行機の軍事使用が成果をあげたことに各国が注目した。フランスとスペインは1913年から北アフリカの植民地戦争に飛行機を導入した。

 ヨーロッパの帝国が植民地戦争や原住民の反乱を鎮圧するために飛行機を使ったのは偶然ではなかった。帝国主義の時代には、19世紀からの第二次産業革命の結果、重工業(特に機械・化学・電気工業)が発達し、武器に応用され、軍事技術の面で非ヨーロッパ世界との格差が決定的に拡大した。ヨーロッパ中心的な人種主義的世界観が普及したのもこの時代であった。

 その結果生まれた軍事テクノロジーの格差を前提にすれば、植民地での使用がもっとも有効とされ、空爆の軍事的価値が大きく評価された。「未開」側の対空戦力がゼロに近いことを考えれば、攻撃側の人命節約効果も無視できない要素であった。1919年、イギリス空軍参謀長ヒュー・トレンチャードは「植民地の法と秩序は、在来の守備隊よりも機動力の優れた空軍によるほうが安上がりで効果的に維持できる」(大意)と述べて、植民地での使用の経済的効果にも注目した。


という歴史的経緯が説明されていた。

 

その上に、第一次世界大戦後のスペイン軍による、植民地モロッコでの航空機を活用した軍事行動(リーフ戦争)が存在するのである。

そこでは非武装の民間人に対する爆撃が恒常化する。しかも毒ガスの躊躇なき使用が特徴的であることは、既に深澤の報告にあった通りである。

  

荒井の著書からの引用を続けよう。


 「組織的な空爆の成果」としてもっとも深刻なのが、1925年の無防備都市シェシャウェン(シャウエン)空襲である。武器をもつ男子が戦場に出撃していた、この町の空爆では、まったく無防備の女性と子どもが大量に死傷した。モロッコの歴史家ケンビブは、リーフ戦争中の毒ガス弾投下はリーフ人に対する「ゲルニカ」だったと述べたが、そのうえで「実際にはリーフ戦争中の生存破壊戦略の結果は量的にも質的にもゲルニカ爆撃のそれをはるかに凌ぐものだった」と指摘している。モロッコの毒ガス戦でのドイツとスペインの協力(毒ガスを提供したのはドイツであった−引用者)は、やがてスペイン内戦のときのフランコ将軍と、ドイツのコンドル軍団の協力に発展し、ゲルニカでシェシャウェンの悲劇が再現される。


「まったく無防備の女性と子ども」の大量殺害が、航空機と毒ガスというテクノロジーにより、現実化したのである。

ヨーロッパ人による、躊躇なき、毒ガスを使用した無差別爆撃は、その植民地において実行されたのである。

 
 

しかし、リーフ戦争をめぐりドイツ軍将校は、「スペインは主として組織的な空爆の成果と毒ガスの破壊的な効果を頼りにしている」と報告する一方で、(荒井によれば)「しかし、彼らの結論は、住民に対する爆撃は戦争の終結には決定的な役割を果たさなかった」というものでもあった。

  
  

住民に対する爆撃が戦争の終結に決定的な役割を果たすものなのかどうか?

 

20世紀の歴史を通しての、非武装の民間人の大量の死をもたらした「無差別爆撃」という手法の起源のひとつは植民地戦争という戦争形態であり、「攻撃側の人命節約効果」への配慮と、植民地住民の人命への無配慮の組み合わせで成り立っているものだったのである。

 
 
 
 


Binder: 現代史のトラウマ(日記数:456/全体に公開)
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