umasica :桜里さんのマイページ

田母神氏の「論文」のホントのお値打ちは…??

2008/11/12 23:45

航空幕僚長であった田母神俊雄氏の、「日本は侵略国家であったのか」というタイトルの「論文」(http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)の評価に関する私の考えを、


 「創氏改名」と賞金300万円の駄文
  → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/84585


 実は蒋介石を賞賛している(!?)賞金300万円獲得「論文」の不思議
  → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/84908


 実は「東京裁判史観」を披瀝している田母神氏の謎
  → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/85012



と、これまで3回に渡って書いて来た。



「論文」と呼ぶに値する文章に必要なのは、何らかの新しい知見の存在ということになるだろうか?

少なくとも事実関係の確定への努力と、記述に際しての論理的整合性の保持を抜きに、提示された文章が「論文」として評価されることは、通常なら、あり得ないことだろうう。


大量の事実関係についての認識の誤り、そして論理的整合性のまったくの欠如。それが、田母神俊雄氏の「論文」を特徴付けていることは、これまでの3回の私の論考をお読みになれば、ご理解いただけるものと思う。


少なくとも、「論文」として考える限り、田母神氏の「日本は侵略国家であったのか」という文章には、一文の価値もないと評価せざるを得ないのではないだろうか?

300万円もの金銭を、あの「論文」の賞金として提供するというのは、実に異常な事態であると言わねばなるまい。一般的な意味での「論文」としての評価からは、300万円という金額は、(繰り返すが)、実に異常である。





…というようなことを考えながら、猪木正道氏の『軍国日本の興亡 − 日清戦争から日中戦争へ』(中公新書 1995)を読み返していた。


大正三(1914)年生まれの猪木正道氏は、言うまでもないだろうが、防衛大学校の校長という経歴の持ち主である。

かつての防衛大学校の校長は、その著書の「まえがき」を、


 戦前・戦中の軍国主義は、戦後の空想的平和主義とみごとな対照をなしている。敗戦で軍国主義から解放されたわれわれ日本国民は、戦後空想的平和主義にとりつかれた。たとえば社会党が野党の時代の村山富市氏の言動は、空想的平和主義そのものだといっても過言ではあるまい。


という言葉から始め、そのしばらく後で、


 広く深く根を張った空想的平和主義が一体何に起因するのかを考察して、私は戦前・戦中の軍国主義を裏返しにしたものだと気付いた。戦前・戦中の軍国主義と戦後の空想的平和主義とは、まるで双生児のようによく似ている。考え方が独善的であり、国際的視野を欠いて一国主義的であること等そっくりである。

 空想的平和主義を克服するためには、戦前・戦中の軍国主義を振り返ることが必要だと、私は痛感し、日清戦争からはじめて、日中戦争にいたる歴史を書くことにした。


と、『軍国日本の興亡』の執筆の動機を語っている。


実際に戦争を体験した世代の、「空想的平和主義」を批判する側の陣営に属する人物によって書かれた『軍国日本の興亡』の最終章は、


 軍国日本が自爆したのは、軍に立憲国家を超えた特権的地位を与えた結果である。日露戦争に勝ってから、日本の軍人におごりが生じたのは、無理もない。しかし満洲を中国から切り離して日本の支配下に置こうとする野望に対しては、1906年5月の”満洲問題に関する協議会”で、元老伊藤博文がきびしく児玉源太郎参謀総長を叱ったように、文民統制を貫徹するべきであった。

 軍人の野望を制御できないと、日本は二つの強敵によって、はさみ討ちにあうことになる。一つは中国の”門戸開放”という原則から、日本の中国への侵略を絶対に認めないアメリカ合衆国の圧倒的な力である。いま一つは、半植民地化の危機に直面して、ようやくめざめた中国民族主義の巨大なエネルギーにほかならない。

 1922年2月6日、ワシントンで、「中国に関する九ヶ国条約」に調印し、1929年7月に発動した不戦条約に前年調印して参加しながら、軍国日本は、1931年から中国への露骨な侵略を開始した。中国に対する日本の侵略を、18、19世紀に英国が行った侵略と単純に比較して日英同罪を説くものがある。英国がインドや中国を侵略したころ、不戦条約はもちろんのこと、中国の主権と独立を約した九ヶ国条約も存在しなかった。侵略は美徳ではないまでも、悪徳とは考えられていない。侵略をはっきりと非難し、戦争を排撃するようになったのは、第一次世界大戦の惨禍を経験した後である。

 中国への日本の侵略行為が交際社会のきびしい非難にさらされた背景には、戦争、平和、侵略などに関する人類の価値観がはっきり転換したという重大な変化があった。

 軍国日本の自爆はもちろん、一部軍人だけの暴走ではない。広田内閣も、近衛内閣も、国際社会で日本を孤立化させるのにすこぶる寄与したし、浜口、若槻内閣は、間違った財政・金融政策に固執して、日本国民を未曾有の不況に追い込み、一部軍人の暴挙を支持する狂気を生んだ。

 国際協調主義を堅持していたかぎり、日本の軍事力は国民からも外国からも信頼されて、わが国の興隆の原動力となった。軍事力が暴走しはじめた時、わが国は国際社会に孤立して、自爆ないし自殺に追いこまれたのである。


という言葉で終えられている。


リアリズムに裏付けられた、かつての防衛大学校校長の歴史認識がここにある、ということが出来るだろう。





田母神氏やその称賛者達が、「東京裁判史観」を批判することに、わざわざ文句を言おうとは思わない。

しかし、大日本帝國の歴史が、亡国に至る歴史であったことからは、目をそらさずにいて欲しいと思う。

そして、その亡国に至る歴史の責任者の多くは、「東京裁判」の被告と重なるのだ、ということからも目をそらさないでいて欲しいと思う。


田母神氏の称賛者達には、「日本は侵略国家であったのか」のような文章を読んで、身内の盛り上がりに終始するのではなく、せめて猪木正道氏の『軍国日本の興亡』に目を通し、歴史的事実関係をきちんと押さえたリアルな認識を獲得していただきたいと思うのだが…


…もちろん無理を承知での「願い」である。






Binder: 現代史のトラウマ(日記数:665/全体に公開)
Gg[ubN}[N

このブログにコメントをつけるには、ログインする必要があります。
マイページをお持ちでないひとは「マイページを作成する」ボタンを押してマイページを作成してください。
不適切なブログを見つけたら、こちらからご報告ください!

Mail Address(GMO ID):

Password:

自動ログインパスワードを忘れた方

最近書いたブログ


http://www.freeml.com/feed.php?u_id=316274&f_code=1



Copyright(C)2017 GMO Media, Inc. All Rights Reserved.